天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

十二月三十日の吾妻山

行く年の終りに吾妻山に登った。等圧線の間隔が狭まって北風が強い朝。東斜面の枯れ木立の根方に水仙が花を咲かせている。ヒガンバナ科スイセン属のラッパスイセンだ。浅間神社の下から吾妻神社へ回り、そこから山頂に登って驚いた。満開の菜の花畑が広がっ…

河豚

冬に美味い魚の代表に、河豚がある。俳句でも冬の季語になっている。河豚にはいろいろな種類がある。クサフグ、コモンフグ、ヒガンフグ、ショウサイフグ、マフグ、メフグ、アカメフグ、トラフグ、シマフグ、ゴマフグ、カナフグ、サバフグ、キタマクラ 等。こ…

里山を想う(続)

免許更新の手続きを戸塚警察署で済ませた後、舞岡公園に行った。昔、この一帯を腰(越)村と呼んで居た頃、白幡が空に舞ったので村の名を舞岡に改めたと云う。乾元元年(西暦一三0二)に石清水八幡宮を勧請して村社を作り舞岡八幡宮とした、と伝える。いく…

俳句でのリフレイン

先日、詩の原型はリフレインにあり、という話をしたが、俳句については、{藍生}1月新年号黒田杏子主宰の巻頭に例がいくつも出ている。 葛棚のはたして黄葉してゐたる *「して」のリフレイン 小木の柿九度山の柿日田の柿 *「柿」「の」のリフレイン 病歴…

伊丹十三映画の影響

現在、BS放送で伊丹十三監督の映画作品を放映している。「マルサの女」を見て驚いた。北野武監督「座頭市」の作り方をすぐに連想したからである。バックに流れている音楽のリズムと影像の流れにそれを顕著に感じる。北野監督は伊丹監督作品を詳細に分析し…

こゆるぎ

湘南海岸に、こゆるぎという地名は二箇所ある。大磯町付近の海浜と鎌倉腰越付近の海浜である。前者は、「小余綾の磯」という歌枕になっていた。腰越の方にはこゆるぎ小動神社がある。文治年間の源平合戦の際、佐々木盛綱が領国近江の八王子宮を勧請した鎮守…

師走・江ノ島(2)

片瀬漁港は、弁天橋を挟んで腰越漁港の反対側に位置する。完成したばかりで、繋留している漁船は少ない。平日の埠頭では、老年の釣り人を多く見かけるが、雑魚ばかりが釣れている。 ひよ鳴くや八拾貫の力石 山茶花や拍手うてる奥津宮 龍恋の鐘にうつ向く水仙…

師走・江ノ島(1)

江ノ島にくる観光客が期待するものに魚料理がある。特に生しらすの店に人だかりが多いようだ。天麩羅にしても美味い。こうした店は近くの腰越漁港にあがる魚貝類を提供しているのであろう。以前は行きつけの店があって、この時期ならサザエのつぼ焼きや鯵の…

仏像の道

久しぶりに上野の博物館に入った。さすがに歳晩の館内は閑散としている。東京博物館一階の一角に「仏像の道」と題して、仏像の誕生から進化する過程を、地域と時代を代表する仏像の展示によって説明している。ここを出てから、法隆寺館に回って飛鳥時代の鋳…

チロリアンランプ

住宅地を通っているとき、たまに庭の垣根にみかける珍しい植物である。ウキツリボクあるいはアブチロン・メガポタミカムともいう。熱帯原産、アオイ科の一属で100種類もあるらしい。 風の吹く落葉に埋まる庚申塔 天帝にわが罪状を告ぐるといふ庚申の夜の…

荷風の俳句(2)

前回は分かりやすい作品をあげたが、今回は分かりにくい句の例をあげる。 羽子板や裏絵さびしき夜の梅 *夜の梅が裏絵になっていたということらしいが、 羽子板にしては異様な感じがする。さびしい、とは 思えない。 春の船名所ゆびさすきせる哉 *わかるが…

荷風の俳句(1)

「俳壇」新年号の末尾に永井荷風の俳句について半藤一利が紹介している。荷風は生涯に6百句余りの俳句を作ったというが、彼自身が出した『荷風句集』には、百十八句のみ自選してある。荷風の生活を偲ばせる句が特に面白い。いくつか抜き出してみる。 永き日…

里山を想う

藤沢市の新林公園は、もともと里山であったところだろう。大きな池を囲むように山があり、その尾根道の傍に獣落し(ししおとし)が掘られていた。そして麓には、田んぼが広がっていた。 宅地開発によって林も田んぼもどんどんなくなって、ついには公園にして…

詩の原型

詩の原型は繰返し(リフレイン)にあり。これが今日主張したい仮説である。視覚でも聴覚でも同じものの繰返しがあると安定感があり様式美を感じる。詩の始りである。 先ず視覚の世界で考えよう。図形をとって見れば、長方形、平行四辺形、台形、平行線などは…

歳末の街川

今年の師走は、例年になく暖かい。薄気味悪いくらいだ。近年の街川は汚れがなく魚も多く棲んでいる。小魚を狙って鷺の類が川中や川縁に立っている。アオサギのような大型の鳥はどこに棲んでいるのか、見かけるたびに気になる。 烏瓜テニスコートの金網に 佇…

