天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

歌集『夜のあすなろ』(5/6)

*平易な比喩表現

  あぶちろん花の名前はひとしきりわたしに灯る客人(まらうど)のごと

  情(じやう)ふかき女のごとし夜(よ)はふけてしんしん雪が降るふりつもる

  赤彦が子の声ききし終(つひ)の部屋いづれば山はかぶさるごとし

  おほきなる毬藻(まりも)のやうな宿木(やどりぎ)をのせてポプラの裸木ならぶ

  朝粥をいただくやうに掬ひをり修道院のゆるきオムレツ

  青麦の穂先けぶれる武蔵野のはたてをゆけり日傘はつばさ

 

あぶちろん

 

歌集『夜のあすなろ』(4/6)

*リフレインによる韻律の工夫

  狂はない狂はば狂へ なかぞらに月をひく馬ふいにあらはれ

  秩父路のよぢれよぢれのいつぽんの柘榴(ざくろ)に積もる雪をおもへり

  山の影抱(いだ)きわづかに紅葉(もみぢ)する山のかなたに山けぶりゐき

  散り残りまたちりのこり飛切りのさくらもみぢの果ての蒼穹

  幼子は捩れあひまたわらひあひ清めの席のかたへに遊ぶ

  「道祖神」と彫りあるのみの道祖神かこみて喇叭水仙咲いて

  雪解けしところを歩むシャンゼリゼ鳩が寄りくる掏摸(すり)が寄りくる

  ザザムシのザザは浅瀬のことと知る 天竜川のせせらぎきこゆ

  濡れてゐたり乾いてゐたりする舗道 囚はれ人の如く見おろす

  かぞふれば十七日か寝るも起きるも座るも痛し一歩もあゆめず

  カルデラのなかに田居あり家居あり湯の宿はあり阿蘇にてねむる

  重畳の山つらぬけどつらぬけどふかき緑の紀州を出でず

  ぷつくりと赤くイチイの実は熟れて子をとろことろ花いちもんめ

  きのくにを巡りし終(つひ)の旅なりきゆくてゆくてにトンネルはあり

  海ほたるいづくの海も薄荷(ハツカ)いろ海ちかくゐて海に触れえず

 

道祖神

歌集『夜のあすなろ』(3/6)

*現代短歌に添ったカタカナ語

  着水のしぶき激しき雄がまさる紫イトマキエイの求愛

  いつのまに入り込みしかフリースのわがポケットの一匹の蜂

  マンションのケージに兎ねむりをり冷蔵庫のなか白葱は伸び

  篠笛にあまりにアラブヴァイオリン響きあふゆゑわが泣かまほし

  アッパッパせりだし重き西瓜腹の夏すぎてわれ男児を産みき

  若き日はジャズマンなりき新潟の海辺にアルトサックスを吹く

  みちのくの月光菩薩の御脚(みあし)おほふゆるきドレープふとおもひ出づ

  胸の上にケータイひとつ握りしめCTスキャン撮られてゐたり

  雨の日は三面鏡をみがかうかパッサカリアをひくくながして

  モカマタリ呪文のやうに唱へたりドクダミ十字ぽつてり白い

  いつしかも月はうつすら雲に透けコノハズクよりメールがとどく

 

コノハズク

歌集『夜のあすなろ』(2/6)

オノマトペ

  はらほろり風船かづらしら花にほらふりはらり七月の雨

  ぴしぴしと目高はひかりくぐりをりすいれん鉢に七月の雨

  情(じやう)ふかき女のごとし夜(よ)はふけてしんしん雪が降るふりつもる

  かすていらほろろほぐるる春の日やわが手のひらに雀子よ来(こ)よ

  さかさかとふれあふおとを確かめて地這胡瓜の種を買ひたり

  ばつさばつさ伐りおとしたる枇杷の枝うちかさなりし六月の庭

  車椅子ぐぐいと漕げば病棟の廊下にこころいささか弾む

  剥がれさうな大きな月がのぼりをり幼子ついと頭(かうべ)をまはす

  モカマタリ呪文のやうに唱へたりドクダミ十字ぽつてり白い

  あうあうと鴉さわげる午後にして樹木葬などわがおもひをり

  ふるるるる電波時計の針ふるへうごきはじめて家よみがへる

  わらわらと鉢の底より湧きあがり目高ら生きておよぐ 嬉しも

 

