食のうたー魚介(7/7)
海人(あま)の群からすのごときなかにゐて貝を買ふなりわが恋人は
*海人さんたちがみな黒いウェット・スーツを着ていたので、鴉の群のように感じたのだ。
長塚 節
巻貝の螺旋に残る紅(くれなゐ)に埋みて絶えし沈黙はある
河野愛子
*巻貝の外観から「埋みて絶えし沈黙」を感じ取ったのだろうが、何に沈黙したのか不明。黙り込んでしまった時に、たまたま巻貝を見ていたのか。
われの危機、日本の危機とくひちがへども甘し内耳(ないじ)のごとき貝肉
*貝の肉を食べながら、上句のようなことを考えていたのだろう。
われに応ふるわれの内部の声昧(くら)し乾(ほし)貝が水吸ひてにほへる
*昧し: はっきりしない、あやふや。
貝煮れば小さき貝よりひとつづつ殻開きゆくさびしさありき
*貝も生き物であることをあらためて感じさせられる。命の終焉のさびしさ。
食のうたー魚介(6/7)
わが背子(せこ)に恋ふれば苦し暇(いとま)あらば拾ひて行かむ恋忘(こひわすれ)
*忘れ貝: 二枚貝の片方だけになったもの。恋忘れ貝は、恋心を忘れることができるとされた貝。一首の意味は、「貴方を恋して苦しくてたまりません。時間があれば、その恋を忘れるという貝を拾って行こうと思います。」
妹がため貝を拾ふと血(ち)沼(ぬ)の海に濡れにし袖は干せど乾かず
万葉集・作者未詳
*血(ち)沼(ぬ)(茅渟): 和泉国沿岸の古名。現在の大阪湾の東部、堺市から岸和田市、泉南郡にかけての湾岸。
から衣袖師の浦のうつせ貝むなしき恋に年の経ぬらむ
後拾遺集・藤原国房
*袖師の浦: ①静岡市清水区袖師町の海浜。②島根県松江市馬潟町、中海に面する海岸。
うつせ貝: 海辺などにある、肉がぬけて、からになった貝。和歌で序詞や枕詞のように用いる。 「実なし」「むなし」や「あわず」「われる」などを言い起こす。
思ひつることたが磯のうつせ貝我が身むなしく世をや過ぎなむ
契沖
忘れ貝いかなる方に拾ひけむそのかたし貝いかで拾はむ
香川景樹
*かたし貝: 二枚貝の貝殻が離れて1枚になったもの。
歌は、忘れ貝の亡くなった方の貝殻をなんとしても拾いたい、という意味。
思ふどちすくなく住みて貝食(は)みしその日いかにか楽しかりけむ
尾上柴舟
食のうたー魚介(5/7)
鰰(はたはた)を吊り干す軒に夕しばし潮の照りの寒くかがやく
木俣 修
*鰰: スズキ目ハタハタ科の海水魚。「ハタハタ」は雷の鳴る音の擬音語。晩秋から初冬の雷が多く鳴る季節に、秋田・山形の海岸へやってくる魚であるところからの命名。(百科事典から)
一杯の美酒(ウマザケ)のみてまづ酔はむ見よ妹ここに鯵のヒヤウバを
服部躬治
*ヒヤウバ: 「百ばかり」という意味。
雪水の清きにをりし姫鱒のいまだをさなきもの焼かんとす
鹿児島寿蔵
章魚(たこ)の足を煮てひさぎをる店ありて玉の井町にこころは和(な)ぎぬ
寺々の落葉踏みきて入る鮨屋赤身透きとほる蝦(えび)を握らす
大野誠夫
北海の冷えし海鼠のはらわたを買ひて提げたり黒衣まとひつ
倉地与年子
*なんとも不気味なとり合わせ。人間の生活の一面をクローズアップした。
ゐろりべにわれら坐りて夜深し黒部川の大きなる岩魚(いはな)を炙(あぶ)る
川田 順
食のうたー魚介(4/7)
河豚くうていのち死なまし海棠(かいだう)に春うつくしく雨のふる日や
