天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

山頂の榎(2)

榎は、ニレ科エノキ属。本州から九州、朝鮮、中国に分布。実は食べられる。野鳥も好み、方々に運んでゆく。材は建築や器具などに利用される。 鵙啼くや立入禁止の木の遊具 もみづれるかまつかの実の赤きこと 流れ来し弟橘媛の櫛、小袖祀りし縁 吾妻山はや 西…

山頂の榎(1)

吾妻山の山頂に、まだ若いが幹のがっしりして立ち姿のよいエノキが一本立っている。やがてこの山の象徴になるであろう。そのうち童謡が作られるかも知れない。吾妻山の由来があり、万葉の歌がある。富士や大山の峰、相模の海、足元には菜の花やコスモスの花…

新古今集の動物

新古今集の中に現れる動物を、全部ではないが、頻度の高い順にあげると次のようになる。 全歌数は1978首あるが、うち222首に詠まれている。 ほととぎす: 47 雁(雁がね、初雁): 35 鹿(さを鹿、雄鹿): 26 鳥(山鳥、鴫、鳰、鳥立、水鳥、…

翡翠(カワセミ)

カワセミ科には赤しようびんもいる。梅雨時によく鳴くので、雨乞鳥・水恋鳥ともいう。翡翠、しょうびんは夏の季語。 翡翠に杭置去りにされにけり 八木林之助 屋久島は雨呼びやすし赤しようびん 邊見京子 こころよく河かぜ吹きぬ舞姫もうすもの着れば翡翠に似…

破れ蓮の池

材木座の光明寺に入り、本堂から左手に渡り廊下を通って縁側に座り、じっと破れ蓮の池を見ていた。初めはわずかに亀や鯉の姿を見るのみであったが、やがて、翡翠が飛んできた。あを鷺が石橋の下にいることに気づいた。ヒヨドリが飛び交う。鳶が池の面の何か…

サーフボードの少女

三連休の鎌倉ともなれば、街中はとても歩けたものでない。人ごみをさけて由比ガ浜から材木座海岸を歩いた。 小春日の潮風を嗅ぐ由比ガ浜 楠の実のあまたちり敷く道の辺に鎌倉の世のもののふの墓 朝の餌をとりてさはぐかかもめ鳥海面に下りてまた飛び立てる …

万葉集の動物

万葉集の中に現れる動物を、全部ではないが、頻度の高い順にあげると次のようになる。詞書、注などにも入っている動物も含めると946個所以上に現れる。全歌数4516首に対して21%以上に詠まれている。 ほととぎす(やまほととぎす): 154 鳥(とり、お…

『バグダッド燃ゆ』

岡野弘彦の歌集である。詩歌文学館賞と現代短歌大賞を受賞した。というわけで購入した。岡野は、釈迢空・折口信夫の愛弟子として、その歌風はすでに確立している。久しぶりに読む岡野調だが、この歌集に岡野弘彦の技量が集大成されていると思う。彼こそ和歌…

薬師林道

晴れ渡った秋の朝空に、神々しくも際立てる大山の峰を遠くに望むと、その頂にむしょうに立ってみたくなった。それで小田急線伊勢原駅に降り、大山行きのバス停に向うと、長い人の列ができている。ほとんどが老人である。どうやら大山寺の紅葉を見に行く人達…

中原中也(4)

詩集「在りし日の歌」を読み終えた。生前、中也が編集し小林秀雄に託して死去した。詩集名は中也自身がつけたのだが、彼としては、それまで作った詩の情緒と別れを告げ、新しい境地に進む意欲であったのだ。皮肉にも遺書めいた名前になった。佐々木幹郎の解…

不忍池

吉原遊郭跡を訪ねてから上野に引き返し不忍池を回った。枯蓮で池が埋め尽くされているが、その間を種々の鴨たちが泳ぎまわっている。野生の鴨たちだが、人間が与える餌に慣れてしまって、恐れ気もなく、足元に寄ってくる。公園の木々の紅葉にはまだ間があり…

見返り柳

「短歌人」十一月東京歌会は上野文化会館が会場になったので、午前中を台東区の旧吉原界隈を訪ねた。はじめに一葉記念館に入った。手紙や原稿など展示品は全て複製のようであった。記念館前の小さな公園に、昭和二十六年十一月に建立された「一葉たけくらべ…

オカピ

コンゴ民主共和国北東部とウガンダ西部の熱帯雨林に生息する。1901年、探検家ハリー・ジョンストン卿によって発見された。偶蹄類キリン科の哺乳類。危急種とするか絶滅危惧種とするか判断できないほど情報が少ない。初めはウマ類の祖先かと思われたが、キリ…

高尾山

久しぶりに秋の高尾山に登ってみた。今回は6号路をたどった。紅葉は始まったばかり。高尾山は、東京都八王子市に属する標高約600メートルの山である。修験の場として聖武天皇の時代に開かれた。その中心である薬王院は、天平十六年(744)に聖武天皇の勅命…

みせばや

駿府城跡の茶室公園に入った時見かけて、名前が分からなかったので、受付の女性に教えてもらった。後で辞書に当たってみたら、以下のようにでていた。 ミセバヤ ベンケイソウ科 別名 たまのお。原産地は日本や中国。19世紀末にヨーロッパに伝わった。ヨー…

中原中也(3)

