天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2006-08-01から1ヶ月間の記事一覧

『楽園』(3)

今日から二泊三日で兵庫県三田に出張する。『楽園』を新幹線の中で読みきった。なんともエネルギッシュな技法の展開である。 D 言いさしか倒置か(いずれも藤原が頻用する手法だが、区別する 必要あり) 月と日と流れる迅さ文才とよばれるほどの才のうつろ…

『楽園』(2)

B カタカナ表記(先行する短歌や俳句を匂い付けに) 一瞬を絶対的な夏と決めソノノチナガキナガキ ヒキシホ デイドリーム見続けているワタクシか、否、詩と真実の残滓 であるか *先行例を短歌と俳句からあげる。 キシオタオ・・・・しその後来んもの思えば…

『楽園』(1)

藤原龍一郎の八番目となる歌集『楽園』は、通勤電車の中で読んでいる。見開きの藤原のサインには、都市は楽園 と添え書きされているので、気持がわかる。都市生活者としての歌人のイメージが歌集によく現れている。なんとなく、江戸川乱歩や萩原朔太郎の現代…

高木東六と軍歌

先日、作曲家の高木東六が、102歳で亡くなったというニュースを見た。とうに故人だと思っていたので、びっくりした。また、この名を聞いて思い出したのは、靖国神社参道右手売店の傍にある小さな桜の木である。彼の作曲した「空の神兵」の歌詞が懸かって…

二冊の歌集

今日は午後から短歌人・横浜歌会。例によって昼前を円覚寺の境内ですごす。拝観チケットに書いてある文章に誤記を見つけた。北條時宗が円覚寺の開山を中国から迎える際に、使者に持たせた漢文の書状が紹介されているが、その書き下し文語文に、「鯨皮」とあ…

照ヶ崎

大磯の照ヶ崎は、わが国の海水浴場発祥の地である。そして海水の飲むアオバト飛来の地でもある。アオバトは全身緑色の大型の鳩で、関東地方には4月から11月頃まで山地の広葉樹林に生息する。照ヶ崎では丹沢山地から飛来するアオバトが多く、初夏から秋に…

「短歌研究」新人賞(続)

選考委員の岡井隆が評価要素として、 ①発想・テーマ ②技術点 ③情緒点 を挙げているが、既視感のある歌、どこかで見た言い方はよくない、としている。 選者の誰彼が巧い歌と評価した作品の例を、新人賞受賞者と次席の作者から拾ってあげておく。 野口あや子(…

「短歌研究」新人賞

今年の「短歌研究」新人賞が発表された。角川短歌賞にしても最近は特に女子高校生くらいの年代の受賞者が目立つ。今年の候補作品で特に気づいた点は、口語短歌がすっかり身についたというか難なく自然に作られていること。また、若いせいか自己中心になって…

相模の歌碑

伊勢原市の奥にある日向山霊山寺、通称日向薬師は、霊亀二年(七一六)に行基が開いた。寛仁年間の頃、相模の国司大江公資の妻相模は眼病平癒の祈願をして日向薬師に参籠し、次の歌を柱に書き付けた。 さして来し日向の山を頼む身は目も明らかに 見えざらめ…

放代と笛吹川

大衆に人気のある歌人や俳人は、必ずと言ってよいほどハンディを背負っている。あるいは社会的に落ちこぼれている。そんな現代歌人に山崎放代がいる。大正三年山梨県東八代郡右左口村の貧農の家に生まれたが、戦争が終って郷里に帰るとすでに父母係累はおら…

バスの中で

会社からの帰りは、地下鉄で九段下から大手町へ、そこから歩いて東京駅へ。JR東海道線で藤沢駅までグリーン車に乗り、藤沢から家の近くまではバスを利用する。そのバスの中での話。 バスの後部座席で、わが前の席に背を向けて老爺と小学校低学年の男の子と…

高校野球・夏の決勝戦

今日も呆然とするほど蒸し暑い。遠出をする気分でもないので、鎌倉の極楽寺、光則寺に行って帰った。そして今、駒大苫小牧と早稲田実業の決勝戦を見ている。七回まで0対0の好ゲーム。それにしても両校のピッチャーとも炎天下の連投であり、彼らの体力には…

ハマこい踊り

この時期に横浜でカーニバルをやっているとは今まで全く気づかなかった。今年は二十八回目という。今日と明日、数箇所で開催されている。強烈な日照りなので、せめて落ち着いた雰囲気の場所をと、横浜美術館広場のステージに行くことにした。十一時から始ま…

