天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

蕪村俳句(3)

蕪村の俳句にも難解な作品が多い。時代特有の文化のために現代では理解できなくなっている事情を考慮してもなお分らないのは、あながち読者の無知のせいばかりとは言えまい。『蕪村句集』冬之部から例をとってみよう。 時雨るるや蓑買ふ人のまことより *「…

言葉の選択

「古志」七月号の長谷川櫂主宰巻頭作品「蘭鋳」より、さすがと思う二句を引く。 揺らめいて水は金魚となりにけり *水を満たした鉢に金魚を放った瞬間であろうか、 あるいは、今までじっと動かなかった金魚が突如 身動きしたため作者が気づいた瞬間であろう…

三崎の三御所跡

「短歌人」の今年の夏の大会が、湘南国際村で開催されることを先日紹介した。せっかくの機会なので、宿泊を一日増やして北原白秋の『雲母集』の現場である三浦三崎を訪れてほしいと思っている。ただ、このところしばらく行っていないので、確認しておきたく…

結句で決める

七月号の角川「短歌」の特集は、「一首をひきたてる結句のつけかた」である。面白いので我流にまとめておく。 *意表をつく新鮮さ 疾風はうたごゑを攫ふきれぎれに さんた、ま、りあ、 りあ、りあ 葛原妙子 雷鳴れば鳴る方を見て教室のわが少女らは敏き水鳥 …

三浦海岸・北下浦

昨年十一月五日の日記の一部を再録する。そこでは、荒崎、北下浦、三浦大仏と盛りだくさんに書いたので、後で記録として探すときに不便なのである。 京急長浜駅で下りて海岸沿いの道路134号線に行き当たる辺りに長岡半太郎記念館と若山牧水資料館がある。…

ゆりの花

この時期、山辺によく百合を見かけるが、百合はわが国でもずいぶん古くからあったらしい。 万葉集にも十一首ほどある。「後(ゆり)」という言葉との組み合わせが多い。 路の辺の草深百合の後(ゆり)にとふ妹が命を われ知らめやも 柿本人麿歌集 あぶら火の光に…

鴫立沢

医院で月例の薬の処方を待っている間、蕪村句集を読んでいたら、次の句に出会った。 あちらむきに鴫も立たり秋の暮言わずと知れた西行の名歌「こころなき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮」を本歌とする。気になるのは「鴫も」の「も」である。鴫以…

詩歌のための古典

昨日届いた「短歌研究」七月号の特集は、― 作歌の上達に ―薦めたい「古典」。その中に、岡井隆が「蕪村句集」をあげている。一昨日、昨日と蕪村の句を読んでいただけに、わが意を得たりである。彼は次のホトトギス三句について、三種の表記とレトリックの作…

蕪村俳句(2)

蕪村と芭蕉が同じ素材を詠んだ句を二、三取り出してみる。 海くれて鴨のこゑほのかに白し 芭蕉 更衣野路の人はつかに白し 蕪村 *両方とも五五七の形式。 また、ほのかに/はつかに「白し」が共通。 五月雨をあつめて早し最上川 芭蕉 さみだれや大河を前に家…

蕪村の俳句(1)

出張に岩波文庫の『蕪村俳句集』を持っていき読んだ。今の季節なので夏の部を集中的に。つくづく感じるのは、芭蕉にせよ蕪村にせよ、古典の漢籍や日本文学をよく身につけていることである。夏の部について、日本の古典を踏まえている句を以下にいくつかとり…

俳句とは?

俳句という言葉は、正岡子規の俳諧革新運動以後に使われるようになった。俳諧の発句の意味である。発句とは、連歌、俳諧の第一句であり、五七五の定型。発句に続いて対をなすのが挙句で、七七の定型。五七五、七七、五七五、七七、・・・・と続けていくのが…

破調

酒井英子さんの歌集『薔薇窓を見よ』(六花書林)からいくつかの歌について考察しておこう。 はじめに破調について。 破調の歌とは、短歌の五、七、五、七、七の句切れ・韻律が崩れた歌のことである。塚本邦雄が積極的に用いた初七調は、七、七、五、七、七…

歌における表記

午後から短歌人の東京歌会がある。雨さえ降らなければ、午前中は新宿御苑あたりに行って菖蒲園でも見たいところだが、適わなかった。 今日の歌会で気になったのは、一首における表記をどう工夫するかということ。簡単な話では漢字にするかひら仮名かカタカナ…

人体の不思議展

今日は関内の横浜産貿ホールで開催中の「人体の不思議展」に出かけた。明日で閉会のせいか、親子づれや若い女性たちで込み合っていた。以前にも見たことはあるが、今回は梅雨時期のせいか、吐き気がするほど気持悪かった。若い女性たちが平気でしげしげと見…

詩的な歌集

「短歌人」同人の酒井英子さんから、新刊なった第三歌集『薔薇窓を見よ』(六花書林)を頂いた。通勤電車の往復時間で一気に読み通した。酒井さんらしく「詩的な歌集」である。もちろん素敵な歌集である。今日のところは、何か言いたくなった歌をとりあえず…

