天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2007-03-01から1ヶ月間の記事一覧

姫路城

金曜日に出張があるときは、できるだけ一泊して翌日を物見遊山にあてることにしている。今回は姫路に出張だったので、世界遺産に登録された姫路城を訪ねた。随分昔に、やはり花の時期に遊んだ記憶があり、もっとゆかしい花の苑であったような気がするが、そ…

上句と下句の衝突

「短歌研究」四月号の特集であるが、これは古典的な課題。俳句でも二物衝突という方法論が古くからある。モンタージュ、コラージュとも言う。 奈良七重七堂伽藍八重桜 芭蕉 花の香や嵯峨の燈火きゆる時 蕪村 短歌における上句と下句の句切は、常に三句目にあ…

著莪の花

しだれ桜を見た後、入生田から石垣山の一夜城跡に登った。太閤の一夜城として有名だが、実際は、約四万人が動員され天正十八年四月初から六月下旬まで八十日間を費やしたという。 山桜が数本咲いていたが、沿道の染井桜はまだまだである。それよりもそこここ…

花狂い

今年も桜の時期になった。日本中が花に狂う。小田原には数箇所、桜の名所があるが、毎年欠かさず行くのは、入生田の長興山・紹太寺のしだれ桜である。さっそく訪れてみたが、まだ三分咲き程度であった。まあ休日ともなれば、大変な人出になりとてもではない…

豊川稲荷

京都の伏見稲荷、佐賀の祐徳稲荷と並んでわが国三大稲荷のひとつ。年間の参拝者は数百万人というから凄まじい。曹洞宗・豊川閣妙厳寺の境内に鎮守として祀られた豊川吁枳尼真天(とよかわだきにしんてん)の通称で、室町時代の開創と伝える。本殿には千手観…

岡崎城

岡崎公園の桜はまだ莟の状態であった。夜桜見物用の電気提灯はすでにずらりと掛けてあったが。 岡崎城について。案内板によると、15世紀中頃(室町時代)、西郷弾正左衛門頼嗣が現在の位置にはじめて城を築き、のちに家康の祖父である松平清康が入城し本格…

御油の松並木

慶長九年(1604年)、徳川家康は奉行・大久保長安に命じて東海道の御油宿から赤坂宿までの約600mの間に650本の松を植えた。これが御油の松並木である。現在は、350本程度が残る。古い松の切り株の後に若い松の苗が植えられ、保存が心がけられ…

『緑色研究』の馬

塚本邦雄には、例の名歌「馬を洗はば馬の魂冴ゆるまで・・・・」をはじめとして馬の歌が大変多い。試みに『緑色研究』を開いて見れば、全340首の内に、次のような歌が見つかる。 断食の睡眠ただよふばかりなるわれ越えて緋のコザック騎兵 われらからだの…

邦雄批評

坂井修一著『斉藤茂吉から塚本邦雄へ』を一気に読了した。ここには、「Ⅰ 斉藤茂吉」「Ⅱ 塚本邦雄」「Ⅲ 馬場あき子」「Ⅳ 佐佐木幸綱」という四人の歌人についての評論が載せてある。一番迫力を感じたのは、やはり「Ⅱ 塚本邦雄」の部であった。この著者の本領…

小米花

昨日、覚園寺山門で見かけた小米花について。雪柳、コゴメヤナギとも言い、漢名は噴雪花。このほうが花の状態をよく表す。この写真に見るとおりであるが、バラ科の落葉低木で、今頃の季節に葉と共に雪白5弁の小花を多数つける。俳句で春の季語。 鉄橋のとど…

彼岸

今年は桜の開花と彼岸が同時期になった。鎌倉駅には、鎌倉霊園行きのバスを待つ長い人の列があった。報国寺に行くつもりであったが、このバスに乗ることになるのであきらめ、鎌倉宮行きに乗り、瑞泉寺に行った。境内には紫の花が咲き満ちていた。後で受付の…

色彩のある短歌

「歌壇」4月号には、「色彩のある短歌」という面白い特集が載っている。小島ゆかりと島田修三の評論がふたつとも読み応えあり。また、8人の歌人が十首ずつ色彩のある短歌を選んでいる。 これら選歌の中で目立つのは、塚本邦雄(4首)と高野公彦(5首)で…

詩的表現

「歌壇」4月号より。作品連載、巻頭作品から第一首目の歌をあげてみる。 尾根づたひ雨降りくれば花しろく涅槃と書けり杉の立木に 前登志夫 新しく広縁成りぬ冬日ざしよろこびて座る客人のごと 宮 英子 スーツケース一つで入りてゆく旅寝病院といふ小さきホ…

しらす

湘南とりわけ腰越や江ノ島付近ではグルメの間では、かならず「しらす」が話題になる。しらす丼やかき揚げが一般的。 しらす(白子)は、カタクチイワシ、マイワシ、ウルメイワシ、イカナゴ、アユ、シラウオなどの稚魚の総称。無色透明で生食、ゆで干し(ちり…

大阪城公園

気象庁の先の開花予報を信じて、金曜日の出張の夜を大阪で一泊、桜見物をともくろんだところ、直前になって実はコンピュータの入力ミスによる予報の間違いだった、というニュース。今更、ホテルをキャンセルするわけにもいかず、しかたなく一泊して大阪城公…