*作者は、《アララギ》の万葉調,写生主義に対抗して,蕉風俳諧の精神を歌に移し,象徴主義を作歌の根本とすることを唱えた。
覇県警備に静かなる夜は送り来し烏賊を焼きつつ兵と和(なご)みぬ
*渡辺直己は、昭和12年、日中戦争のため召集され、中国に第五師団歩兵第十一連隊陸軍少尉として送られた。天津市や武漢市で警備にあたったが、昭和14年、天津市で戦死した。
ならべほせる烏賊の生(なま)干(ぼし)のするどき香ただよふ中の裸の子等よ
石榑千亦
いのちあるものの姿を弄(もてあそ)ぶ烏賊徳利(とつくり)や烏賊飯(めし)の身や
石本隆一
*烏賊徳利は、イカを徳利状に加工した、「食べられる容器」。 燗酒を入れて十数分おくと、イカの風味・旨味が燗酒に溶け出して味わい深いものになる。徳利として数回使用した後は、炙って酒肴になる。烏賊飯は、イカの足と腹わたをとりのぞき、胴にもち米をつめて、砂糖と醤油などで甘辛く煮た料理。
誕生日われの生れし刻来り濃き酢のなかの昏睡の牡蠣
*牡蠣はマガキやイワガキなどの大型種が食用になる。日本では縄文時代ごろから食用されていたとされる。
乳白にかたまり合へる牡蠣の身に柑橘のするどき酸を搾りぬ
葛原妙子
*生ガキを食べる際には、レモン汁、食酢、タバスコ等を使った酸味のある調味ダレを添えることが多い。
夕餉にておもひまうけぬ悲しみのきざしつつ牡蠣のむきみを食へり
佐藤佐太郎
食のうたー魚介(3/7)
鱈: 北半球の寒冷な海に分布する肉食性の底生魚。日本近海では北日本沿岸に
マダラ、スケトウダラ、コマイの3種が分布する。
鮭: シロサケ、アキサケ、アキアジなどの名称がある。なお地方名も多い。
鰊: 別名、春告魚(はるつげうお)。冷水域を好む回遊魚。北海道ではニシン漁
で財を成した網元による「鰊御殿」が建ち並ぶほどであった。1955年頃から
漁獲量は激減し衰退した。原因としては海流あるいは海水温の上昇が大きい
らしい。
仙台の冬の夜(よ)市(いち)をふたりゆき塩辛き鱈を買ひし思ほゆ
木俣 修
ばらまきて半旗のごとき鱈を干す陸(くが)の末尾の岩昏きかな
くりやべに鮭の片身をさげたるが幾日(いくか)になるとひとりごちつつ
岡 麓
幼子は鮭のはらごのひと粒をまなこつむりて呑みくだしたり
木俣 修
日の光薄き浜びの板びさし春の鰊は燻(いぶ)し了へにし
はたざをを培(つちか)ひたりし吾が過去の何ぞ鰊を焼けば思ほゆ
*はたざを: (旗竿)アブラナ科の越年草。山野・海辺に自生。茎は直立し、
高さ30~90センチメートル。作者はこの越年草を育てた理由が分からないという。
鰊との結びつきも読者には不明。
なき人を思ふ心のしきりなる今宵更けゆき鰊を焼かむ
小暮正次
いつしかに厚岸(あつけし)の鰊食ひなれてこの古き町は新しく富む
*厚岸町にある日本栽培漁業協会厚岸事業場では、開設された昭和56年当初からニシンの種苗生産と放流技術の開発に取り組んできた。その効果で町が新たに豊かになってきたのだろう。
食のうたー魚介(2/7)
日本の鰯には、マイワシ、ウルメイワシ、カタクチイワシの3種がある。名前の由来には、陸に揚げるとすぐに弱って腐りやすい魚なので「よわし」から変化したとの説がある。
