天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧

土屋文明の「道」5

今回で終わりになる。文明が一生のうちに詠んだ歌とはいえ、なんとも多くの「道」が出てくる。そしてなかなか佳い作品も。 さだかならぬ屋上の山を見さけつつただ従ひき石見の海の道 女亀山さして谷の道深く見ゆ君が山の杣木めぐりて出づといふ 山中越え新に…

土屋文明の「道」4

今日は、『青南集』から始めて『続青南集』の途中までの「道」を含む歌をあげる。 道の上に折りて手向のしで桜俳句学ばざりしことも思ひつつ 赤門前今成りし道のすぐなればなべては清く幼なかりにき 足わななき或は饑(う)ゑし幾度かこの道こひてよりにしもの…

土屋文明の「道」3

延々と続く。 禍の水の中にて放水路成るをたのみ給ひしこともむなしき 加藤君は絵をかきやめて大磯より道を教ふとともに来給ひぬ 新はりの道に並びて落ち来る春の水あらし鳴りつつぞ来る 春日てる荒野の道をのぼり来て猪名の湖しづもりにけり 二居(ふたゐ)よ…

長久手古戦場趾

名古屋に行ったついでに長久手古戦場公園を尋ねた。二度目である。小さな公園だが、紅葉がきれいであった。前回来たときは、郷土資料館が休みであったが、今回は開いていた。当時の武具が展示されているが、一階と二階だけの狭い展示室である。二百円の「長…

土屋文明の「道」2

土屋文明の「道」、続き。 乾きたる道を来りて青草の堤のふき井のめば清しき 秋草の峠の道にきこえ居る雲雀はひとつ八月の日に 亡き父と稀にあそびし秋の田の刈田の道も恋しきものを 海あれて淡路の船の絶えし日に六甲山に登り来にけり 傾く日にきらふは釧路…

土屋文明の「道」1

今、「道のうた」というテーマで評論をまとめている。詩では、高村光太郎の「道程」や北原白秋の「この道」があり、俳句では、芭蕉の「此道や行く人なしに秋の暮」がよく知られている。短歌でも斉藤茂吉、折口信夫、佐藤佐太郎などに有名な歌がある。こうし…

デジャ・ビュ

「俳壇」十二月号には、リレー競詠三十三句として、黛 執、片山由美子、秋尾 敏の三人が作品を寄せている。黛 執のものをいくつか次に挙げよう。 ひとすぢの川を真中に盆の町 *久保田万太郎の名句「神田川祭の中を流れけり」を 連想してしまう。 貝割菜夕日…

ぎんなん

今日は建長寺で第五十四回・時頼忌俳句大会が開催される。毎年参加しているのだが、今年はやめた。なんだか億劫になったからである。選者はだいたい三、四名が並ぶのだが、今回は誰なのか、案内状には記入されていない。選者も世話人たちも老齢なので存続が…

信濃と信濃路

合成語の効果ということを考えている。例えば、「道、路」についていえば、都と都大路、馬車と馬車道 いくらもある。その効果とは、ロマン(物語)性が纏い付くということではないか。特に「道、路」の場合はそうである。『日本歌語事典』から信濃と信濃路の…

小春日和

昨日までとは打って変わって今日はぽかぽか陽気であった。靖国神社境内には、老人夫婦や戦友同志らしき数人があちらこちらに見受けられた。 巖によれば山のつめたき小春かな 原 石鼎 小春日や故郷かくも美しき 相馬遷子 玉の如き小春日和を授かりし 松本たか…

雨・風をテーマに

「歌壇」十二月号では、佐佐木幸綱が小島ゆかりと対談している。話題は、現代短歌の課題―2006年を振り返って である。区分すると十あまりのテーマで話が進んでいるが、今日はその紹介ではない。対談の初めに、小島が一年間、毎月三十首連載したが、続け…

しぐれ

昨夜のにがい興奮さめやらず、頭ひやさんと北鎌の建長寺に出かけた。昼前から降り始めた時雨がやるせない。こんな天気にも関わらず次々と観光バスが門前駐車場に出入りする。 漆黒の鴉天狗もしぐれけり 法堂に頭ひやせとしぐれけり しぐるるや供物狙へる墓地…

短歌人・東京歌会&研究会

今日は午後から「短歌人」の東京歌会。そして研究会では、わが初めての当番で、テーマと資料を提供した。 歌会では小池光と藤原龍一郎のコメントが収穫であった。 小池は、十羽とか五十年という数字が良くない、と指摘する。実は昔、彼自身、塚本邦雄から注…

うまいなあ!