茂吉批評

『現代短歌作法』と同時に、坂井修一著『斉藤茂吉から塚本邦雄へ』を購入したのだが、表紙絵がなんともグロテスクで下品。内容は大丈夫か? 斉藤茂吉の章を 読み終えたが、難しくて説得力に欠ける。鑑賞現代短歌『塚本邦雄』(本阿弥書店)という名著を書い…

麗らか

先日、一見の価値ありと書いた円覚寺佛日庵のはくもくれんがやっと咲いた。もう咲いたろうと二度、三度訪ねたが空振りばかりだった。ただまだ満開でない。遊行寺の花の時期と比べると随分差がある。土壌や日当たりの違いでこうも違う。 また建長寺の佛殿の横…

和歌と短歌

小高 賢著『現代短歌作法』を取り寄せて読んでいる。短歌現代3月号で誰かが引用していたので、独自性のある高度な内容を期待していたのだが、どうやら入門書のようだ。 和歌と短歌の区別がどうもつかない、多くの短歌史を読んでも意外にはっきりしていない…

ミモザ

早春の花には、黄色のものが割と多い。福寿草、万作、山茱萸、菜の花、三椏、ミモザ など。なかでも絢爛豪華に見えるのは、ミモザであろう。ここで取り上げているものは、ミモザアカシアとも言い、オーストラリア原産の豆科植物で、かなり大きな木になる。明…

岡井隆研究2

第一歌集『斉唱』の前、習作時代(昭和二十年〜昭和二十二年)の歌をまとめた歌集に『O』(オーと読む)がある。昭和四十五年発行。岡井隆の自注を要約すると次のようになる。 十七歳の秋から十九歳の冬までの作品。〈模写〉への執着が、制作の主たる動機に…

高見順の詩碑

北鎌倉のはくもくれんについて補足しておく。円覚寺には仏日庵の他にもはくもくれんがあった。墓地である。歌人・高瀬一誌の眠る「高瀬家」の墓から左手下方に高々と二本が立っている。また、東慶寺境内にもあった。花が咲くと目立つので所在がわかるのであ…

岡井隆研究1

おおげさな題名をつけるが、これからの意気込みを表すためである。以前に、大枚を払って『岡井隆全歌集』(思潮社)4巻を購入したと書いたが、実はその時点からまだまともに読んでいない。 岡井隆は、アララギ流写実主義からスタートし、古典詠法、前衛短歌…

題詠「色」

先の日曜日に、短歌人・横浜歌会があり、そのときの題詠が「色」であった。いろいろ作って見たが、そこに出さなかった歌を次にあげておく。 屏風絵にありしがここに並び生ゆ松の廊下の跡の黒松 夕ぐれの景色車窓にながれたり「一棟涼暖の家」をかすめて 相談…

はくもくれん

木蓮の花の季節である。辛夷もモクレン科であるから咲き始めた。木蓮には紫木蓮と白木蓮とある。わが印象では、清水市にある次郎長一家の墓所の紫木蓮と藤沢市遊行寺境内の白木蓮がみごとである。北鎌倉円覚寺仏日庵(時宗廟)境内の白木蓮も一見の価値あり…

韻律に緊張を(続)

昨日の一例だけでは不十分なので、もう少し敷衍して考えてみよう。例歌を塚本邦雄からとる。奴隷の韻律、第二芸術と貶められた従来の短歌に、彼は革命をもたらさんとさまざまな工夫を試みたからである。 先ずは、語割れ・句またがり。昨日の茂吉の歌も意味的…

韻律に緊張を

一昨日の短歌人・横浜歌会の際に、平野久美子さんから少し古い雑誌の提供があった。その中から去年の「短歌現代」9月号をもらってきた。特集「現代短歌―その美をさぐる」から読み始めた。またまた小池光の面白い文章に出会った。「美は緊張にあり」という表…

大摂心

円覚寺の居士林では、学生座禅道場を開催していた。希望すれば一般人も参加できると書いてあった。今回は二泊三日の修業らしく、参加費は学生が三千円、一般が五千円。一度は経験してみたいと思っているが、なにせ正座が十分ももたないので、すでに参加の資…

桃の節句

新入社員の初め頃には、会社の寮の相部屋に住んだが、寮の風呂で皮膚病を移されてから、外にアパートを借りた。ところは横浜市戸塚区舞岡。その頃は春になると田んぼにはげんげが満開になった。現在も横浜戸塚区の別のところに住んでいるが、税が高いことに…

國のちから

三月になった。靖国神社拝殿社頭の遺書掲示を見に行った。配布用のビラには、はじめに明治天皇の次の御製が載っている。 年へなば 國のちからと なりぬべき 人をおほくも 失ひにけり 遺書の主は、戦艦大和と共に九州坊ノ岬南方沖に沈んだ海軍工作兵曹長。享…

フロイスの見方

ルイス・フロイスが安土・桃山時代の世相や日本人をどう見て日本歴史を書いたかが、この本からよくわかる。キリスト教に帰依した、いわゆるキリシタン大名には、すばらしい人格者として高く評価しているが、キリスト教布教に最大限の援助を惜しまなかった信…