鯖はマグロやアジ等と並んで世界的に消費量の多い魚とされる。日本の太平洋側の各地で水揚げされるサバは秋が旬で、「秋サバ」と称される。ただ九州沿岸で水揚げされるサバは、冬が旬であり俗に「寒サバ」とも言う。
幼子と妻とむつみつつ鰯焼く火に照られゐて夕寒きかな
木俣 修
日は暮れぬ鰯なほ干す旃陀羅(せんだら)が暗き垣根の白菊の花
*旃陀羅とは、一時期、被差別民にたいする呼称として使われていた言葉。白秋がこの言葉を短歌に使うとは、驚き。
赤インク一日吾はつかひ居り鰯買ひくれば鰯焼かせて
小暮正次
*鰯を買ってきたのは、奥さんであろう。
舌を刺す鰯を分けて喰ふ夕餉妻にたぬしき事もなからむ
近藤芳美
*舌を刺す鰯を分けて妻とともに夕食に食べたのだろう。こんな食事では、奥さんも楽しくないであろう。
煮て焼きてフライつみれと日日続く鰯を夫の飽くことはなき
石田照子
*つみれ: 魚のすり身に卵や小麦粉を入れて味を調え、小さく丸めてゆでたもの。
割(さき)鯖(さば)を田に干し並(な)めし浅峡(あさかひ)に海のなぎさの近き白波
佐藤佐太郎
春はなほ風の寒きに干しあげてこの割(さき)鯖(さば)の青のすがしさ
岡部文夫
食のうたー魚介(1/7)
鰻については過去のブログで多く取り上げているので、このシリーズでは省略する。
沖方(おきへ)行き辺に行き今や妹がためわが漁(すなど)れる藻臥(もふし)
束(つか)鮒(ふな) 万葉集・高安王
*この歌は高安王が裹(くづつ)(わら・糸などで編んだ袋)でつつんだ鮒を娘子に贈ったときに添えた一首。「沖へ行き岸を行きたった今、あなたのために私が獲って来た藻臥しの鮒です。」という意味。「藻臥しの鮒」とは藻の中に潜む小さな鮒のこと。
古へはいともかしこし堅田(かたた)鮒(ふな)つつみやきなる中の玉(たま)章(づさ)
夫木抄・藤原家長
*堅田鮒 : 滋賀県大津市堅田の琵琶湖沿岸で多くとれるところからの命名で、 「げんごろうぶな」の異名。玉章: 手紙・便りの美称。あるいは料理で、材料を結び文のように結んだもの。鮒の腹の中に手紙を詰め込んだか。
寒鮒の頭も骨もとりにける昔おもへば衰えへにけり
島木赤彦
*若いころは、寒鮒の頭も骨も丸ごと食べたものだったのだが、今は歯も衰えてとてもできない。
松浦(まつら)川川の瀬光り鮎釣ると立たせる妹(いも)が裳の裾濡れぬ
*「松浦川の川の瀬は光り鮎を釣ろうと立っておられるあなたの服の裾は美しく濡れています。」
松浦川は、肥前の国を流れる川。現在では佐賀県内を流れる小河川で、唐津湾に注いでいる。
みよしの の むだ の かはべ の あゆすし の しほ
くちひびく はる の さむきに 会津八一
*奈良県吉野郡吉野町六田(むだ)の近くには吉野川が流れている。その川辺で売っている鮎寿司が塩辛い、という。この鮎寿司は柿の葉寿司とともに有名。
醤酢(ひしほす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ我にな見せそ水葱(なぎ)の
羹(あつもの) 万葉集・長忌寸意吉麻呂
*「醤(ひしほ)と酢(す)をまぜたものに蒜をつぶして鯛を食べたい。水葱の羹なんかはいらない。」これは「酢・醤・蒜・鯛・水葱」を詠み込んだ戯れの歌。
太平は一日(ひとひ)たりとも感謝せむ貰ひし鯛を味噌漬けにして
鯛の目玉も喰い終りたればちょっぴりづもりのぐい呑み
酒も終りとするか 加藤克己