天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

歌人たちの鎌倉9

岡本かの子は、大正十二年の夏に鎌倉駅近くの宿に逗留した。そこで同宿の芥川龍之介と知り合った。それが契機となったか、彼をモデルにした処女小説「鶴は病みき」を昭和十一年にに発表した。岡本一家は、大正十二年の夏の滞在を終えて鎌倉を発つ直前に九月…

風光る

これは春の季語である。南回帰線まで南下していた太陽が次第に北半球に帰ってくると、吹く風が鋭く光るように感じられる。いかにも早春の気配である。 冬川やごみを纏へるリム一輪 まほろばの菜の花畑雪の富士 薄き濃き植生分かれ影なせり雪かがやける丹沢の…

歌人たちの鎌倉8

太田水穂は、昭和九年に扇ガ谷に山荘を建て、十四年に妻の四賀光子と共に居を移して没年まで住んだ。水穂は昭和三十年に七十九歳で、また光子は昭和五十一年に九十一歳で亡くなっている。 白王の牡丹の花の底ひより湧きあがりくる 潮の音きこゆ 水穂 流らふ…

薄氷(うすらひ)

この「うすらひ」という言葉、広辞苑の第五版にも、角川の新国語辞典にも載っていない。古語、歌語なのだ。意味は字面どおり、薄くはった氷。俳句では、春の季語。 葛桶に薄ら氷ゆらぐ宇陀にをり 能村登四郎 佐保川に凍り渡れる薄氷の薄き心をわが思はなくに…

歌人たちの鎌倉7

山崎方代は、鎌倉の手広に昭和四十七年から昭和六十年に没するまで住んだ。 ここらあたりは相州鎌倉郡字手広草庵の 札下げて籠りたり 藤づるの畚(もっこ)に乗って湘南のむらがる 花の春にあいたり めずらしく晴れたる冬の朝なり手広の富士に おいとま申す …

歌人たちの鎌倉6

吉野秀雄は、昭和六年、鎌倉に永住すべく小町に転入してきた。昭和十一年に鎌倉短歌会をおこし、戦後には鎌倉アカデミア文学部の教授を四年間、廃校まで勤めた。昭和四十二年、六十五歳で逝去、瑞泉寺に墓がある。次の歌の碑が門前左側に立つ。昭和43年建…

鎌倉、初雪

去年の暮れから今まで湘南では見なかった初雪を、大寒が過ぎて見ることができた。瑞泉寺の歌碑に初雪が積もっている様を写真に撮りたくて出かけたのだが、途中で雨に変わってしまった。瑞泉寺から歩いて報国寺、浄妙寺と廻った。 山茶花や男の顔は履歴書と …

歌人たちの鎌倉5

吉井勇は幼少期を材木座の別荘ですごした。そこから鎌倉師範附属小学校にかよった。東京に移ってからも転地療養で鎌倉を訪れた。例えば次の歌がある。 鎌倉の海のごとくにひるがへる青草に寝て君を おもはむ 木下利玄は、大正八年に大町にやってきた。それか…

栗鼠

ここで寄り道。高徳院の裏庭で見かけたリスについてである。齧歯目リス科。鎌倉界隈で見かける種類は、タイワンリスであり、ニホンリスやホンドリスとは別種。北海道には、エゾリスとシマリスが棲む。 栗鼠ふたつ渓あひの岩に遊べればかささぎも来て 戯れむ…

歌人たちの鎌倉4

佐佐木信綱は大正十年、大町に別荘を建てた。『常盤木』や『思草』に鎌倉を詠んだ歌がある。 滑川やみ夜涼しき川口に長谷のあかりを なつかしむなり かはづの声吾家(わぎへ)めぐりて名越山 長勝寺山暮れ黒みたり 大き海に青垣山にかこまるるわが鎌倉は実朝…

大寒の寒川神社

JR相模線で藤沢から宮山に行く。歩いて相模川の岸辺に。早春の風に吹かれて青い川面と空を見る。今日は一段と風が冷たいせいか、釣りをしている人もいない。 大寒の日は、どこの神社もお祓いを受ける人達で賑う。相模国一之宮の寒川神社もそうだった。 か…

歌人たちの鎌倉3

正岡子規は、明治二十年代に二度ばかり鎌倉に立ち寄ったらしい。全歌集『竹乃里歌』を開いて見ると、あった。一度目は、明治二十一年四月五日、江ノ島に遊んだことがわかる。歌集に次の二首を残す。雨に降られたらしい。 しらぬ海や山見ることのうれしければ…

啄木鳥

ここで寄り道。高徳院の裏庭で見かけた啄木鳥に関してである。キツツキ科の鳥の総称で、青げら、赤げら、小げら、熊げら、山げらなど種類は多い。テラツツキ、ケラ、キタタキ、タクボクなどとも呼ぶ。 ものいはぬつれなきかたのおん耳を啄木鳥は 食めとのろ…

歌人たちの鎌倉2

鎌倉を詠んだ短歌と聞けば、一般の人は与謝野晶子の「美男におはす」を思うはずである。高徳院の裏庭に歌碑が建てられており、長谷大仏の観光客には、必ずといってよいほど紹介される。与謝野寛・晶子夫妻は、しばしば鎌倉に住む知人を訪ねた。 与謝野寛の歌…

