天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2007-01-01から1ヶ月間の記事一覧

新素材を詠む(続)

角川『短歌』2月号にも、『俳句』と同様、新素材を歌に詠み込む小特集が組まれている。題して「新しい対象・言葉を安易に使う怖さ」。論者は宮本永子、日置俊次のふたりで、秀歌三十首選を黒岩剛仁が担当している。日置俊次は、小島ゆかりの詠法に焦点をし…

新素材を詠む

角川『俳句』二月号の特集「新素材を詠んで新境地を拓く」にはいくつか面白い評論がある。「好奇心と方法論」という総論は、藤原龍一郎が担当していて、連歌俳諧の時代から新しい境地を求めてきたことを強調し、これからも新素材をどんどん詠んで新境地を拓…

梅の花のうた

梅の花が盛りを迎えつつある。紀元700年頃に中国から渡来したらしい。歳時記を見ると、好文木、花の兄、春告草、香散見草、匂草、風待草、香栄草、初名草 などの別名がある。万葉集には、萩に次いでよく詠われており、119首があるという。和歌ではもっ…

大伴家持(6)

多田一臣著『大伴家持』を読み進めていて、ちょっと違んじゃないの、と思うところがいくつかある。常に都を恋しく思い、越中の国を鄙・異土と見て方言を風俗として歌に詠んだという観点である。だが、家持が取り上げた方言や地名は、大変美しい音感をもって…

小田原文学館

小田原文学館は南町二丁目にあり、西海子小路(さいかちこうじ)に面している。小田原にゆかりのある文人は多い。北村透谷、尾崎一雄、北原白秋、谷崎潤一郎、三好達治、坂口安吾、北條秀司、川田順 など十数人いる。文学館と同じ庭に白秋童謡館と移築された…

道を拓く

『短歌研究』2月号で、「アララギ系と非アララギ系――その接近と反発」という特集を組んでいる。現代短歌では、個性が現れればどんな行き方をしようと構わず、アララギ系(写実派)と非アララギ系(浪漫派)を意識して歌を作ることはない。どの論者もそうし…

知事選に思う

多田一臣著の『大伴家持』を読んでいて感じたこと。 家持は二十九歳の若さで越中国司になったが、最上位の守である。現在の知事に相当しよう。国司は、それぞれの国において,戸籍の作成,班田収授,租税徴収,兵士の召集などを任務とし、管内では絶大な権限…

荏柄天神

鎌倉の荏柄天神は二階堂にある。変わった名前だが、その由来について、参道の鳥居左側に建つ石碑には、ほぼ次のように書かれている。 和名鈔 当部に柄草と記せる 郷名あり 今其名を 失すれども当社附近の旧称なりしが如 草にカヤの 古訓あれば 江ガラは江ガ…

謎めく

『短歌研究』2月号を読んでいたら、それぞれの歌人の一連の作品の中によくわからない謎めいた歌がふくまれていた。まあ大体がそういう作りにするのだから、驚くにあたらないが。 短歌はもともと短い詩形なので、省略、飛躍、組合せなどですぐに理解できなく…

新年歌会

短歌人・新年歌会が、例年のごとく神田の学士会館で開催された。総合的にコメントをする立場の人たちは、さすがに細かく読み込んできていて、勉強になった。例によって、小池 光のコメントを以下にあげておこう。わが好みだが、なにせ歯切れがよい。 * 短歌…

大寒

よく知られた大寒の俳句といえば、例えば次のようなものか。 大寒の埃の如く人死ぬる 高浜虚子 大寒の一戸もかくれなき故郷 飯田龍太 今年の大寒は一月二十日。文字通り大変寒かった。天気予報と違って横浜は朝から雪がちらつきはじめた。鎌倉の長谷寺では、…

大伴家持(5)

中西 進編『大伴家持』の中から、中西 進による越中以後歌作終了まで(三十四歳〜四十二歳)の秀歌鑑賞について。歌の構造面からの分析はなく、当時の政治的背景からの解説なので、要約は最小にしておく。家持は中国文学が扱う素材と情緒を学び、政争に巻き…

大伴家持(4)

中西 進編『大伴家持』の中から、岡井隆による越中時代(二十九歳〜三十四歳)の秀歌鑑賞につき、部分的に要約しておく。 ま幸くと言ひてしものを白雲に立ちたなびくと聞けば悲しも *家持が越中に赴任したのは、二十八歳の時。家持は、形式の 整序について…

大桟橋

JR桜木町駅から赤レンガ倉庫、大桟橋、山下公園、港が見える丘公園、外人墓地、元町商店街を通り、JR石川町駅に出るのがわが定番の逍遥ルートである。マリンタワーも氷川丸も公開が終了して、それぞれリニューアルされる。以前は時々中を散歩したものだ…

大伴家持(3)

先に注文しておいた残り2冊(多田一臣『大伴家持―古代和歌表現の基層』と田中阿里子『悲歌 大伴家持』)が届いたので、3冊を並行して読んでいる。『大伴家持―古代和歌表現の基層』に期待されるのは、多田が「はじめに」で述べている表現史的な視点である。…

