天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2007-02-01から1ヶ月間の記事一覧

短歌の音楽性(続)

NTTの故障サービス係に依頼して、ルータを点検して貰った結果、ハードウェアの故障らしい。とりあえず替わりのものを貸してくれたので、なんとかインターネットにアクセスできる。修理するより、新しいルータを購入する方が安いらしいので、その方向で進…

通信不良

前回はPCが故障してファイルが消滅し、エライことになったが、昨夜は通信不良が発生した。メールもインターネットも使えない状態。よって、復旧するまでブログを休みます。

短歌の音楽性

「短歌現代」3月号で、「一首の音楽」という特集を組んでいる。まだ全部を読んではいないが、大変参考になる。中で小池光の評論「目で聴く音楽」は、他の評論との関連・対比で示唆に富むものである。文字に書いた短歌には、朗詠では感じられない、というか…

風光る

湘南海岸を江ノ島まで歩いた。さざ波の海に風が光った。黒いウェットスーツのサーファたちが小さな波に乗ろうとアザラシの如く海に浮んでいた。西方に雪を全身に被った富士が見えた。 何面かあるビーチバレーのコートでは、きたるべき夏に向けて熱心に練習を…

真鶴岬・荒井城址

JR東海道線湯河原駅の隣に真鶴駅がある。真鶴岬の入り口だが、そこから少し岬側に登ったところに、平安時代、周囲二キロメートルほどの谷戸構えの城があった。後三年の役(1083年)に源義家に従って活躍した荒井実継の居城である。鎌倉時代には土肥氏…

信長による処刑

フロイス『日本史―織田信長編』に出てくる残虐な処刑の例として、荒木村重の妻子・親族に架した刑がある。信長は、高山右近を通じて荒木村重に叛乱を思いとどまるよう翻意を促したが、村重はついに聞き入れなかった。こうした場合に信長の怒りは頂点に達し、…

春節

横浜中華街は、朝陽門、天長門、朱雀門、玄武門、善隣門、延平門、地久門 など七つの門で囲まれている。今は中国旧暦の正月、二月十八日が元旦に相当する春節であった。関帝廟には特に人が集まる。 横浜関帝廟の創めは、1862年頃に一人の中国人が関羽の…

我田引水

先週、今週と取り上げられたわが作品を紹介しておこう。 「俳句四季」三月号、伊丹三樹彦選より 里山の日の斑にひろふ木の実かな [評]里山といい、日の斑といい、言葉選びに秀れている。 そこに落ちているのは木の実だ。昔の人の暮しをも偲ば せてくれるで…

信長と伴天連(続)

フロイスの『日本史3ー織田信長編』は、ちょっと見ると日本語訳が読み難く、とっつきにくいが、丁寧にたどっていくと内容がなかなか面白い。はまりそうである。 信長の息子たちや家臣たちは、宣教師からキリスト教の教えを受けて感心したが、ただひとつ都合…

信長と伴天連

内藤 晶著『復元安土城』は、復元建築の詳細を極めて きたので半分くらいまで読んで、中断した。替って、 フロイスの『日本史3ー織田信長編』にとりかかった。 信長がいかにキリスト教布教に協力したかがわかる。 そして、日本における宗教の既成権力を嫌っ…

湯河原と文人(続)

昨日掲載の写真の説明を正確にしておこう。また連結写真をやめて分離しておく。独歩の碑についてである。国木田独歩は湯河原に三回保養に訪れたという。それをもとに短編小説をいくつか書いたが、碑には、そのうちの「湯ケ原より」の最後の一節が彫られてい…

湯河原と文人

湯河原は古代から温泉地として知られていた。万葉集巻十四に次の一首がある。 足柄の土肥の河内に出づる湯のよにもたよらに ころが言はなく 日露戦争の傷痍軍人を保養する場所としても提供された。養生園といい、万葉公園の一隅にあった。明治以降に訪れた文…

白旗神社

去年だったか一昨年であったか、相州における義経の足跡について書いた際に、藤沢の白旗神社について触れた。白旗神社についてもうすこし詳しく調べると、鎌倉鶴ヶ丘八幡宮の近辺に三箇所、白旗神社がある。源氏池の中島、若宮の横手、そして頼朝の墓所の下…

作意(続)

「歌壇」三月号を読んでいる。 文芸作品だから当然創作なのだが、作意がなんとも気になる。 前登志夫の作品10首「文語を生くる」は、従来パターンというか歌壇が期待するように作っているというか、「山人生活」の売りがどうも鼻につく。もうちょっとテー…

