この世のこと(9/16)
かくばかり憂き世の中を忍びても待つべきことの末にあるかは
千載集・登蓮
うき世をば峰のかすみやへだつらむなほ山ざとは住みよかりけり
千載集・藤原公任
忘るるは憂世のつねと思ふにも身をやるかたのなきぞ侘しき
千載集・紫式部
かくばかり憂世の末にいかにして春はさくらのなほにほふらむ
千載集・読人しらず
なげきこる身は山ながら過せかしうき世の中になに帰るらむ
*「嘆きの絶えないわが身はまさしく投げ木を樵る山人で、このまま山で暮すがよい。それだのに過し難い世間になぜまた帰って行くのであろう。」
ゆめかともなにか思はむ浮世をばそむかざりけむ程ぞくやしき
*「どうして夢かなどと思いましょうか。憂き世を出離しなかった頃こそ悔やまれてなりません。」 在原業平の歌「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪ふみわけて君を見むとは」に呼応して詠まれた。
すつとならばうき世を厭ふしるしあらむ我には曇れ秋の夜の月
思ふなようき世のなかを出で果てて宿る奥にもやどはありけり
この世のこと(8/16)
ありふるもうき世なりけり長からぬ人の心をいのちともがな
金葉集・相模
*「生き永らえるのも辛いこの世で、長続きしなかったあなたの心の想いを、私の短い命としたい。」 前書きに「ほどなく絶えにける男のもとへ言ひつかはしける」とあり、男性が遠ざかっていった時に詠まれた恨みの歌とわかる。
ともがな: …としたいものだ。
早き瀬にたえぬばかりぞ水車われもうきよにめぐるとを知れ
金葉集・行尊
法のためになふ薪にことよせてやがてうき世をこりぞはてぬる
金葉集・膽西
*仏法のためと理由をつけてなすことがうき世を刈り取って(だめにして)しまう、という心配あるいは批判の歌であろうか?
かりそめの浮世の闇をかき分けてうらやましくも出づる月かな
詞花集・大江匡房
いづくにか身を隠さまし厭ひても憂き世に深き山なかりせば
憂き世には留め置かじと春風の散らすは花を惜しむなりけり
おほけなくうき世の民におほふかなわがたつ杣にすみ染の袖
千載集・慈円
*おほけなく: 「おほけなし」は「身分分相応だ」とか「恐れ多い」という意味。
「身の程もわきまえないことだが、このつらい浮世を生きる民たちを包みこんでやろう。この比叡の山に住みはじめた私の、墨染めの袖で。」「墨染めの衣で覆う」とは、人民の加護を仏に祈ること。百人一首にある。
おもひ出のあらば心もとまりなむいとひやすきは憂世なりけり
千載集・守覚法親王
寂しさにうき世をかへて忍ばずばひとり聞くべき松の風かは
千載集・寂蓮
*寂しさにうき世をかへて: 憂き世での生活の代わりに、寂しい出家の生活を選択した、ということ。
「俗世間での生活を、出家という孤独と引き換えに棄てて、ひたすら寂しさに堪えて生きてきた。だからこそ、たった独りで聞くことにも耐え得るのだ、松の梢を吹きすぎる風の音を。」
この世のこと(7/16)
うき世の意味については、歴史的に次のような変遷があった。辞典を引用すると長くなるので、要約しておく。
本来は、形容詞「憂(う)し」の連体形「憂き」に名詞「世」の付いた「憂き世」であった(仏教的厭世観)が、漢語「浮世(ふせい)」の影響を受けて、定めない人世や世の中をいうように変化し、近世初期から、現世を肯定し、享楽的な世界をいう「浮き世」と書かれるようになった。
うき世には門させりとも見えなくになどか我が身の出でがてにする
古今集・平 貞文
*「この憂き世には、門があって閂(かんぬき)がさしてあるとも見えないのに、なぜ我が身は家から出にくいのだろう。」
鬱状態に陥っていた平中が、怠慢を理由に衛府の役を取り上げられた時の歌、という。
惜しからでかなしきものは身なりけり憂世そむかむ方を知らねば
後撰集・紀 貫之
しでの山たどるたどるも越えななむうき世の中に何帰りけむ
後撰集・読人しらず
*しでのやま: 死出の山。人が死後に行く冥途にあるという険しい山。
越えななむ: 越えていってしまいたい。
ながむるに物思ふことの慰むは月はうき世のほかよりや行く
拾遺集・大江為基
*「眺めれば悩みごとがまぎれるということは、月は辛い現世の外を巡っているのだろうか。」
わび人はうき世の中にいけらじと思ふことさへかなはざりけり
拾遺集・源 景明
*わび人: 世に用いられずわびしく暮らす人。
うき世には生きて行けまい、と思うことさえできなかった。
