感情を詠むー「うれし」(1/2)
「うれし」は、晴れ晴れとした良い気持を表す言葉。➀喜ばしい。うれしい。➁かたじけない。ありがたい。 語源は「うれ(心)」。
帰りける人来れりといひしかばほとほと死にき君かと思ひて
万葉集・狭野弟上娘子
*ほとほと: すっかりそうなるわけではないが、事態が進んでそれに非常に近い
状況になるさまを表わす語。もう少しのところで。すんでのことに。
偽りのなき世なりせばいかばかり人のことの葉うれしからまし
古今集・読人しらず
雪つもるおのが年をば知らずして春をばあすと聞くぞうれしき
拾遺集・源重之
いかでかと思ふ心のあるときはおぼめくさへぞ嬉しかりける
拾遺集・読人しらず
*おぼめく: ➀はっきりしないさまである。あいまいである。ぼやける。
➁いぶかしく思う。不審に思う。
世の中に嬉しきものはおもふどち花見てすぐすこころなりけり
拾遺集・平兼盛
あふことを今宵と思はば夕づく日いる山のはも嬉しからまし
金葉集・源雅定
ぬるるさへ嬉しかりけり春雨に色ます藤のしづくとおもへば
金葉集・源顕仲
月の満ち欠け(4/4)
名月: 陰暦8月15日の月(芋名月)。また、陰暦9月13日の月(栗名月・豆名月)。
天つ風雲ふきはらへなほ年にふたよの月は今宵ばかりぞ
高松宮
*陰暦8月15日と9月13日の夜の月を「二夜の月」というが、十三夜(後の月)のみ
をさす時もある。
名月や何の木もなき野阜(のづかさ)に二人と思ふ人あらはれぬ
太田水穂
*野阜は、野原の中で小高くなっている所。野にある丘。そこに二人に見える人が
現れた。
十五夜の月は生絹(きぎぬ)の被衣(かつぎ)して男をみなの寝し国をゆく
若山牧水
*「生絹の被衣して」は十五夜の月の作者の心象風景。
強行渡河の夜は上弦の月照りて流氷白く渦巻きて居りき
渡辺直己
*渡辺直己(1908年(明治41年)~ 1939年(昭和14年))は、広島県呉市出身
の歌人。広島県立呉高等女学校に奉職中の1937年(昭和12年)に、日中戦争の
ため召集され、中国に第五師団歩兵第十一連隊陸軍少尉として送られる。1939年
(昭和14年)、中国河北省天津市で洪水により戦死した。
ひしひしと空満ちおほふ花のおく満月は遠近のなくてうるほふ
上田三四二
午後十時つたはりてくる音もなき吾家の空の十五夜の月
半田良平
月の満ち欠け(3/4)
新月: 月が見えない時期のため、三日月から逆に遡って、朔の日付を求めた。英語の
呼び名(new moon)が元になっている。
よかれそむるねまちの月のつらきより二十日のかげも又や隔てん
風雅集・藤原為兼
*人の訪れを待ち焦がれている夜。寝待月(19日頃)は、横になって待たないと
ならないくらい月の出は遅い。翌20日は、更待月で夜更けに昇る。
立ちまちの月と匂ひて花薄ほさかのみ馬引きのぼる見ゆ
小沢蘆庵
*保坂(ほさか)は、現山梨県韮崎市穂坂町地区にあたる。そこには穂坂牧という御領
牧場があり、名馬の産地であった。
日を読めば二十日の月を天の原の高山の上に迎へつるかも
伊藤左千夫
*高山の上に二十日の月が出た、ということ。
三日月の光幽(かそ)けき木がくりの庵にかへりて心やすらふ
島木赤彦
わが世をばおもひわづらふ柴の戸に梅が香さむき片われの月
金子薫園
*片われの月とは、半分またはそれ以上欠けている月。『片われ月』は、金子薫園の
第一歌集で、明治34年(1901)刊。
三日月の立てる宵かもななめ松しげき枝葉をとほすひくさに
岡 麓
*ななめ松とは、倒れそうなくらいに斜めに生えている松の木。
凍空(いてぞら)に陰なす魄(たま)をかき抱くかぼそき月よ妹ぞこほしき
吉野秀雄
*「かぼそき月」をその上の句が修飾している。作者の心象風景。言いたいことは、
結句。
月の満ち欠け(2/4)
立待月: 日没からだいたい1時間40分後に出る月。月の出を「いまかいま
かと立って待つ」というところから付いた名称。
居待月: 立って待つには長すぎるので「座って月の出を待つ月」。
居は「座る」の意味。
二十日月: 更待月(ふけまちづき)とも。陰暦8月20日の月。午後10時頃に出る。
敷島や高円山(たかまどやま)の雲間よりひかりさしそふゆみはりの月
新古今集・堀河院
*高円山は、奈良市の春日山の南に連なる海抜432メートルの山で、歌枕。
山かげや嵐のいほのささ枕ふしまちすぎて月もとひこず
藤原定家