措辞が気になる

昨日発売された「俳句研究」7月号を読んだ。 3ヶ月連続競詠ということで、新たに中田尚子(「百鳥」所属)と小澤實(「澤」主宰)が20句づつ発表している。これらの内、よく判らない気になる句をあげておく。中田尚子の作品から。 心太突くだけ突いて遊…

カラスアゲハ

昨夜は、勤続13年で出産のため退社する女子社員の歓送会につき、神田でよく飲みよく食べた。今日は体が重たい。よって南足柄の大雄山にゆく。紫陽花ロードの状況を見るのと体脂肪を消費するためである。大雄山駅から道了尊までを歩くことにする。途中の道…

難解歌(4)

言いさすとは、言いかけて途中でやめる行為であり、行く先を読者にゆだねる文型である。読者が行く先の言葉を容易に想像できないと、歌は難解になる。万葉集や古今和歌集では、結句語尾に「なくに」「ものを」「に」「を」「つつ」といった助詞をよく使って…

難解歌(3)

岡井理論から、三十一の等時拍の音のかたまりを分節する干渉因子として ①「意味のリズム」 個々の意味を持った語から構成されている。 ②「句分け」 五・七・五・七・七の構造を持つ。 ③「母音律」 音の列の中に特定の優勢な母音があり、全体にある リズム的…

蝸牛

これだという今年の紫陽花に出会えていない。桜もそうだが、花の名所で静かなところは期待できない。まして鎌倉ともなれば。紫陽花の名所といえば、明月院の他に、極楽寺坂の成就院や長谷寺がある。それで今日も雨の中を出かけたのだが、案の定、人人人で何…

あじさい祭

毎年この時期になると神奈川県足柄上郡開成町のあじさい祭にゆく。去年は6月12日に行っている。今日は、十日、紫陽花はまだ満開ではなかった。桜の時期もそうであるが、どうもせっかちでいつも早目早目に来てしまう。 早苗田に鉄塔映る相模かな たたなは…

難解歌(2)

岡井隆の難解な歌にどうアプローチするかに思い悩んでいる。回りくどいが、彼の短詩型論を参考にすることはできないか。短歌の構造に関する岡井の(初期の?)考え方を整理すると、次のようになる。先ず三十一の等時拍の音のかたまりがある。そこに様々な干…

歴史とは

ここ二、三年鉄道への投身自殺が多くて、全くサラリーマン泣かせである。今朝も起きた。藤沢駅で、昨日切符を買った湘南ライナーの到着が遅れ、ベンチで本を読みながら我慢強く待っていたのだが、順番としてもう来る頃と、列に並んだのに、運転中止というア…

明月院

紫陽花の季節なので北鎌倉の明月院に行った。平日なので観光客は少ないと思っていたのだが、とんでもない。小学生や中学生のグループ、老人たちの群そして観光客と門前に列なすほどであった。肝心の紫陽花は、咲き始めたばかり。ただ、後庭園の花菖蒲が盛り…

うたの表記

難解歌にも関係するが、一行書きでない短歌や俳句が出現し、極端な表記として、塚本邦雄、岡井隆のように二次元図形配列の表記さえ試みられた。さらに加藤治郎、穂村弘、荻原裕幸などの記号短歌ともいうべき作品もある。文字の向きがばらばらの歌もある。俳…

難解歌(1)

和歌にせよ短歌にせよ読者泣かせは、難解歌である。特に有名歌人の作品が困る。他の評者が名歌・秀歌などと高い評価を下した作品が、こちらに理解できないと感性のなさを悲観して落ち込むことさえある。 ここは冷静に難解になる理由を考えてみよう。読者側に…

夏の北鎌

今年の短歌人・夏季全国集会は、8月5、6日の二日間、葉山の湘南国際村センターで開催される。初日は午後4時半開始、二日目は午前9時から午後5時半頃まで続く。歌会以外に、どこを見て廻れるか。海水浴なら手軽にできるが、その年でもない人たちが多い…

薔薇苑

川崎市の向ヶ丘遊園に行ってきた。廃園になったと聞いたが、まさしく無残、見る影もなかった。 どうして自然を破壊してまで遊園を造るのか。結局経営が立ち行かなくなって廃園。それなら、初めから自然のままにしてボランティアで自然を守っていけばよかった…

聖書と短歌

『ダ・ヴィンチ・コード』に刺激され、あらためて聖書の内容を詠んだ短歌に興味が湧いてきた。第一にあげるべき歌人は言わずと知れた塚本邦雄である。藤原俊成の判詞に出てきた有名な「源氏見ざる歌よみは遺恨の事なり」という言葉をもじって、「聖書見ザル…

特殊空挺隊

会社の昼休み、例によって靖国神社にいって驚いた。観光バスが参道を埋め尽くしている。これほど多くの人がどこに入ったか、何事があるのかさっぱり分らなかった。 今日から新しい月に入ったので、神社拝殿の社頭掲示が替わった。パンフレットには明治天皇の…