天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2005-09-01から1ヶ月間の記事一覧

秋茜

短歌をつくる者にとって、中世歌謡は必修である。『梁塵秘抄』『閑吟集』までは読んでいたが、今回インターネットで『田植草紙』『山家鳥虫歌』『鄙廼一曲』『琉歌百控』の合冊、岩波書店「新日本古典文学大系」を購入した。先ずは、塚本邦雄が絶賛して自然…

もののふ

会社を休んで鎌倉に遊ぶ。例年になく今年はNHK大河ドラマ「義経」を欠かさず見ているが、その関係で鎌倉に縁の深い武将の足跡を訪ねてみたいのである。 梶原景時と大江広元が気になっている。両者の邸宅は金沢街道沿いの明王院、滑川をはさんで対面の位置…

池の鯉

すっかり涼しくなった。昼休みを過ごす靖国神社の神池の端に、数本といった程度だが彼岸花が咲いている。錦鯉たちの動きをじっと見ていると、この狭い池で一生を終えるのかというやりきれない思いが湧いてくる。心なしか鯉の目には光が乏しく、虚ろである。 …

短歌評論

『短歌研究』十月号に発表されている今年の評論賞および候補の作品と選評を拾い読みした。選評の指摘は、なんだか高校生の論文に対するようであり、作品自体が幼く見えてくる。誤字や品詞の間違い、独断、事実の間違い など。また、他人の評論を正として引用…

鴨来る

横浜本牧の三渓園に遊ぶ。台風十七号が千葉県の沖を北上しつつあり、反れていったとはいえ、名残の風が強い。三渓園は、生糸貿易で財をなした原三渓富太郎の元邸宅で、敷地は約五万三千坪あるという。金にあかせて京都、鎌倉他から由緒ある建築物を移築した…

短歌人・横浜歌会九月

気になった歌とコメントを書いておく。 題詠は「わたしの秋」。 洗濯機のまはる渦からたちのぼるわたしの秋がひろがりてゆく 高澤志帆 *洗濯機と秋の取り合わせがポイントだが、どんな秋か読者はとまどう。秋の替わりに「春」にするとささやかな夢と希望を…

足柄古道

大和朝廷時代の東海の官道は、箱根を越えるのではなく、三島から御殿場、足柄峠、矢倉沢、秦野、伊勢原、厚木、二子、三軒茶屋、赤坂見附へと続いていた。いわゆる矢倉沢往還(古東海道)である。そのうち足柄峠と矢倉沢の間を、現在では足柄古道と呼んでい…

絶筆の句

岩波文庫の『子規句集』を読み終えた。通勤電車の中で気の向いた時に読んだので時間がかかった。あの短い生涯になんと二万弱の俳句を作った。その中から虚子が二千三百六句を選出したもの。 先にも書いたが、芭蕉や蕪村の作句法を真似た作品はすぐわかる。 …

彼岸花

鬱ふかき神社裏手の昼食にバサと降りくる大鴉かな 黄葉の落ち葉散り敷く境内にギンナン拾う彼岸なりけり 仰向けに転がる蝉をけとばせばギギと鳴きたり まだ死にきれず 吹き降ろす風に早まる落葉かな 築山にまばらに咲くも曼珠沙華 遠目にも人惹きつける彼岸花…

萩の花

鉄砲宿草刈跡に死人花 江ノ電や座席を立ちて秋の海 月影に萩の花散る極楽寺 大鐘を吹く風に揺る百日紅 鐘楼の屋根に届かず百日紅 輪蔵に人列なせり竹の春 泡立てる筧の水や梅もどき 三汀の胸像青む花芙蓉 はかなさや花はかすみの藤袴 長谷寺に人目を忍ぶ藤袴…

赤とんぼ

短歌は黙示録である。いいかげん第二芸術と蔑まれる自我の詩から抜け出せ。これが塚本邦雄の主張であった。 まったく無目的に湯河原に行った。千歳川沿いに歩いた。赤とんぼがかなりの数湧き出していた。ところどころはや彼岸花が咲いていた。五所神社には樹…

東京大学駒場キャンパス

朝早めに家を出た。井の頭線駒場東大前駅で電車を降りる。何十年ぶりであろうか。多分三十年以上訪れていないはず。教養学部時代を鬱々と過ごしたところである。当時授業を受けた教室の場所をさっぱり思い出せない。印象が残っている授業は、今も健在なシェ…

台場

『紀貫之』を読み終えた。専門歌人としての一生を概観したことになるが、享年七六歳であった。その時々の大臣に任官や昇進を懇請する記事は残っているものの、その任にあっての仕事ぶりなり、解決した問題なりは一切伝わっていない。例えば、六十歳で土佐守…