*山蔭の庵で嵐の夜、ささ枕に臥せて月のことを思っている情景。
もち月のころはたがはぬ空なれど消えけむ雲のゆくへ悲しも
藤原定家
郭公(ほととぎす)名をも雲井にあぐるかな弓張月のいるにまかせて
平家物語・藤原頼長
*平家物語の名場面である。頃は4月10日過ぎ、ほととぎすが二声・三声鳴いて、
雲間に飛んでいった。藤原頼長が「ほととぎす 名をも雲居に あげるかな」
(不如帰が空高く鳴いているが、そなたも宮中に武名をあげたことよ)と詠い
かけると、源頼政は右の膝をつき、左の袖を広げて、月を横目に見やりつつ
「弓張月の いるにまかせて」(弓を射るに任せて、偶然にしとめただけです)と
詠んで、剣を賜って退いた。
わが門をさしわづらひてねるをのこさぞ立ち待ちの月を見るらむ
藤原家良
われのみぞねられざりけるかるもかくゐまちの月のほどはへぬれど
藤原家良
このくれとたのめし人は待てど来ずはつかの月のさしのぼるまで
続後撰集・後鳥羽院
これら三首は、人を訪ねるあるいは待っている場面を、その時の月の状態にかけて詠んでいる。
月の満ち欠け(1/4)
月の詩情については、短歌と俳句の両面で昨年すでにまとめている(8月30日~9月10日)。このシリーズでは、月の満ち欠けに付けられた日本独特の美しい名称を詠んだ短歌作品を見てみたい。
月は約30日で地球を一周する。その間に新月、上弦、満月、下弦 の順に満ち欠けする。満月(望月)、三日月、弓張月、十六夜月、立待月、居待月、寝待月(臥待月)、二十日月、片われ月、弦月 など。まことに豊かな日本語である。順不同で説明していこう。
[参考]月の名称と状態については、webの「お月様の満ち欠けと呼び名」
koyomi8.com/reki_doc/doc_0203.htm が分かりやすい。
満月: 英語の呼び名(full moon)が元。わが国では望月、十五夜とも。
二日月: 繊月とも。日没後1時間前後の空に現れる繊維の様に細い月。
三日月: 初月(ういづき)・若月(わかづき)・眉月(まゆづき)など多数
の異称あり。
寝待月: 臥待月とも。横になって待たないとならないくらい遅く出る月。
弓張月: 弓を張った形の月。弦月(上弦、または下弦の月)。
世間(よのなか)は空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち欠けしける
万葉集・作者未詳
振(ふり)さけて若月(みかづき)見れば一目見し人の眉引(まよびき)思ほゆるかも
万葉集・大伴家持
十五日(もちのひ)に出でにし月の高高に君をいませて何をか思はむ
万葉集・作者未詳
*意味は、「十五日に出てきた月のように、いまかいまかとお待ちしたあなた様を
お迎えし、なにも思い煩うことなどございません。」
難波潟潮みちくれば山の端に出づる月さへみちにけるかな
古今和歌六帖・紀 貫之
わがつまをまつといもねぬ夏の夜の寝待ちの月もややかたぶきぬ
恵 慶
*恵慶(生没年不明)は平安中期の僧、歌人。
照る月を弓張としもいふことは山辺をさしていればなりけり
大鏡・凡河内躬恒
*醍醐天皇の御代に、躬恒をお呼び寄せになって、月が非常に美しい夜に、「月を
弓張というのはどういう意味だ。その理由を述べてみよ」とのご命令に応えた歌
という。意味は、「夜空に照る月を、弓張とも言うことは、山辺を目指して入る
(山のあたりをめがけて射る)からなのであるよ。」
三日月のまた有明になりぬるやうきよにめぐる例(ためし)なるらむ
詞花集・藤原教長
時の移ろいー朝・昼・晩(4/4)
夜、小夜、夜中、夜半、真夜
「よる」の「よ」は、「他の」とか「停止」を表す語。「る」は「状態」を表す語。よって「よる」は「他の状態(昼でない状態)」を意味するようになった。小夜の「さ」は、接頭語。
昼見れど飽かぬ田児(たご)の浦大君の命恐(みことかしこ)み夜見つるかも
万葉集・田口益人
*「昼に見ても見飽きない田児の浦を、大君の命を尊んで旅するまま来て、夜に見る
ことになったなあ。」という意味。旅の途上で夜の田子の浦にたどり着いたのだ。
秋萩も色づきぬればきりぎりす我がねぬごとや夜は悲しき
古今集・読人しらず
*「秋萩も色づき、私が悲しく夜も眠れないように、コオロギも夜は悲しいの
だろうか。」
むばたまのよるのみ降れる白雪は照る月かげのつもるなりけり
後撰集・読人しらず