びっくり評

「歌壇」二月号の読者歌壇で、わが歌を取り上げて次のように評してくれていた。 滝おちてくれなゐの橋かかりたり山を彩るもみぢかへるで [評]端的な一首である。言葉と眼前の景色の間に些かの 間隙もない。滝の水幅を横切って枝を差し延べる紅葉を 橋とす…

大伴家持(2)

中西 進編『大伴家持』の中から、秀歌鑑賞のところを取り上げる。全部は無理なので、気になるいくつかにつき、鑑賞者が秀歌と判断する要点を見ていこう。加えてわがコメントも。今回は、高野公彦担当の青春時代(家持27歳まで)の作品から。 振り仰けて若…

三渓園

JR根岸線・根岸駅からバスで本牧市民公園にゆき、上海横浜友好園を通って南門から三渓園に入った。入園料は五百円。以前は内苑に入るときには、別料金をとっていたが、最近は外苑も内苑も料金の区別はなく、一律五百円で済む。まずは海岸門をくぐって内苑…

富士と菜の花

今朝のNHKテレビの天気予報で、神奈川県の吾妻山山頂では菜の花が咲き、かなたに雪をかぶった富士が見えることを映像で説明していた。去年12月10日にすでに紹介したが、あらためて行ってみた。なんとも大勢の人が吾妻山に登っている。たぶんみんなN…

大伴家持(1)

インターネットで大伴家持に関する書籍を注文した。もちろん古本で、中西 進編『大伴家持』、田中 阿里子『悲歌 大伴家持』、多田 一臣『大伴家持―古代和歌表現の基層』 の3冊。 先ず中西 進編『大伴家持』が届いたので、さっそく通勤電車の中で読み始めた…

写生技法の功罪

正岡子規に始まって、高浜虚子、斎藤茂吉などが俳句や短歌における写生技法を盛んに称揚したが、後に水原秋桜子や荻原井泉水など反発する勢力も現れた。たまたま本棚から「国文学」平成八年二月臨時増刊号の「俳句の謎」という特集をめくっていたら、坪内稔…

寒牡丹

鶴ヶ丘八幡宮の牡丹苑では、寒牡丹が見頃になっている。牡丹は中国で薬用として栽培されていた。根が血行障害や鎮痛に有効といわれる。日本には8世紀に渡来した。普通に牡丹といえば、夏の季語になり、5月頃が花の盛りである。寒牡丹あるいは冬牡丹といえ…

仕事始め

今日から出社、実質の仕事はじめである。昼休みに今年初めて靖国神社に行き、社頭掲示の一月の遺書を見てきた。 冒頭に昭和天皇の「社頭雪」と題する次の御製(昭和六年)がある。 ふる雪に こころきよめて 安らけき 世をこそいのれ 神のひろまへ 「安らけき…

睡蓮

スイレンには耐寒性と熱帯性の二種がある。前者の花は水面に浮び、後者の花は水面から30〜40センチ抜き出して咲く。今日、植物園で見たものは耐寒性の睡蓮であった。 もくれんのつぼみや空のいや青き 足首の失せし鳩くる日向ぼこ 七福神めぐり歩くや松の…

海荒れる

江ノ島の海は朝から荒れていた。風も凄まじい。新築の片瀬漁港の堤防に少し出て見たが、波飛沫でとても先端に行けたものでない。江ノ島寄りの弁天橋の上にも飛沫がかかっていた。この強風にも関らず晴天なので、正月はじめの参拝の人出は多い。とはいっても…

寒の入

今日は寒の入、おまけに朝から冷たい雨が降って、空調入れて炬燵にはいっていても寒い。しょうがないので布団に潜りこんで正岡子規著『俳人蕪村』の続きをお終いまで読んだ。続いて「俳句上の京と江戸」という文章を読み始めた。これがまた面白い。まずは、…

新春の北鎌

今週末は三連休のせいか、暮から正月休みに続けてずっと休んでいる勤め人が多いようである。鶴ヶ丘八幡宮に向う道は、自動車が長蛇の列をなしていた。よって今日は北鎌の円覚寺と東慶寺のみを歩いた。円覚寺は臨済宗を奉じ、正式名称は、瑞鹿山大円覚興聖禅…

大楠の杜

新春の熱海の行ってきた。といっても温泉ではなく、来宮神社と熱海梅園に、である。いかに暖冬とはいえ、さすがに梅も河津櫻も花には時期尚早であった。 来宮神社の境内では、仕事始めともなれば参拝者の数は少ないが、まだテントが残り、縁起物のお札や破魔…

箱根駅伝

今年も正月の二日、三日を東海道鉄砲宿の沿道に立って箱根駅伝を応援した。初日の一区と五区で出た記録にはびっくりした。テレビで見ても気持よくすばらしい走りであった。 箱根は万葉の頃から歌に詠まれている古い歌枕である。もっともその頃の箱根路と江戸…

諏訪神社

遊行寺の傍、東海道を挟んで向かい側に諏訪神社がある。正月の参拝では、ほとんどの人が、両方に出むく。諏訪神社は、全国に五千有余を数えるが、これは諏訪信仰による。即ち、長野県の諏訪大社の祭神である建御名方神(たけみなかたのかみ)と妻の八坂刀売…