天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

腰の据え方

「短歌」八月号の特集「発想を一首にしあげるポイント」に、タメになることが出ている。鴨長明の『無名抄』から材をとって、柏崎驍二がまとめている。「腰句手文字事」: 腰句=歌の三句目 三句末が「て」で終る歌は、上句から下句への移り方を 緩慢なものに…

けはひ坂

化粧坂は鎌倉七切通しのひとつ。新田義貞がここから鎌倉に攻め入ろうとしたが、果たせなかったという難所である。切通しとは名ばかり。今でもとても牛馬が物資を乗せて越えられる場所ではない。この名の由来にはいくつか説がある。平家の武将の首実験をした…

早雲寺

俳句雑誌でだったか、亡くなった俳人の藤田湘子が、箱根湯本の早雲寺に葬られていると知って、今日はそこを訪ねた。早雲寺には何度か来ているが、ともかくメタボリックシンドロームにならないためには、出歩かねばならない。 早雲寺は箱根湯本にある臨済宗大…

『昭和短歌の精神史』(4)

学徒出陣である。学徒の歌がいくつか紹介されているが、吉野昌夫と武川忠一に焦点が当てられている。出陣式で、学生達は死ぬ覚悟を固めた。心ある師は、生きて帰れと激励した。また、早稲田大学短歌会の成り立ちもよくわかる。三枝の文章の書き方は、特定の…

『昭和短歌の精神史』(3)

いよいよわが国が大東亜戦争に突入していく場面である。当時の詩人も歌人もみんなが米英を憎んでいた。真珠湾攻撃に成功し、米英との開戦になった時、晴朗な気分になり拍手喝采した。その最大要因は、ABCD陣営の包囲網による経済制裁により、石油購入の…

わが夜の窓に息づく守宮かな

昨日の日記で、近藤芳美が亡くなった日付を間違って書いたので、訂正しておいた。六月二十一日が正しい。 我が家の窓に夜毎守宮が現れる。「家守」「壁虎」とも書き、俳句では夏の季語である。 マンションの三階にあるわが部屋の窓に今宵も守宮あらはる わが…

『昭和短歌の精神史』(2)

近藤芳美が今年六月二十一日に亡くなった。 三枝は『昭和短歌の精神史』で「戦時下の青春」という一章をさいて、近藤芳美、とし子夫妻の相聞歌とその背景を紹介している。近藤自身の自伝『青春の碑』や近藤へのインタビューによっているので、説得力がある。…

『昭和短歌の精神史』(1)

三枝の『昭和短歌の精神史』を読んでいる。この本は、日中戦争突入から第二次大戦後までのそれぞれの局面における歌人達の作品と言動について、多くの資料と調査をもとに書いている。民主主義になって六十年を経たからこそこうした冷静沈着な評論が書けるこ…

月影地蔵

近年体重が増えている。食事の回数も量も昔と変わらないはずだが、運動量が減っているせいであろう。 医者から言われたこともあるが、運動して体重を2キロは減らしたい。ジムにゆくのは金もかかるし、なにより少しも面白くない。従って、出歩いて汗をもっと…

風鈴市

今年も川崎大師の風鈴市にいってみた。昼間なのでうるおいがない。創作風鈴が多いのも風情を減ずる。昼過ぎてから続々と客が増えてきた。 藤沢の遊行寺では、「遊行の盆」と称して、全国の有名な盆踊りのいくつかを披露する催しがある。それも見てみたいと当…

前登志夫と三枝昂之

昨日、インターネットで注文していた二冊の本が届いた。短歌研究文庫『前登志夫歌集』と三枝昂之『昭和短歌の精神史』(本阿弥書店)である。前登志夫のそれぞれの歌集はすでに持っているが、全集的にコンパクトにまとめた文庫本は、持ち運びに便利だし、全…

シュールな俳句

俳句における取り合わせ(コラージュ)の技法は、本質的にシュールな俳句を作るのに適している。まったく異質なものを取り合わせて、読者がシュールなイメージを想起することができるのだ。この意味でも俳句は、世界に誇ってよい日本の文芸である。とは言っ…

徒然草(2)

吉田兼好は、鎌倉・南北朝期の歌人、随筆家である。卜部兼好が俗名。卜部氏は神官の家柄で、京都の吉田に住んだので、吉田姓も使った。三十歳ころに出家した。二条為世に和歌を学び、頓阿、浄弁、慶雲とともに和歌四天王と呼ばれた。随筆と言えば、清少納言…

徒然草(1)

「CDクラブ」(古典コース)に入っているので、代表的な日本の古典のさわりの文章が、朗読と解説つきでCDに入れて定期的に送られてくる。もともとNHKテレビの教養番組から収録したもので、解説者はそれぞれの古典の専門家なので、安心して聞いておれ…

海の日

今日は「海の日」で祝日。念のため百科事典を調べた。海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願うという趣旨で、1995年に制定された。1876年明治天皇が東北・北海道巡幸の際に、汽船「明治丸」で横浜に帰着した日にちなみ、1941年以…

蕪村俳句(4)

