天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2006-12-01から1ヶ月間の記事一覧

虚仮の一念

こんなつもりではなかったのだが。大山山頂にまで登るはめになってしまった。 今年し残したことを片付けるために、伊勢原に行く。大山寺から阿夫利神社下社へ至る女坂の七不思議のうち、五、六、七番目のものがあり、それを歌に詠むことである。一番目から四…

暮の大磯

歳晩の大磯の浜はまことに静か。沖にあまたの釣舟を見れど、繰返し寄せる波の音ばかり。間近に雪の白絹を纏った富士を見る。 大磯の沖の釣舟年暮るる 逆光の朝日をかへす冬の海 奥見えぬ横穴古墳枯れ紅葉 波頭白くくだくる渚辺に何を探せる白かもめ鳥 はろば…

蝋梅

鎌倉の寺々の境内では、早くも蝋梅が咲き始めた。蝋梅は中国原産なので唐梅、南京梅とも。わが国には江戸時代はじめに渡来した。花の中心部まで黄色のものを素心蝋梅というらしいが、咲ききった状態ではみな同じに見える。冬の季語だが、手元の歳時記には、…

『俳人蕪村』

俳句界において、現在のように蕪村が芭蕉と並び称せられるようになったのは、正岡子規著『俳人蕪村』による。これは周知のことだが、恥ずかしながら、今までこの本を読んでいなかった。たまたま昨日、昼休み九段下の本屋に立ち寄って見つけたのでさっそく買…

「短歌研究」新年号から(3)

新年特集ということで、世の中に衝撃を与えた一首を、二十九名の歌人が挙げている。しかし、編集部の意図とそれぞれの歌人の把握・説明のしかたに、齟齬が生じているようだ。世の中に衝撃を与えた、というよりも大半が、歌人個人にあるいは、歌壇にという範…

「短歌研究」新年号から(2)

作品連載第五回というシリーズの内の尾崎まゆみの場合を見てみよう。加藤治郎の場合に比べるとはるかに判りよい。古典への本家帰りといった趣がある。六百番歌合から藤原良経の次の歌のひとつひとつの文字を順番に頭に持つ(頭韻にして)三十首の歌を作って…

「短歌研究」新年号から(1)

作品連載第五回というシリーズで、藤原龍一郎、尾崎まゆみ、加藤治郎の三人が三十首ずつ作品を寄せている。新年号とあってか、いずれも力作に見えるのだが。今日は、加藤治郎の作品「雨の日の回顧展」について。三十首全体で何を訴えようとしているのか、ま…

片瀬漁港

クリスマスの水族館もおもしろかろうと江ノ島まで出かけたが、入り口に並んでいる人の多さにしらけて、中に入るのをやめた。しょうがないので浜辺に出ると、随分時間がかかっていた新築の片瀬漁港がほぼ完成していた。 採水地はフランスといふ自然水ペットボ…

大根のうた(続)

昨日引用した仁徳天皇作と伝える歌について注釈しておく。講談社文庫『古事記歌謡』全訳注・大久保正による。歌の現れる順番が、古事記と日本書紀とでは反対になっている。昨日のものは日本書紀の順番で、以下は古事記に現れる順番。 つぎねふ 山代女の 木鍬…

大根のうた

今日は冬至、よって大根にこだわってみる。 『古事記』や『日本書紀』の仁徳天皇の項に、女の白い腕をおほね(淤富泥あるいは於朋泥の表記)にたとえた天皇の次のような歌謡がある。嫉妬に狂った皇后を呼び戻そうとする歌である。 つぎねふ 山代女の 木鍬持…

能「石橋」

相模之国一ノ宮の寒川神社が何時創建されたか詳らかでない。『續日本後紀』に、仁明天皇承和十三年(846)に神階従五位下を授けられたとの記述があるらしい。ご祭神は、寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)の二神である…

東京歌会の詠草から

17日、日曜日の午後に、短歌人東京歌会が開催された。十二月は毎年題詠が恒例になっており、今年の題は「道」であった。詠草を送ったものの残念ながら、体調すぐれず欠席してしまった。「道のうた」の評論を書いた関係からもぜひ出席したかったのだが、薬で…

どう評価するか

「藍生」十二月号の黒田杏子主宰の作品について。評価にとまどう俳句がある。 A 都鳥きたれり句帳あらためむ B お坊様フレンドネットワーク月今宵 C 菊膾金いろ納札銀いろ D 都鳥ま白原真理子堂々 A: 句帳をあらためるとはどういうことか? 吟行に出か…

前衛俳句?