中原中也の詩集「山羊の歌」を読み終えた。中也生前の唯一の出版物である。母から当時の金で300円を貰って出版を試みるも資金不足になり、中断したが、死の直前にやっと日の目を見た。それはともかく、詩は文芸の極致であると感じた。つまり言葉・言霊の…

菊花展

この時期、日本全国の神社や公園で菊花展が開かれる。新聞には、菊作り日本一が発表される。菊は中国原産で、わが国には奈良時代以降に渡来し、江戸時代に改良が進んだ。花の形状により管物、厚物、平物など、系統には嵯峨菊、伊勢菊、肥後菊、美濃菊、江戸…

中原中也(2)

ところで、パネル展示されている詩を見ているうちに、童謡詩人の金子みすずの情緒によく似ていることに気づいた。年譜を見比べて驚いた。生涯がかなり重複している。 生年 没年 出身地 金子みすず 1903年 - 1930年 山口県大津郡 中原中也 1907年 - 1937年 山…

中原中也(1)

雨の日は郊外を歩く元気も出ない。鎌倉文学館に行く。見飽きるほど何度も来ているのだが、しょうがない。「企画展 中原中也」が開催されていた。原稿、創作ノート、手紙、愛用品などの資料を見た。中也風七五調で文学館の状況を書くと、 雨がぼそぼそ降って…

駿府城跡

駿河国は、室町時代以降、今川氏が治めていた。九代義元の時、徳川家康は人質として七歳から十八歳までの間、駿府で暮した。義元が桶狭間の戦で織田信長にやぶれてから、駿府の領主は、いったん武田氏になり、それを家康が追い出して駿府城を建てた。だが、…

ウミウの岬

久しぶりに城ヶ島に行った。京急三崎口からバスで東岡まで。そこから歩いて見桃寺(桃の御所跡)へ。見桃寺を詠んだ白秋の歌を次に一首。 見桃寺冬さりくればあかあかと日にけに寂し 夕焼けにつつ ここから更に歩いて北條の入江を回り大椿寺(椿の御所跡)へ…

袖ヶ浦、梅沢

湘南二宮町の吾妻山は、ヤマトタケルと弟橘媛の例の記紀伝説に由来している。海岸側に袖ヶ浦とか梅沢とかの地名があるが、浦賀水道の海に身を投げた弟橘媛の小袖が流れ着いた場所であり、流れ着いた櫛を埋めた場所であるという。地名起源説話だが、実際に地…

「切れ」の由来(3)

ところで現代短歌においても「切れ」の手法は極めて重要である。切れの前後の展開で叙情の質が多様に変化するからである。和歌の時代、第3句(腰の句)と第4句との間にこの「切れ」があからさまであったり、断絶した感じを与えると腰折れといってヘボ短歌…

「切れ」の由来(2)

連歌の初めは、倭建命が東征の帰途、甲斐国に入り酒折宮に留まって、土地の翁と次のような片歌のやりとりをした(古事記に記載)ことにある。 倭建命: 「新治、筑波を過ぎて幾夜かねつる」 火焚きの翁:「かゞなべて夜には九夜、日には 十日を」 奈良・平安…

「切れ」の由来(1)

先日6500円で購入した『田中裕明全句集』(ふらんす堂)を読んでいる。田中は2004年12月、45歳の若さで生涯を閉じた。俳句の高い才能を惜しまれながら。それはともかく、彼の作品から俳句の「切れ」についてあらためて考えさせられた。世界最短…

宝物風入れ

毎年恒例になっているが、この時期、北鎌倉円覚寺では宝物の風入れが行われる。絵や古文書を方丈の壁にかけたり、机に広げて参拝客に見せる。舎利殿の境内にも入ることが許されて、僧が国宝の建築上の来歴・特徴を説明してくれる。また駅周辺の寺の参道では…

薔薇と軍港(2)

ヴェルニー公園は、JR横須賀線の横須賀駅を出てすぐの海沿いにある。江戸末期、横須賀に製鉄所を作ったフランス人技師ヴェルニーと推進役の小栗上野介忠順の胸像が並べてあり、薔薇が栽培されている。公園の向かいには海域を挟んでアメリカ海軍に貸与して…

薔薇と軍港(1)

正岡子規は、明治二十一年(1888)八月、夏季休暇を利用して、汽船で浦賀に着き横須賀・鎌倉に遊んだ。七月に第一高等中学校予科を卒業したばかりで、22歳。余談だが、鉄道の横須賀線が開業したのは、翌年の明治二十二年であった。横須賀の印象を詠ん…

源氏山

鎌倉・寿福寺の山門前に、昭和三年三月鎌倉町青年団が建てた「源氏山」の碑があり、名称の由来が次のように書かれている。 源氏山は初め武庫山と云ひ 亀ヶ谷の中央 にある形勝の地なるを以て 又亀谷山とも 称せり 源頼義 義家父子 奥州征伐の時 此山に旗を立…

桐の実

桐はノウゼンカズラ科の落葉高木。その実は熟すると硬くなって二つの殻に割れる。大船玉縄の曹洞宗・龍寶寺の境内で珍しくも見かけた。 桐の実や秩父を雲の出でて行く 神蔵 器 桐の実のからから美濃の娶り唄 上野登み子 風吹かば桐の実鳴るや大伽藍