自動車ロボット
日頃よく散歩にゆく近所の俣野別邸庭園については、2017年4月20日にご紹介して以来、何度か触れてきたが、今回は初めて目にした光景であった。本邸のある上方の芝生の庭の一隅に、「俣三郎のお家」と書かれた小さな車庫があり、いつもおもちゃの自動車が納まっている。ところがこの日は、その自動車がベンチに腰を下ろしているわが前方に現れて芝生やけやきの周辺を動き回っていたのである。誰かが家の中から無線操作をしているのだろう、と本邸の方を見やったが人影を見ない。これは完ぺきな自走ロボットではないか。木の根元に行きあたると、すぐには向きを変えられないところなどが無線操縦では考えにくいからである。事務所で聞いてみれば
分かることなのだが、この日はあきらめた。いつかまたじっくり見てみたい。
庭園内を散策していろいろな花を見た。卯の花とハマナスの花は、最盛期にきていた。
大いなる楠や欅の若葉かな
卯の花や新型コロナ恐れつつ
やがて散るハマナスの花虫の寄る
「俣三郎のお家」と書ける手作りの車の小屋を蜂がうかがふ
何処で誰があやつるのだらうロボットの俣三郎は庭を自走す
小さなる自動車ロボット俣三郎庭を見回り車庫に入りたり
カラス来て様子うかがふ車庫の前 庭の芝生は青み増したり
いつだれが起動するのかロボットの俣三郎は車庫に静まる
祖父母を詠む(3/3)
月に一度山の小屋より下り来る祖母を恐れき山姥のごと
永井保夫
この秋も祖母は芒の白髪を風に委(まか)せてあの丘の上
相沢光恵
祖母よりの便りひらけば坂下のポストへ向かふ杖の音聴こゆ
松本典子
*祖母が送ってくれた手紙をひらく時に、その手紙を出しにゆく祖母の姿が浮かんだのだ。
やがてわれを忘れてしまう祖母といて桜並木の先までを行く
後藤由紀恵
ぼんたんを砂糖で漬ける祖母がいていつもうなずく祖父がいるなり
小島なお
*ぼんたん: ザボンの別名。
経糸は律儀横糸勝ち気にて紬を風のやうに着た祖母
米川千嘉子
*紬(つむぎ): 紬糸で織られた絹織物。蚕の繭から糸を繰り出し、撚りをかけて丈夫な糸に仕上げて織ったもの。
西の井戸埋めてはならぬといく度も神託のごと祖母の白声
春日いづみ
*白声(しらこえ): 異常に高い声。りきんで出す声。かなきり声。
祖父母を詠む(2/3)
祖母が口くろくよごれて言ふきけば炭とり出でてうまからずとぞ
片山貞美
祖父また父さびしき検事近眼のこの少年の楽器を愛す
大野誠夫
くびらるる祖父がやさしく抱きくれしわが遥かなる巣鴨プリズン
佐伯裕子
*作者の祖父は、陸軍大将・土肥原賢二でA級戦犯として巣鴨プリズンで絞首刑に処された。享年68。
死の際(きわ)にああま白しと祖母(おおはは)の言いし五月よまことま白し
佐伯裕子
自死の前の祖父と食みしよ悲しみの量(かさ)とも実りし乳の実いくつ
春日井 建
*乳の実: イチョウの実、ぎんなん。
金沢の「天狗舞」と呼ぶ酒に父の父へと血を手繰り寄す
中川佐和子
*天狗舞: 石川県の株式会社車多酒造という酒蔵が造った酒。白山からの伏流水と地元産の米でつくる。天狗舞の多くは「山廃仕込」製法である。
母に打たるる幼き我を抱へ逃げし祖母も賢きにはあらざりき
土屋文明
乳(ちち)足らぬ母に生れて祖母の作る糊に育ちき乏しおろかし
土屋文明
祖父母を詠む(1/3)