たましいの崩るる速さぬばたまの夜のひびきのなかにし病めば
岡井 隆
わが背子を大和へ遣るとさ夜深(ふ)けて暁(あかとき)露にわが立ち濡れし
万葉集・大伯皇女
*これはよく知られた悲しい歌。天武天皇が亡くなった後、謀反の疑いをかけられる
と感じた大津皇子は大和から、伊勢神宮に仕える姉の大伯皇女に会いに行った。
大伯皇女は彼を大和に帰らせるしかなく、弟の運命を感じつつ朝露に濡れ見送った
のである。大和に戻った大津皇子は、捕らわれ自害させられた。大和へ帰らせること
を決心するまでの悲しく苦しい時間経過が思われる。
さよふけて風や吹くらむ花の香の匂ふここちの空にするかな
千載集・藤原道信
澄みとほる小夜の雉子(きぎす)のこゑきけば霜こごるらし笹の葉むらに
北原白秋
一人(ひとり)こそ安らかなれとわが言ひしこと夜中となりて妻は言ひ出づ
柴生田稔
この夜半(やはん)まがまがしきを閉ぢこめて四角のテレビ朝まで四角
前川佐十郎
男ひとりノンフィクションより落ちこぼれ夜半にまさぐる電灯の紐
大島史洋
卓上の灯(ひ)を大輪に咲かしめて夜半を生くる刻(とき)のさびしさ
篠 弘
眞夜ひとり湯浴みしおればほろびたる星さんらんの輝きぞみゆ
坪野哲久
真夜中をうつむきて咲く白椿 父のさびしさに触れしことなし
内山晶太
おわりに
日本語の表現の多様性をまざまざと見ることができた。日本語以外の言語の詩で、ここに挙げたようなさまざまの情景を表現した作品は、無いであろう。それだけに和歌を他言語に翻訳することは、ほとんど不可能ではないか。
時の移ろいー朝・昼・晩(3/4)
夕、夕暮、宵、黄昏(たそがれ)
「ゆう(夕)」は、「よい(宵)」が転じたもの。なお夕暮や夕方を意味する言葉に、晩があるが、歌にはほとんど使われない。方言や「朝・昼・晩」という熟語に見られる程度。
たそがれ: 薄暗くなった夕方は、人の顔が見分けにくく、「誰だあれは」という
意味で、「誰そ彼」と言ったことから、「たそかれ(たそがれ)」は、
夕暮時を指す言葉になった。
朽網山(くたみやま)夕居る雲の薄れ行かばわれは恋ひむな君が目を欲(ほ)り
万葉集・作者未詳
*朽網山は、大分県西部にある久住(くじゅう)山の古名。歌の意味は、「久住山の
夕べの雲が薄れてゆくと、私は恋しくなるでしょう、あなたに逢いたくて。」
白雲のゆふゐる山ぞなかりける月をむかふるよもの嵐に
新勅撰集・藤原良経
夕暮のまがきは山と見えななむ夜は越えじとやどりとるべく
古今集・遍昭
から衣ひもゆふぐれになる時はかへすがへすぞ人は恋しき
古今集・読人しらず
*衣の縁語として 「紐結ふ」を "日も夕" に掛け、衣をたたむ時に折り返す
ということを、 "返す返す" に掛けている。一首の意味は、「日も傾き夕暮れに
なる時は、繰り返しあの人が恋しい。」
ひぐらしのなく夕暮ぞうかりけるいつもつきせぬ思ひなれども
新古今集・藤原長能
あれわたる秋の庭こそあはれなれまして消えなむ露のゆふぐれ
新古今集・藤原俊成
*意味は、「一面に荒れた秋の庭はまことに身にしみるものであるが、さらに
今しも消えるかと見える露のおく夕暮は。」
暮(よひ)に逢ひて朝面(あしたおも)無(な)み隠(なばり)にか日(け)長く妹が
廬(いほり)せりけむ 万葉集・長皇子
*大宝二年十月から十一月にかけての持統太上天皇の三河行幸に際しての作。
飛鳥の都に留まった長皇子が旅先の妻を思いやって詠んだ歌。隠は三重県名張市。
「夜に情を結び朝は恥ずかしくて顔を隠すといういわれのある名張の地に、何日も
妻は旅の仮廬を結んでいたのだろう。」
わくらばに待ちつる宵もふけにけりさやは契りし山の端の月
新古今集・藤原良経
*わくらばに: 偶然に、まれに。 さやは: 反語を表す。そのように・・か。
「やっと来るというので、たまたま待っていた其の宵も更けて了った。が、やはり
来てくれない。そんな筈ではなかったのに。月はもう山の端に沈みかけている。」
草臥(くたびれ)を母とかたれば肩に乗る子猫もおもき春の宵かも
長塚 節
一声は思ひぞあへぬほととぎすたそがれ時の雲のまよひに
新古今集・八条院高倉
*「ほととぎすが一声鳴いただけでは鳴いたと思えません。しかも夕暮れ時の雲の
どこかで姿も見えずでは。」
ほのかなる夾竹桃の黄昏に白(しら)粥(がゆ)をしぬ我は疲れたり
長塚 節
たそがれの鼻歌よりも薔薇よりも悪事やさしく身に華やぎぬ
斎藤 史