作意

今日発行された「俳句研究」3月号に、鷹羽狩行の特別作品33句が掲載されている。鷹羽狩行には、昔から見立てというか作意の勝った作品が多い。今回も目立つ。俳句では作意が感じられると、上手いと思うことはあっても評価できない。 一枚の明るさを置く薄…

革新的俳句と時事俳句

「俳句研究」2月号で、小林恭二が永田耕衣の作品を解説している。 俳句文法に造反しながらも句柄を大きくしていき、革新的名品を 産んだ、という評価である。名品を3句挙げる。 死蛍の照らしをかける蛍かな *「照らしをかける」という措辞が秀逸。 少年や…

信長の理想

『信長の夢「安土城」発掘』(NHK出版)を読み終わった。久しぶりに知的でスリリングな本に出会った。従来の信長に関する通念を打ち破るドキュメントである。時代が違うとはいえ、日本の政治・自治体の理想像を考える上で、大いに参考になるような気がす…

梅林と流鏑馬

今年も下曽我の梅まつりでは、流鏑馬が開催された。去年のブログですでに紹介したので、詳細は省略するが、ともかく大変な人出であり、道路は自動車の列でバスがなかなか進まない。もうこりごりだ。 下曽我やここも車座梅見酒 女らの北條太鼓梅薫る 白梅や流…

地福寺

梅が咲き始めるといくつかの有名な梅林と共に大磯の地福寺を思ってしまう。真言宗の寺だが、庭の梅の木の下に島崎藤村夫妻が眠っている。藤村の故郷は木曾の馬籠なので、そこにも墓所はあるが、実際の遺骨は地福寺にある。遺骨を故郷に返せ、いや返さないで …

ねばりある表現

わが作品は、論理的に明白で表現が淡白、という点を常々反省している。数学が好きで仕事はITが専門だからその習性が反映している、といっては元も子もなくなるか。よって人の作品を読むときには、どうしてもねばりのある表現に関心がいく。「俳壇」二月号に…

安土城発掘

安土に行く前に注文しておいた安土城に関する本が今頃届いたので、通勤電車の中で読んでいる。NHK出版から出た『信長の夢「安土城」発掘』である。これは平成十三年二月十七日、NHKスペシャルで放送された内容の詳細版。テレビではCGを駆使してすば…

湯河原梅園

幕山(まくやま)のふもとに拡がる湯河原梅林は、二月中旬から三月上旬が見頃。梅林の奥には椿の林、桜の林が続く。椿の花は次々に咲き次々に散る。つぼみが一杯ついているのに、地面には花が落ちて朽ちている。ここに来る時は、幕山山頂にのぼるなりしとど…

安土城・縈見寺

織田信長について、我々は虚像を植え付けられているのではないか? イエズス会宣教師のルイス・フロイスが残した記録、例えば「信長は神になりたかった」といった言説に左右され過ぎていたのではないか。今谷明著『信長と天皇』を読んでいると、資料の見方が…

霜夜にかをる梅の花

2月の靖国神社社頭掲示リーフレットから。昭和天皇の御製があり、お題は「社頭寒梅」で、昭和二十年の作。 風さむき 霜夜の月に 世をいのる ひろまへきよく 梅かをるなり 今月の遺書の主は、千葉県出身の陸軍軍曹。昭和十八年六月、千島列島東方の磐城島に…

立春の歌会

昨日が節分、よって今日は立春。午後から「短歌人」横浜歌会が、戸塚の横浜女性フォーラムで開催され、10名が参加。気候は不気味なくらい暖かく穏やかであった。題詠は「布(木綿、絹、麻など可)」。作者名を伏せて、題詠に出たコメントを簡単に紹介して…

嗚呼、安土城

春の雪が降る中、安土城址に登ってきた。大手道の上り口、左手には羽柴秀吉邸跡と伝える石垣が連なる。敷地は相当立派であり、当時の秀吉の地位が容易に想像される。雪の積もった急峻な石段を登って天守閣跡に立った時、はじめてこの城の地理的意義が理解で…

旅行中

『信長と天皇』を携えて、安土に来ている。 後日、詳しく報告します。

資料の読み方

今谷明著『信長と天皇』講談社学術文庫 を読んでいる。戦国の覇者で自分が天皇の地位につこうとした者に、足利義満がいたらしい。この本は、織田信長がそうした考えを持っていたかどうかをさまざまの資料をもとに考察している。ここでそれを紹介するつもりは…