「俳句研究」一月号(新年号)に出てくる作品を見て、あらためて前衛俳句ということを思った。短歌と違って俳句では、あまり前衛ということが話題になってこなかったように思う。何故か?そもそも俳句のように極端に短い詩形では、それだけで前衛性を持って…

下曽我

国府津から御殿場線で一駅のところに下曽我がある。最近の公共交通が大変不便になったような気がする。電車は一時間に一本程度。国府津と下曽我間のバスの本数は、二時間に一本とかなり減っている。以前は気軽に出かけていたのだが。 曽我と別所の境に剣沢川…

師走の遊行寺

ノートパソコンの通信機能も回復し、食事の合間に原稿を打ち込んでいる。ノロウィルスが怖いので遠出も気が進まず、近くの遊行寺に散歩にいってきた。朝日に大銀杏が照り映え、落葉の大地も金色に輝きこの世のものとも思えない。塔頭・長生院の小栗堂では、…

佐太郎の「道」のうた

「道のうた」の評論を書き終わったが、興味はつきず、まだ調べている。岩波文庫の『佐藤佐太郎歌集』から道に関わる歌をチェックすると、随分多い。この歌集は、全歌集から精選した作品を抄録したものなので、全体では相当な数にのぼると思われる。道の中で…

蓬莱柿

今月号の「古志」長谷川櫂主宰の句に、蓬莱柿(ほうらいし)が出てくる。これは出雲の多伎で、無花果のことをいうとある。はじめて知った。で、櫂主宰の俳句の二、三について感想を述べる。 荒海の能登より二人月の客 *月見の場所が不明だが、そこに加わっ…

山頭火と放哉

年末なので溜まりに溜まった俳壇、歌壇などの月刊誌を捨てるべく見直しているが、ずいぶん読んでいない記事も多い。そんな中に「俳壇」十月号の「山頭火vs放哉」があった。何人もの俳人が両者の比較をしている。それらから要点を抽出して、あらためて次に…

風邪の歌

今朝は身体の表面がちりちりするというか、節々に熱があるようなので、急遽会社を休んだ。布団に入っていてもなかなか寝付けない。その内電話が掛かってきて、ノートパソコンの修理が終わったので、今から届けにあがるという。パソコンに早速電源を入れて動…

木俣 修のしらべ

先日は宮 柊二のことを紹介したが、同じく白秋の愛弟子に木俣 修がいる。「歌壇」十二月号には、木俣 修生誕百年記念の特集が組まれている。中に、日高堯子の評論で、木俣の韻律の特徴を解説しているところが参考になった。次のようなことを挙げている。 *…

山は菜の花

昨日とはうって変わって、今日は小春日和になった。最後の紅葉狩をせんと、二宮の吾妻山にいく。吾妻神社裏の銀杏黄葉はみごとであった。が、びっくりしたのは、山頂の菜の花がはや満開になっていたこと。周辺の木々の紅葉とのコントラストに感動した。 山を…

八幡宮の大銀杏

できすぎた道行きになってしまったが、時雨の中、岩波文庫の『金槐和歌集』を携えて鶴ヶ丘八幡宮の大銀杏を見にいった。もちろん、黄葉を期待してである。雨空の下ながら、見ごたえがあった。言うまでもあるまいが、実朝はこの大銀杏の蔭に潜んでいた甥の公…

ファイル消滅

ついに心配していた事態が起きてしまった。修理に出していたノートパソコンは、ディスク、冷却ファンが壊れていた。よってそれらを新しいものと交換しなければならない、5万7千円かかるがどうしますか? という電話が、修理センターから来た。ファイルは修…

救いのない話

「俳壇」十二月号に、瀬戸内寂聴と斎藤愼爾の対談が載っている。読んでいて腹立たしくなり、いい気なもんだ、と感じた。要は体のよい自慢話であり、今の世は一番ひどい、親が子を殺し、子が親をころし、イジメが絶えない、末世 だ。その原因は、教育も寺もみ…

宮 柊二のうた世界

今日は、岐阜市の隣の稲沢に日帰り出張してきた。車中で、角川「短歌」十二月号を読んだ。小池 光の連載「短歌人物誌」は毎号楽しみに見ている。今月号の特集は、没後二十年ということで宮 柊二についてである。何年も前になるが、岩波文庫の宮 柊二歌集を持…

竜宮城駅

故障したノートPCをピックアップサービスに渡すため、休日を今日に変更して家で待機。九時半に取りに来てくれた。なんとかファイルが残っていてくれることを祈願するため江ノ島に出かけた。 水鳥の五羽の来向かふ河口かな 笹鳴きの姿探さむ草のゆれ 四阿に…

短歌人・十二月度横浜歌会

昨日の横浜歌会には、6人が出席。題詠「白」と自由詠 各1首づつ。出席者ひとりにつき話題になった作品を1首づつ紹介しておく。 モヘヤーの白のセーター着てゆかむミサのはじまる丘の教会 岡田みゆき *下句がなんとも牧歌的。特に「丘」に歌の印象が強い…

悪夢が現実に

座右において使っていたノートパソコンが、動作しなくなってしまった。Windowsが立ち上がってもすぐにシャットダウンされてしまう。以前は、ファイルのバックアップを心がけていたのだが、最近のPCは故障が少ないので、めったにバックアップしなくなった。…

大山紅葉

どうしても大山寺の紅葉があきらめきれず、天気がよかったのでまた出かけた。いまがまさに見頃であった。八日まで紅葉まつりがあり、紅葉の夜間照明と国宝の鉄製不動明王がご開帳になっている。本堂に向って右の石段横に芭蕉の次の句の碑が立っている。 雲折…