憂世をば背かばけふもそむきなむ明日もありとは頼むべき身か
心にもあらでうき世にながらへば恋しかるべき夜半の月かな
もろともにおなじ憂世にすむ月のうらやましくも西へ行くかな
後拾遺集・中原長国妻
山の端に入りぬる月のわれならばうき世の中にまたはいでじを
後拾遺集・源 為善
*私が山の端に入ってしまった月だったなら、うき世には二度と出てこないものを。
この世のこと(6/16)
終りなくまして初めなど無きものを人のこの世に降る雪を見る
大河原惇行
*上句は、作者の世界観(宇宙観)であろう。
コスモスのほそく群れさく陽のなかでこの世のふしぎな時間と言えり
永田 紅
つばなの野あまりあかるく光るゆゑこの世の伴侶はだれにてもよし
日高尭子
*つばな: 茅花。チガヤの花穂。また、チガヤの別名。
花の下黙(もだ)し仰げばこの世とはこの束(つか)の間のかがよひに足る
米満英男
*桜の花を見上げた時の一瞬の悟りであったようだ。
散りつくしもう落葉なき陰庭の土見てをりぬこの世のものを
戦ひて倒れるといふことのこの世のいまになされつつあり
長沢美津
まぎれ来しこの世の事とうべなひて千手観音に向ひ立ちをり
松坂 弘
*千手観音はあの世にあるものと思っていたのに目の前にあるので、上句の述懐になったのだろう。
この世のこと(5/16)
独家(ひとりや)に独り餅つく母はゐてわつしよいわつしよいこの世が白し
川野里子
一億玉砕せざりしこの世の縁側に歌ひつつ母が干す白きもの
川野里子
*川野里子の二首は、戦争に負けて母は寡婦になったが、餅を搗きそれを縁側に干して独り元気に生きている様子を詠っているようだ。母の生き方を称賛している作品。
「ペンキぬりたて」の紙うれしそうに貼るこの世まだまだ仕事がありぬ
高瀬一誌
散る花の数おびただしこの世にてわたしが洗ふ皿の数ほど
遍路道ほとりの草の青みたれ鈴振りにつつこの世罷らむ
石本隆一
*この世罷らむ: この世を去ろう。
遍路道とは、四国霊場において霊場間をつなぎ、お遍路(「巡礼者」)が歩く道のこと。
今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花の咲く駅
小中英之
いっしんに自転車を漕ぐ乙女の足のああほれぼれとこの世を渡る
今井千草
夢にきてきみは乱れてありしかばこの世たのしと今も思はむ
山中智恵子
この世のこと(4/16)
むらぎもの心ぐるひしひと守(も)りてありのまにまにこの世は経(ふ)べし
*むらぎもの: 「心」にかかる枕詞。心の働きは内臓の働きによると考えられたところから。
斎藤茂吉は精神科医であり、青山脳病院(現在の都立梅ヶ丘病院や斉藤病院)の院長を務めた。
熱き蝋わが手に散りて火を継げばこの世の生も
たいせつにせん 前田 透
たくさんの集を作りて死にもせむ只ちよちよつとのこの世を生きて
*作者には生前の歌集16冊の外に評論集、エッセイ集などがあった。乳癌が判明し、64歳で亡くなった。
紅梅の咲きたりといふ一語さへ老い初めて知るこの世の滋味ぞ
築地正子
緑葉も空も見えざるきみを措きてわれはこの世の風に触れゆく
雨宮雅子
*「きみ」は目が見えない人のようだ。
空の芯ほのかに澄みて人逝きてこの世のことはいたしかたなき
三枝昂之
なつぼうしまぶかく吾子にかぶらしむこの世見せたくなきものばかり
この世のこと(3/16)
難波潟みじかき葦のふしの間もあはで此の世をすぐしてよとや
新古今集・二条院讃岐
*「難波潟に生えている葦の、その短い節と節の間のように短い間も、あなたに逢わずにこの世を過ごせと言うのでしょうか。」
思ふべき我が後の世は有るか無きか無ければこそはこの世には住め
如何にしていかに此の世にありへばか暫しもものを思はざるべき
忘れなば生けらむものかと思ひしにそれもかなはぬ此の世なりけり
新古今集・殷福門院大輔
*「あの人に忘れられ、見捨てられたなら、生きてなどいられるものか。――そう思っていたのに、死ぬことも叶わないこの世なのだ。」
行く人のむすぶに濁る山の井のいつまですまむこの世なるらむ
新勅撰集・藤原光頼
山桜このよのまにや咲きぬらし朝けの霞色にたなびく
玉葉集・伏見院
惜しむとて惜しまれぬべきこの世かな身を捨ててこそ身をも助けめ
*「惜しむといっても惜しむほどの値打ちのあるこの世だろうか。この身を捨ててこそ身を救うことができるだろう。」 妻子を捨てて出家することを思い立ったころの歌。
ひとたびは落つるを見ても夕雲雀あがるこの世を誰か思はむ
心敬