天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2005-01-01から1年間の記事一覧

金槐集と新古今集

今日は、いよいよ大晦日。名古屋から新横浜経由藤沢へ帰る。 源実朝が藤原定家を師と仰ぎ、定家も懇切丁寧に面倒を見たことはよく知られている。だが、実朝の『金槐和歌集』は、万葉調ということで、賀茂真淵、正岡子規、斉藤茂吉らによって称揚された。塚本…

本歌取りの鉄則

今日は三十日。雪が降りそうな曇り空の名古屋郊外を歩くのもぞっとしないので、長久手にある天然温泉「ござらっせ」で湯に浸ることにした。子ども連れの年寄りが目立つのは、年末の大掃除の邪魔にならないように、との言い訳があるのかも。 『新古今集新論』…

新古今集の前衛

今日から名古屋に二泊三日で生後一ヶ月あまりの孫娘に会いに行く。車中でもホテルでも塚本邦雄著『新古今集新論』の再読に費やした。何故再読か? 思うところあって塚本短歌の極意をある仮説を立てて論じてみようと企てているためである。 塚本が新古今集の…

花・香・艶

「古志」新年号で第一回飴山實俳句賞・古志俳論賞が発表されている。 俳句賞受賞作品も俳論賞受賞作品もなかなか新鮮であった。 俳句賞作品(北側松太)から。 鎖樋春の氷をこぼしけり 藍蔵を包みて花の万朶かな けふからは若き棟梁夏燕 刻限に来たためしな…

万葉の時代

角川「短歌」で連載中の佐佐木幸綱の「万葉集の〈われ〉」が大変面白い。何がといって、昔われわれが学校で習ってきた内容とはまるで違うのだ。あの時代の旅がえらく大変だった、という考え方ではなく、主要な街道は整備されており駅舎もあって、旅の和歌も…

?と!の新春詠(短歌)

角川「短歌」新年号・新春五十歌人競詠五百首より。日頃学んでいる歌人の巻頭歌のみ取り出してみた。新春詠といっても正月に関る情景をめでたく詠んでいるわけではない。 A そそり立つ黄金(くがね)の木立。夜半すぎし月のしづくに ぬれて かがやく 岡野弘彦…

餅搗き

いよいよ歳晩。円覚寺の観光客の数もめっきり減った。まして他の寺社では、境内は閑散として草木のたたずまいが実に趣き深い。 煤払太鼓木魚を外に出し にぎはしき谷戸の中腹餅を搗く 餅つきの湯気の奥なる菩薩かな 餅搗きのかけ声を追ふ臼の音 餅つきに檀家…

冬薔薇

今日はクリスマスイブの日。横浜元町や桜木町あたりはどうであろうか、とたわいもない理由をつけて石川町から元町、港の見える丘公園、山下公園、赤レンガ倉庫、桜木町へと、ジャンパーの襟をたてて歩いた。 いちやう散る汐汲坂の朝日かな いちやう散って空…

相模川

相模線の宮山駅で下りると道路の向かいに寒川乃お湯屋という銭湯がある。駐車場は昼間から満杯に近い。もっとも今日は天皇誕生日で祝日。もちろん湯に入りにきたわけでなく、相模川を見に行く。特別のものがあるわけではない。川の向こうに大山の峰とその左…

芭蕉七部集

俳句の根源を知るには、やはり蕉門の作品にもどるしかない。そこで開拓された技法を整理することからその後の技を位置づけられよう。言うは易く行うは難し。ともかく芭蕉七部集を一通り読もう、と最近思い始めた。 「冬の日」・・・貞亨元年(1684)成立…

?と!の新春詠(俳句)

平成十八年一月号の「俳壇」に載っている新春詠から、疑問(?)が出てくる句といけるじゃない(!)、という句をいくつかとりあげる。 白波をめくる海石(いくり)や初日の出 鷹羽狩行 「めくる」という措辞で決まった。冬の白波が寄せる海の中に海石があって…

句帳と作品

飯島晴子の残された句帳の内容と作品の関係を論ずる興味深い新連載(小川軽舟)が、「俳句研究」新年号で始まった。飯島晴子は吟行して俳句を作る習性の俳人であったが、句帳には印象なり見たものについての言葉の断片が散らばっているだけで、俳句の形をな…

我儘な歌

穂村弘著『短歌という爆弾』の続き。彼が短歌を解釈する場合、小池光などと違って、技術面の分析がないので、納得できないところがある。ただ、ニューウェーブ以降の若手歌人の歌をどう把握したらよいか、の説明は腑に落ちた。彼らは我儘な短歌を作っている…

体言止め

今朝の相模湾は光の洪水だ。二宮町にある吾妻山にゆく。東の斜面のところどころに水仙の花をみつけた。師走の山頂の風はさすがに冷たい。が、すでに菜の花が咲いている。その向うの冬晴れの空に、雪を装った富士がきわやかである。 冬朝の海にあそぶや光の子…

冬晴れ

今日は、短歌人の今年最期の東京歌会であり、題詠は「指」。次の詠草を提出しておいた。 ゆびさきと指先ふれて見つめあふ人 生(う)むまへのイブとアダムはところが、出かける段になって、体がだるい。風邪をひいたらしい。大事をとってメールで欠席を伝えた…