西東三鬼の犬の句

昨日の続きである。猫は俳句の季語として「猫の恋」(春)があるが、犬に関するものはない。西東三鬼の全句集と拾遺について、犬が出てくる俳句を調べてみた。夥しいといってよい数である。以下に、せっかくだから全部抜き出しておく。ちなみに、三鬼の私小…

犬猫の俳句

もちろん犬や猫が俳句を詠むわけない。犬や猫を詠みこんだ俳句の謂いである。短歌では、犬や猫を詠んだ作品はめずらしくない。例えば、塚本邦雄は犬の、小池光は猫の歌を詠んでいる。 しかし、俳句ではかなり珍しい、というか佳品が得がたく難しいのだ。出た…

いまさら和歌文学

短歌人夏季集会における三枝昂之の講演で大変良い本だと紹介のあった藤平春男の歌論を、インターネットで探したら数巻あり、それぞれが一万円以上するので、買うのをあきらめた。その代わり、勉誠社・和歌文学講座の内の「和歌の本質と表現」という一巻を購…

郡山城跡(2)

島根県安来に本拠をおく尼子氏は、晴久の代になってから近辺の領土拡大に積極的になる。1540年から1541年にかけて毛利元就の郡山城を攻略するが、大敗した。これが、昨日紹介した古戦場での結果である。以降尼子氏の勢力は急速に衰えていく。 先ず郡…

郡山城跡(1)

夏休みに、広島県安芸高田市吉田町にある郡山城跡に登ってきた。歴史民俗資料館に入ってもらった入館券には、郡山城跡について次のような説明がある。南北朝時代、安芸国吉田庄の地頭職として定着した毛利氏が、その勢力を拡大していくなかで、一貫して本拠…

ブログも夏休み

今日から13日まで旅行に行くので、 しばらく筆をおきます。

個性の現れる歌

別に歌に限ったことではなく、作品と呼ばれるものには個性が現れないと面白くない。勅撰和歌集を見ても、名歌秀歌は多いが歌人の個性が現れた歌はそう多く無い。その時代は、個性を議論するような文化は未発達であったのだ。大体においてよく出来た無難な作…

『昭和短歌の精神史』(5)

やっと『昭和短歌の精神史』を読み終えた。あとがきに、この本を書いた趣旨が簡潔に記されている。要約すると、 「私たちが今日読むことのできる昭和短歌の通史は、戦後民主主義の価値観に基づいて書かれている。そのために短歌史は占領期文化の尺度を抜けら…

短歌人夏季集会(2)

今日は終日歌会で、終わりにさよならパーティ。 歌を作る上での基本的な留意事項を、例を引いてあげておこう。いずれも小池 光の指摘である。 老人の死にたいは嘘かも知れぬ義母(はは)の病への強 (したた)かさみれば *下句の一例をもって老人全体に一般化し…

短歌人夏季集会(1)

今日と明日は、短歌人の夏季集会。逗子の湘南国際村センターで開催される。今日は夕方からオープニングセレモニーと三枝昂之の講演である。セレモニーでは、今年の高瀬賞(新人賞)と評論賞の紹介並びに受賞者の挨拶が主体。今年は幸運にも評論賞をもらうこ…

短詩型の自立性

「俳壇」八月号で詩人・思想家の吉本隆明が「詩歌のゆくえ」という題で語っているが、俳句に関する彼の考え方が参考になる。以下に要約しておく。 *芭蕉と蕪村とでは、比較しようがない。蕪村は絵描きであり、 俳諧は余技であった。 *俳句では、主観性の言…

花火

今の季節、日本の夜はあちこちで花火が打ち上げられている。歴史を見てみると、中国は宋代(九六0年〜一二七九年)頃から、一方ヨーロッパでは、フィレンツで十四世紀後半頃から始まったという。わが国には、十六世紀半ばの鉄砲伝来に続いて入ってきたらし…

山蛭注意

ともかく体重を四キロ減らさなくてはならない。定期健康診断の結果である。小田急・本厚木駅からバスに乗って飯山観音にゆく。飯山白山森林公園になっていて、ふもとは小さな温泉郷である。飯山観音は通称であり、正式には飯上山如意輪院長谷寺(ちょうこくじ…

八月一日

今日から八月。靖国神社拝殿社頭の掲示が替った。今回のパンフレットには、昭和天皇の御製が載っている。千鳥ヶ淵戦没者墓苑の碑にある次の歌である。 国のため 命ささげし 人々の ことを思へば 胸せまりくる 遺書の主人公は、航空軍司令部所属、昭和十九年…