目高

[注]このブログに載せた画像は歌集には無く、WEB上のものを筆者が参考までに添付した。

歌集『夜のあすなろ』(1/6)

 佐々木通代さん(「短歌人」同人)の第二歌集が、9月5日付で六花書林から発行された。短歌を学ぶ人たちにとってはもちろんのこと、短歌を作らない読者にとっても感銘を与える歌集になっている。家族・知人や歌枕(旅)を中心とした日常詠なのだが、短歌表現の基本が自然な感じで通底して、読み始めると中断しがたくなる。以下に例をあげてみよう。

 

*ひらがな表記の工夫

  車ひく牛のまなこのしづかなり海をうつさず空をうつさず

  いただいたごちそうばかりおもひだす荒川堤さくらさいてた

  たかだかと剣(つるぎ)をかざす天使像みあげてすすむただ風のなか

  こぶりなる若狭の鯛のぎんいろの雨ふるひるを濡れつつあゆむ

  菓子箱のなかに桑食む幼虫のいつしんふらんは三日となりぬ

  廻りつつ昏き海よりあらはれて白き氷塊かずかぎりなし

  ろくぐわつの庭は何やらなまぐさしぼんやりをれば絡め捕らるるぞ

  胸しろきおろろん鳥の寄りあへるサハリンの海おもひてねむる

  ジプシーの舞曲ききゐるあさにして白木蓮の冬芽がひかる

  痩せすぎの十三歳(じゅふさん)われが土手にみしほのおのいろの萱草のはな

 

歌集

 

歌人を詠むー方代

  白い靴一つ仕上げて人なみに方代も春を待っているなり

                    山崎方代

  このわれが山崎方代でもあると云うこの感情をまずあばくべし

                    山崎方代

  間引きそこねてうまれ来しかば人も呼ぶ死んでも生きても方代である

                    山崎方代

  犢鼻褌(たふさぎ)のごとくにひろきネクタイの朱(あけ)垂らしゐし方代さんは

                   前 登志夫

*犢鼻褌: 「犢鼻」は牛の子の鼻に似ていることによる当て字。 肌につけ陰部を

 おおうもの。男はその上に袴(はかま)、女は裳を着けるところから、したのはかま。

 (辞典による)

 

  方代を知らねば訪うことあらざりし甲州右左口宿(うばくちしゆく)の古道

                   大下一真

  骨壺に揺られ来たりし方代さん魂安からむ郷の墓処に

                   古屋 弘

 

甲州右左口

歌人を詠むー定家

  夜の対峙しずかにぞ解くわがうちの定家は熱き手のひらをもつ

                       川口常孝

  歌ひつづけて我(が)は通さむずその昔定家も「袖より鴫の立つ」たる

                       塚本邦雄

藤原定家の歌:

  からころも裾野の庵の旅まくら袖より鴫の立つ心地する

 

  定家三十一「薄雪こほる寂しさの果て」と歌ひき「果て」はあらぬを

                       塚本邦雄

藤原定家の歌:

  ひととせをながめつくせる朝戸出((あさとで)に薄雪こほる

  寂しさの果て

 

  うたよみの定家業平はた小町いやがられつつ教本にをり

                      池田はるみ

  鬼のごとしと定家が言へる己が文字世俗を記して折れ曲がるなり

                       永井陽子

  定家卿の赤銅(しゃくどう)いろになめされたる顔うかびきて伏拝(ふしがみ)

  王子(わうじ)               小黒世茂

 

  定家より癖なき道長の手蹟(て)をほめて日記の細かき文字読まむとす

                       宮地伸一

 

伏拝王子