ぎんなん

みどりなす風がささやく円覚寺惚けたる母にやさしくあれと[評] とかく惚けたる者には、いらいらさせられて心落ちつかないものである。円覚寺の緑なす風に吹かれていると、惚けたる母を大事にやさしくしなさいという思いがわいてきて、自分に言いきかせている…

屏風歌

姫路へ日帰り出張。新幹線の中で『紀貫之』を読み続ける。貫之が専門歌人に成長していく 過程がわかる。それにつけても当時の和歌がいかに中国の詩歌に影響されたか、驚くほどである。 漢詩には、自分の不遇(出世できない、力があるのに認めてもらえない、…

白鷺

まったくけしからん! 毎朝、東西線大手町駅ホームの自販機でペットボトルの水を120円で買って九段下の会社に通勤するのだが、今朝は、金だけ取られてボトルが出てこなかった。相談するところも判らず舌打してあきらめた。もうここでは買わないことにする…

ヨットハーバー

今朝の産経歌壇、伊藤一彦選に7月18日作 (川崎大師)の次の歌が入っていた。 撒かれたる菓子をめぐりて争へる鳩を怖れて をさな児が泣く 三時間ほどを江ノ島のヨットハーバーでぼんやり過し、 あまりに蒸し暑いので早々に引き上げた。 子供らの工夫なる…

真鶴岬

今日は久しぶりに真鶴岬に遊ぶ。電車の中では、布団の枕元に積んだままにしていた『紀貫之』(藤岡忠美著、講談社学術文庫)の続きを読んだ。貫之の和歌習得の過程が、おぼろげながら判って面白い。 春の野に若菜摘まむと来し我を散りかふ花に 道はまどひぬ …

桃源郷

靖国通りを出て内堀通りに入り桜田門方向へ歩いていたら、 以前から所在が気になっていた山種美術館を見つけた。ここは近現代の日本画専門の美術館である。収蔵品には、竹内栖鳳、川合玉堂、上村松園、前田青邨、奥村土牛、速水御舟、平山郁夫ほかの著名作品…

日の丸

靖国通りの九段坂に、騎馬の元帥陸軍大将大山巌公像とフロックコートの子爵品川弥二郎御像が並ぶように立っている。ここから武道館に行くには重要文化財の旧江戸城の田安門を通ることになる。門に向かって右手に千鳥ヶ淵、左手に牛ヶ淵があり、今の季節は、…

俳句革新?

子規は本当に俳句革新をしたのであろうか? 子規の後継者たちが持ち上げすぎたのではないか? 確かに寛政から幕末の天保にかけては、せっかく中興した蕉風が衰微し、再び貞門風がぶり返したような時期であった。漢語、縁語、掛詞、故事を盛んに技法として用…

約束ずくめ

正岡子規の俳句の新しさについて考えている。以前にも書いたが、蕪村の影響が目立つ。俳句革新は具体的にどこにあるのか、素材の取り上げ方、言葉遣い、助詞・助動詞の使い方、オノマトペ、古典のふまえ方、リフレインなど多方面から江戸期の俳諧との違いを…

淋しがらせよ

昼休みは雨なので外には出ず、小学館『芭蕉全句』を読んでいたら、 笈の小文の一句 此山(このやま)のかなしさ告げよ野老掘(ところほり) に出会った。元禄元年の作という。 これですぐ思い出すのは、同じ芭蕉の うき我を淋しがらせよかんこ鳥 である。これは…

大磯

歌詠みにとって、大磯といえば、鴫立つ沢であろう。 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつ澤の 秋の夕ぐれ 西行 『山家集』には、「秋ものへまかりける道にて」という詞書がついて、秋歌に入っている。これは西行が陸奥へいった時、現在の湘南海岸で詠んだ…

日向薬師

日向薬師は、相模に聳える大山の麓にある真言宗の寺である。小田急線・伊勢原驛からバスで二十分ほどのところにある。標高一二五一メートルの大山の谷間に拓いた棚田に稲が熟れ赤とんぼが飛びかう風景が忘れがたい。棚田をふちどる彼岸花の列もなつかしく美…

運河

車中では、まだ途中の『子規句集』を読んだ。現代から見ると子規の俳句は、おおかたが凡作であり、俳壇の選には入らないであろう。当時としては新鮮だったのだ。そのような句が並ぶ中で、ちょっと惹かれたのは、次の句である。 春風にこぼれて赤し歯磨粉 現…

お墓の中の携帯電話

あるともなき朝の風に狗尾(えのころ)草が、鉄路の傍でゆれて いる。虫のすだく声が地に染み込むように聞こえる。 電車を待ちながら、原民喜の小説「美しき死の岸に」を読んでいる。 全体が散文詩のような作品だが、「秋」より。 窓の下にすきとおった靄が…