短歌と句読点(2)

そこで句読点の歴史が気になってきたので、ちょっと調べてみた。大変奥が深い。なにせ、句読点研究会というものがある。 日本語において句読点が使われ始めたのは、明治20〜30年代であるらしい。それ以前、例えば、明治18年刊行の坪内逍遥『小説神髄』には、…

短歌と句読点(1)

短歌の表記に句読点を入れた釈迢空(折口信夫)の意図がわからない、と先日の「短歌朗読(5)」に書いたが、それなら彼自身がどこかに書いているはずと思い、『釋迢空短歌綜集』を調べてみた。すると、あった! 歌集『海山のあひだ』の「この集のすゑに」と…

銀杏

黄葉の銀杏が街中にも山の中にも金色に輝いてこの世のものとも思えない。この時期になると必ず思い出す名句がある。 銀杏散るまつただ中に法科あり 山口青邨 短歌では、次の作がよく知られている。 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり 夕日の岡に 与…

短歌朗読(5)

『現代歌人朗読集成』には、釈迢空の長歌、短歌も載っており、彼の肉声の朗読が収録されている。ただ、とまどってしまうことに、句読点やスペースが記入されているにも関わらず、朗読における間の取り方、息継ぎの場所とほとんど無関係になっている。 例えば…

あまりに自由な

分厚い『田中裕明全句集』をリュックに入れて持ち歩き、電車の中で折に触れて読み続けているが、まだ半分ほどにも達していない。それは、俳句にあまりに自由な表現を取り入れていて、立ち止まることが多いためである。意味あいまい、難解など通常の句会では…

短歌朗読(4)

わが国には神話の時代から独自の音楽があったのであろうか? 大陸から伝わった楽器・譜面が契機になって発達したのだろうか。記紀歌謡では、既に和歌の形式が中心になっているので、楽曲との関係がはっきりしない。 歌会始や冷泉家主催の歌会での、あの独特…

短歌朗読(3)

和歌、短歌を声楽という観点から見るとき、歌謡との違いを確認しておく必要がある。文献の上での最古の歌謡は、もちろん、「古事記」「日本書紀」にある記紀歌謡である。ただ、それらがどのように謳われたか記録がないので、和歌の披講との違いが分からない…

短歌朗読(2)

披講の初期練習には、次の「君が代」が使われるという。 君が代は千代に八千代にさざれ石の いはほとなりてこけのむすまで 「読上」「甲調」「乙調」「上甲調」というそれぞれの形式にのっとって練習する。『和歌を歌うー歌会始と和歌披講』についているCD…

短歌朗読(1)

短歌に興味を持ち始めたときから、疑問に思っていたことがある。未だに納得できていないこと。それは、短歌という言葉に歌が含まれているのだが、歌として読まれる場面が少ないこと、歌会始での読み方が現代人が思っている歌とは感じられないこと、朗詠とは…

シクラメン

日本では、クリスマスが近づくと花屋さんには、鉢植えのこの花が並ぶ。サクラソウ科の球根植物。シリアからギリシャにかけての地域が原産地である。俳句では、春の季語。 園芸上の改良品種も多い。大輪のパーシカム咲、花の縁が縮れるパビリオ咲、縁が細かく…

紅葉狩(続)

すこしまともな紅葉狩をしてみんと、鎌倉の裏山を散策することにした。覚園寺境内の紅葉をみてから裏山の道をのぼり、天園の尾根を伝って瑞泉寺の裏山から境内に降りた。 晴天の朝に黄や朱のもみじが目に沁みた。鶴ヶ丘八幡宮の例の大銀杏も全身黄に染まって…

椋鳥

会社からの帰り、藤沢駅北口に出て驚いた。おびただしい数の椋鳥が、欅に群れてけたたましい声を上げている。近くには楠の木も二、三本あるのにそちらには全く止っていない。ヒッチコックのサイコサスペンス映画「鳥」を思った。そこに出てくるのは、無数の…

冬薔薇

冬薔薇といえば夏の薔薇と比べて淋しげな花の姿を思うが、近年は真冬でも色鮮やかな花をつける園芸種が多い。 つるばらの冬さくばらの白さみよ 久保田万太郎 冬薔薇石の天使に石の羽根 中村草田男 かぐはしき天使の顔と書かれたり鼻近づけて薔薇の香を嗅ぐ …

日本語歌謡の特徴

考えるほどに不思議な感じになるのだが、五七調、七五調は、わが国歌謡の基本的韻律である。記紀歌謡にはじまり、長歌、旋頭歌、短歌から現代の歌謡曲にいたるまで、この韻律が底流をなしている。まことに単純な規則がわが国の詩歌を支配していることが不思…

紅葉狩

周知のように紅葉の名所を訪ねてその美を愛でることが紅葉狩である。古代から平安時代にかけて広く行われていた。春の花見に対応する。黄葉も併せている。万葉集では黄葉とかいて「もみち」と清音で詠んだ。 秋山の黄葉を茂み迷ひぬる妹を求めむ山道知らずも…