祖父母を詠むことは、現代になってから増えたようだ。古典和歌では例が少ない。短歌を詠める年ごろからすると、祖父母を詠む場合が一番時間が離れており、記憶に頼ることが多い。それが歌数の少ない理由ともなっていよう。
親の親と思はましかば訪ひてまし我が子の子にはあらぬなるべし
拾遺集・源重之母
*「私を親の親と思うならば、当然訪ねただろうに。それなのに、ここに立ち寄らないあなたは、きっと我が子の子ではないのであろう。」
かたがたの親の親どち祝ふめりこの子の千代を思ひこそやれ
後拾遺集・藤原保昌
*「父方母方の親の親同士が孫の袴着を祝っているようです。子の子が輝かしく長生する事を私も心から願っています。」
祖父父母とつぎつぎ承(う)けて伝へたる血に疲れありとつぶやく吾子は
五島美代子
ただ一度われに拳をふるひたる生きてしあらば百歳の祖父よ
山本友一
多感にして若き命を終りたる明治びと祖父はひげ濃かりけり
岡野弘彦
祖父が植ゑし山の古木を伐り尽くし父のひと世はおほよそ過ぎぬ
岡野弘彦
病む祖母が寝ぐさき息にささやきし草葉のかげといふは何処ぞ
岡野弘彦
孫を詠む(3/3)
我に勝ちえざる将棋をいつよりかやめたる孫のしつくりとせず
竹山 広
孫よわが幼きものよこの国の喉元は熱きものを忘れき
竹山 広
越えてきた六十余年を振り返り財はなけれど孫十一人
吉田秋陽
生まれたる孫抱きみれば色白し羅臼の海のクリオネに似て
秋葉雄愛
*クリオネ: 北極海などにすむ。体調は1センチから3センチほどで、流氷とともに北海道まで流れてきて、2月ごろの知床で見られることがある。生息している水深は幅広く、浅い水面下から、水深600mという深海にまで及ぶ。
娘(こ)を持たぬわれに女児(をみな)の孫誕生受話器に聞ける初夏の産声(こゑ)
吉野喜美
わが家に一歳半の和子(わこ)様(さま)の来て遊ぶ日は刃物を蔵(しま)ふ
高野公彦
「い」と「し」と「の」探し赤丸つけてをり新聞広げ四歳の孫
石川勝利
孫を詠む(1/3)
まご、うまご(むまご)は、子の子あるいは子孫 を意味する。
孫を詠んだ短歌にはろくなものが無い、孫を詠むのは難しい、と言われる。確かに古典和歌以来、孫の歌は少ない。年が離れていたり、手塩にかけて育てることが少ない などが原因ともなっていよう。ともかくかわいい、稚けない という感情に支配されて心の奥まで揺るがす表現になりにくいのであろう。
高砂のむまごの松の枝なれど千歳のかげもあふぐべきかな
安 法
*作者は、平安時代中期の歌人、僧。源融の曾孫。はやくから出家し、安法法師と号した。
この歌は、松の子孫のことを詠んでいる。
嫁(よめ)の子(こ)の子ねずみいかになりぬらんあな愛(うつく)しとおもほゆるかな
藤原道長
おほぢ父むまご輔親(すけちか)三代(みよ)までにいただきまつるすべらおほん神
後拾遺集・大中臣輔親
*「祖父(頼基)、父(能宣)、孫のわたくし輔親と、三代までもお仕え申し上げる皇祖神さま。御託宣は謹んで承りました。」
孫のことを言ひつつ笑ふわが母の齶(あぎと)あらはになり在(ま)しにけり
島木赤彦
あらたまる年のはごとにものいひのおとなびてゆくをさな孫たち
岡 麓
もたげたる土筆の先をつむ孫は祖父(ぢい)の手つきのまねしたりけり
岡 麓
末までも見たしと思へこの孫の成りいでむ日は吾のなき後
植松寿樹
孫によする妻のありやうすばらしとよそ目楽しむ日の多くなる
山極真平