蕪村俳句集の遺稿を読んでいるが、なんとも古典を踏まえた句が多い。現代ではとても考えられない。 笋や柑子ををしむ垣の外 *これは『徒然草』の「大きなる柑子の木の枝もたわわに 生りたるが、回りをきびしく囲ひたりしこそ、少しこと さめて、この木なか…

朝夷奈峠

鎌倉七口と呼ばれる七箇所の切通しのうち、朝夷奈切通しは最も険阻な路である。鎌倉側の入り口に、昭和十六年三月に鎌倉青年団が建立した石碑がある。碑文の内容を口語に分りやすく紹介すると次のようになる。 「朝夷奈切通しは、鎌倉から六浦へ通じる要衝に…

みたま祭

靖国神社では、毎年恒例の「みたま祭」の最中である。 大中小の黄色い献灯や雪洞が多数、参道や境内に掲げられ、 参道両側にはギッシリと食べ物を主とする屋台が並んで いる。参道の木立の中には、お化け屋敷も掛っている。 なんとも平和な光景である。 閣僚…

御詠歌(2)

御詠歌は巡礼歌とも呼ばれ、札所ごとに歌がある。三十一音の和歌の形式をとる。最も古い記録は、小瀬甫庵の『太閤記』であり、寛永二年(一六二五)という。巡礼歌の全体を記録したものに、延宝四年(一六七六)頃の『淋敷座之慰』がある。「西国巡礼哥」「…

御詠歌(1)

俳句結社「藍生」では、長年札所巡りの句会を施行しているが、七月号には坂東吟行の第二十三回として、逗子にある二番札所の海雲山岩殿寺が紹介されている。ただ、句会の内容が主体なので、寺の由緒と泉鏡花の句碑「普門品ひねもす雨の桜かな」のことだけに…

横書き短歌

先日、岡井隆の歌集『伊太利亜』について、その横書き短歌の効果を分析したが、たまたま岡井自身が、横書き短歌のことを述べている対談を見つけたので、以下に要約しておく。 *インターネットが隆盛の時代、短歌は今後横書きになる。 *外国語が簡単に取り…

現代詩の衰弱

鮎川信夫・大岡信・北川透編『戦後代表詩選』(思潮社)を読み終わったが、人口に膾炙するような作品がほとんど無い印象を受けた。何故であろう?言葉を多く使っているのに、韻律が無いか弱いためもあろう。なによりシュールリアリズムと称して、読者を置き…

睡蓮

今朝のテレビで、蓮と睡蓮の違いやこれら植物の生き残り作戦について興味ある話をしていた。というわけで久しぶりに大船フラワーセンターに出かけた。いつもの素朴な行動原理である。 睡蓮は漢名。古来わが国には、未草(ひつじぐさ)というスイレン科の多年生…

平塚の七夕

七夕のことは、七五一年に成立した現存する日本最古の漢詩集『懐風藻』にでてくる。それから後の万葉集などの和歌には、さかんに詠まれる。 天の河楫(かぢ)の音(と)聞ゆ彦星と織女 (たなばたつめ)と今宵逢ふらしも 万葉集巻十・柿本人麿歌集 人麿らしい素朴…

俳句の背景

「俳壇」七月号にリレー競詠として三人の俳人の作品が載っているが、うち二人からそれぞれ気になる俳句を拾ってみよう。倉橋羊村「風死しせり」より 月光と噴水落差ありぬべし 仕損じて滴り間合ひ狂ひたる *これら二句いずれもよく理解できない。 イメージ…

戦後詩

一泊二日で京都、名古屋へ出張した。前日に買った鮎川信夫・大岡信・北川透編『戦後代表詩選』(思潮社)を持っていって読んだ。解説を「世界史的現在のなかの現代詩」というとてつもない題で野沢啓という人が書いているが、評価の高いといわれる詩を読んで…

DNA

メキシコのアンガンゲオの霜月に突如あらはる黄金の樹は 黄金のもみの木となる蝶のむれ旅路終へたるオオカバマダラ 氷河期の記憶なるらしもみの木に冬ごもりせるオオカバマダラ 霜ふれる標高三千メートルの山に冬越すオオカバマダラ いつせいに森をくらめて…

あやめ

万葉集や伊勢物語の時代は、菖蒲のことをあやめと呼んでいた。現代の我々が目にするあやめも菖蒲も鑑賞用として手が加えられた結果なので、参考にはならない。 霍公鳥待てど来鳴かず菖蒲(あやめ)草(ぐさ)玉に貫く日を いまだ遠みか 大伴家持 *カッコウを待…

海軍大尉

七月に入ったので、靖国神社の拝殿社頭の掲示が替わった。いつものように昼休みにそのパンフレットをもらってきた。 明治天皇御製(明治三十六年) 神祇 わがこころ およばぬ国の はてまでも よるひる神は まもりますらむ 今月の遺書の主人公は、山口県出身…

腰越

紫陽花は万葉集の頃から詠われている。七変化というくらいに花の色が変化するところから、移り気の喩になることも。 湘南海岸は、昨日が海開きであった。片瀬江ノ島の海辺には海の家が林立し始めた。ただ、梅雨のさなかなので、海水浴客はまばらである。今日…