謎が詩を呼ぶ

穂村弘著『短歌という爆弾』小学館を以前買ったが、読みかけてほったらかしていた。面白くないと感じたことと、穂村弘の短歌をまったく良いと思わないから、ということもその理由になろう。 だいたい作品に品格がないのであり、自我が出過ぎるのだ。出張の余…

湯豆腐

今夜は大山豆腐の湯豆腐ということで、月桂冠を熱燗にして酌みつつこれを書いている。NHKのクローズアップ現代では、「故郷が消える」というテーマで、廃れゆく集落の映像を流している。耕作を放棄した棚田では、野鼠が繁殖し地すべりをうながす。わが故…

熱田神宮

稲沢に出張のついでに、熱田神宮に寄って初宮参りの下見をしてきた。年末年始の準備が始まっていた。 本宮をカメラに納む年の暮 年の瀬の様子見に来し神楽殿 宮参り寒に耐へたる神楽殿 銀杏の散りしままなる斎庭かな かむなぎの掃く手そろふも落葉掻 たのも…

言葉の斡旋

勢いにのって飴山実最期の第五句集「花浴び」を読み終えた。うまいなあ、いいなあと感じた句の一部をあげる。 A 火の山の懐ふかき初湯かな B 水の香をしるべにしたりあやめ宿 C かなかなのどこかで地獄草紙かな D 火の雫こぼす松ある野焼かな E この山…

俳人は食通か

飴山実全集のうち句集「次の花」を読み終えた。目に付いた作品は、いわゆるグルメ系である。全部はあげないが、鮎の句が多い。 世のことを雪代山女焼きつつも 貝汁の武蔵仕立や昼の酒 雨休氷室の餅も届きたり 北浦の海雲(もづく)酢にせん夏の始 五橋てふ酒…

児玉と山県

大正十年に建立された江ノ島児玉神社の入口に、古い石碑があり歌が刻まれている。 児玉藤園のなくなりける日、 つく杖の折れければ 越えばまた里やあらんと頼みてし 杖さえ折れぬ 老いの坂道 有朋 これは老境にさしかかった山県有朋が、次代を託していた児玉…

しとどの窟(いはや)

湯河原の城願寺に寄る。城願寺は土肥一族の菩提寺であり、境内には樹齢八百年の柏槙がある。 土肥城跡の城山をめざして山道をのぼる。高度を増すにつれ、初島、大島、真鶴岬が眼下に見えてくる。螺旋状の山路をたどれば、幕山、日金山が右に左に交互に見える…

わかる歌

角川『短歌』十二月号の岡井隆の一連、続きとして、今度はよくわかる歌をあげよう。 A 「あれ」ではなくはつきり申せ家の中でも遠回りする歩き癖 B 二十日すぎて匂ひはじめる月末のそこはかとなく逝く瀬の迅さ C 思考にも下腹部があるこのひごろ手嫋女に…

わからない歌

角川『短歌』十二月号に、「チョコレート、壺中の天地」と題する岡井隆の一連の歌がのっている。 彼の歌には魅力あるものが多いのだが、さっぱり理解できない作品も同じように多い。固有名詞を使っていると、われわれの知らない事柄が前提になっている可能性…

言葉が担うもの

飴山実全集の内の「辛酉小雪」を読み終えた。一九三句を納める。この前の「小長集」に比べると読み応えがある。著者は、ことばのめりはり、趣向の見定め、俳興の運び、について気付く所があった、とあとがきに書く。 町なかは薮も厨も雪解水 この構造・調子…

茂吉の措辞

「かりん」十二月号には、日高堯子の評論「歌われた風景―道―」があり、斉藤茂吉の第一歌集『赤光』に出てくる道の歌の特徴を論じている。ただ、措辞の面からの解析、切り込みではないので、深みがないように感じる。出てくる歌から二首あげてみよう。 A ひ…

ささがにの

「ささがにの」は蜘蛛、雲、い、いと などにかかる枕詞である。「ささがねの」ともいう。 「かりん」十二月号・馬場あき子の歌に出てきたので、なつかしくなった。 ささがにの糸のまなかに捕はれてしづかに白い鰯雲なり いい歌だなあ。ただ、好みとしては、…

対句技法

「藍生」十二月号巻頭の黒田杏子主宰の作品では、対句技法が目立つ。 銀漢や木の扉木の床山の音 木の實落つ母との夢の底に落つ 十三夜空海のこゑ雨のこゑ かくれ谷とは紅葉谷しぐれ虹 秋冷のちちに捧ぐるははに捧ぐる 俳句における韻律の好例といえよう。 今…

天園

天気予報どおり今日からえらく寒くなった。鎌倉にいく。鶴ヶ丘八幡宮、瑞泉寺、天園、明月谷と紅葉を探って歩いた。 山門に紅葉かぶさる朝日かな 山茶花や鐘楼くらく鎮もれる 天園やもみぢの谷戸をのぞきこむ ありし日の幹をしのべり冬桜 笹鳴や人を隠せる薮…

韻文とは

飴山実全集の内の「小長集」を読み終えたが、のっけから散文調の句が目立つ。 小鳥死に枯野よく透く籠のこる 枝打ちの枝が湧きては落ちてくる どの椿にも日のくれの風こもる 走る音してはガラスを凧よぎる 釘箱から夕がほの種出してくる 畦を塗りあげて耕運…