「俳句研究」十二月号に、長谷川櫂の五十二句が載っている。うまいなあ、と感じる句を挙げて、どこがうまいかを簡単にコメントしておく。 初春や生きて伊勢えび桶の中 *「生きて」がなかなか出てこない。 万緑を押し開きゆく大河あり *万緑を押し開くとは…

意味の無い短歌

岡井隆全歌集Ⅳがやっと購入できた。附録の月報で、詩人の北川透と対談している。短歌、俳句、現代詩についてそれぞれの思いを語り合っている。その中で、「日本語の規範を無化する世界」という節で、北川透は岡井が作った例として、 叱つ叱つしゆつしゆつし…

紅葉狩

今日の神奈川県の天気予報では、雨の確率は終日三十%。ただ、東京は晴れということでもあり、大丈夫だろうと思って出かけた。釈 迢空(折口信夫)の歌集『倭をぐな』を持って。 残念ながら相州大山寺の紅葉は時期尚早であった。おまけに石段両脇のもみじの…

フォークロアと短歌

柳田國男の『遠野物語』『妖怪物語』『海上の道』を購入した。たまたまNHKのTVアーカイブスで柳田國男に関する番組を見たのがきっかけ。有名な本なのだが、今まで一度も読んだことがなかった。『遠野物語』から始める。 柳田國男はわが国民俗学(フォークロ…

鑑賞の手掛りー詞遊びー

和歌・短歌を鑑賞する際の手掛りとして今まで触れなかった事項に、「詞遊び」の技法がある。 『和歌の本質と表現』(勉誠社)で、歌人の紀野恵が書いている。以下要約。1.聴覚型(音楽的な詞遊び) 耳で聴いて理解できること。 a.掛詞 同じ音の詞が異な…

高浜虚子と鎌倉

鎌倉時代の芥川龍之介は、俳句を虚子主宰の「ホトトギス」に投句して虚子の選を受けていた。 また鎌倉に住んだ吉屋信子も虚子に俳句を師事した。それであらためて鎌倉文学館刊行の「鎌倉文学碑めぐり」を見直して、信子と虚子の句碑の場所を確認した。信子の…

芥川龍之介と鎌倉

今、鎌倉文学館で、「芥川龍之介の鎌倉物語―青春のうた」と題した展示会が開催されている。芥川に関する資料は、いままで見た中では山梨県立文学館所蔵のものが一番豊富であったような気がする。ただ、河童の絵のことしか印象に残っていない。この山梨県立文…

相対運動的詠み方

暇にまかせて電車の中で『短歌研究』十一月号の「作品季評」を読んでいたら、大変ためになることが書いてあった。吉川宏志歌集『曳舟』の歌に関する小池光の分析が、久しぶりにエキサイティングだったのである。 ほのじろく塩こびりつく大岩は日暮れの海にし…

鑑賞の方法

一昨日、〈読み〉が問われる、というテーマをあげたが、鑑賞の方法についてもう少し検討してみる。一応短歌作品に限るが、現代詩、俳句についても同様なアプローチが可能であろう。 (1)書かれている言葉の意味をたどって情緒を汲み取る。 頼朝は源太ヶ(げ…

山茶花

歳時記を見ると、ツバキ科の常緑小高木。日本特産種で四国・九州・沖縄に自生種があり、十月から十二月に白い花が咲く。園芸種では、鮮紅・桃・八重咲きがある。 右の写真は、インターネット(群馬大学社会情報学部青木先生のHP)から引いてきたもの。自分…

〈読み〉が問われる

『岡井隆全歌集』第三巻をインターネットで購入した。第四巻も出たのだが、在庫がないとかで購入できていない。新本なので定価は大変高価である。すでに第一、二巻を買っているが、「資料集成」を読んだだけで、歌集には目を通していない。つまり積んどくの…

「短歌人」横浜歌会

昨日の歌会には、9名の参加者があった。各人、題詠(今回は「すすき」)一首、自由詠一首をあらかじめわが方へ送ってもらい、ワープロ入力して詠草集を作成、当日人数分コピーして配布する。 以下に、順不同でひとり一首ずつあげて紹介しよう。名前をあげる…

笹鳴

此の時期になると、川べりの藪や山のふもとの墓地では、チャツ、チャツという鶯の笹鳴をよく耳にする。笹子鳴くともいうが、別に鶯の幼鳥の鳴き声のことではない。そう理解されていた時期があった。もっぱら俳句の季語として使われるが、芭蕉や蕪村の作品に…

貝吹地蔵

鎌倉宮までバスに乗り、覚園寺に行く途中から裏山に入る。瑞泉寺に向かう山路が天園ハイキングコースである。まだまだ紅葉には早い。天園の尾根道を歩いていると、斜面のくぼみに祭られた貝吹地蔵に出会う。1333年、新田義貞の軍に攻められ自害した北條…

最後の公認仇討

今日は、箱根で大名行列がある。以前に一度見に行ったことがある。また見に行こうと小田原まで来たが、小田急の箱根行き切符売り場の人の縦列を見て怖気づいた。やめて、北村透谷の墓がある高長寺にゆく。小田原駅西口には、北條早雲の立派な銅像がある。今…

いらだたしい批評

「かりん」十一月号に、小高 賢が「ふたたび社会詠について」という評論を書いている。その中に以下のような歌が引かれている。 ひげ白きまなこさびしきビンラディン。まだ生きてあれ。 歳くれむとす 岡野弘彦 されど日本はアメリカの基地日本にアメリカの基…

出征

靖国神社拝殿社頭掲示が替った。パンフレットの初めに明治三十九年作の明治天皇御製がある。 秋夕 国のため うせにし人を 思ふかな くれゆく秋の 空をながめて 「出征」と題された遺書は、昭和十二年九月末に江蘇省で戦死した陸軍歩兵中尉のもの。 八時から…