歌人たちの鎌倉1

鎌倉文学館では、昨年の12月21日から今年の4月20日まで、鎌倉にゆかりの歌人たちの短冊、歌集、原稿などの特別展示をしている。行って来た。ゆかりといっても、旅行で立ち寄った、友人の鎌倉の別荘で過ごした、ある期間住んだ といったさまざまの縁が…

石切場

NHKの「小さな旅」で真鶴町の蜜柑畑の石垣と石切場を取り上げていた。真鶴で切り出された石材は、小田原城や江戸城の石垣に使われたという。小田原城を攻めた豊臣軍の一夜城には、近江穴太衆(あのうしゅう)が築いた野面積(のづらづみ)の石垣が残って…

青木

冬の山辺の公園で、熟した赤い実が目に付く植物である。ミズキ科の常緑低木で、葉につやがある。 磐座(いはくら)は常濡るる石青木の実 山田みづえ その上に日をいただかず青木の実 青柳志解樹 青木の実毎年落ちて生ひけらしここの谿間の多くの青木 木下利…

寒々しい冬の郊外を歩いていて黄色い花や果実を見かけるとほっとする。黄色や金色は人の心を暖かくゆたかにする力がある。果実では蜜柑や橙が多いが、たまに橘の実に出会うことがある。六月頃に、ゆかしい香の白い花を咲かせ、十二月頃に実をつけるが、苦く…

下鶴間

小田急線・鶴間駅からバスで下鶴間に行った。ここは東西に走る矢倉沢往還と南北に走る旧鎌倉街道とが交わる地点である。矢倉沢往還は、部分的に大山街道ともいい、江戸青山から南足柄の矢倉沢峠を経て、駿河で東海道に合流する古代の官道であり、旧鎌倉街道…

探梅行

去年から今年にかけて、関東の太平洋沿岸地方は、随分暖かい日が続いている。熱海の梅園では梅が咲き始めているだろうか。毎年のことなので、今年も出かけてみた。蝋梅と一部の紅梅がわずかに花をつけているのみで、遠見には全く目立たない。梅祭は一月十四…

わが国の神社の杜には楠の木が多い。大きな楠には神が宿ると考えられた。関東の楠の代表として、熱海来宮神社の樹齢2千年を越える大楠をあげることができる。境内には大楠を詠んだ歌人・佐佐木信綱の歌碑があることやこの神社から小川沿いに5百メートルほ…

くぬぎ

「くぬぎ」は「くり似木」が訛った名前という説がある。葉が栗の葉に似てぎざぎざしている。くぬぎの実がどんぐりである。椎茸栽培の原木に使われる。漢字では、橡、椚、檪 などをあてる。 争ひのこころわくとき部屋いでてくぬぎの下に 落葉をぞ踏む 木俣 修…

平氏池の白鷺

鶴ヶ丘八幡宮境内には、源氏池と平氏池のふたつがある。ぼたん園は源氏池の縁に沿っている。源氏池の方にはユリカモメ、各種の鴨などが群れているが、平氏池には鷺の類しか寄りつかないようだ。水深は浅い。この池に面しては美術館と喫茶店がある。 寒鯉の背…

寒牡丹

鶴ヶ丘八幡宮では、この時期、ぼたん園が開く。入園料が五百円なのはちょっと痛い。 普通に牡丹といえば夏の季語だが、厳冬に花を咲かせて鑑賞するのが寒牡丹である。冬牡丹、冬深見草ともいう。 かうかうと風は過ぎゆく寒牡丹 丸山哲郎 さきくさの三つの蕾…

除魔神事

鎌倉鶴ヶ丘八幡宮では、1月5日午前10時より除魔神事が執り行われる。鶴ヶ丘八幡宮のホームページでは、概略以下のように紹介されている。 装束に身を包んだ射手が大的を射る。弓矢には古来より魔を退ける力があるとされ、「破魔矢」もこのような信仰と伝…

初富士

正月の関東地方は快晴である。白雪を頂く端整な姿の富士はまことに美しい。 田児の浦ゆうち出でて見れば真白にそ不尽の 高嶺に雪は降りける 山部赤人 初富士へ荒潯船を押しあぐる 石田波郷 初富士の胸わたりゆく雲の影 伊藤敬子 古典の歌枕を今更歌に詠むこ…

海豚

家族連れで混みあう正月の水族館で一番の人気は、やはりイルカショーである。ところで、イルカとは不思議な言葉である。どこの国の言葉なのか。英語では、ドルフィン。漢字の海豚は、当て字なのか。辞書では、冬の季語になっているが、手元の歳時記には、残…

蟹(1)

正月が近づくと、わが国でもてはやされる食材のひとつに蟹がある。まあ、テレビの旅行番組やグルメ番組では、年がら年中蟹を食う場面がでるほど蟹好きである。思うに、美味いこともさることながら、茹で蟹の色艶に幸福感を抱くのではないか。金色、黄色、橙…

魚偏に雪と書くようにこれもまた冬が旬の食材である。マダラ、スケトウダラ、コマイなどが日本近海で取れるタラ科の仲間。北方の冷たい水を好み、深海といってよい深さに生息する。が、産卵期の十二月から一月にかけて、沿岸近くに集まってくる。とれたばか…

水仙

スイセンは、古く中国から渡ってきたらしい。スイセン属の野生種には30種程度あり、地中海沿岸に分布する。19世紀以降ヨーロッパで鑑賞用に改良されたという。ラッパ、大杯、小杯、八重咲、ジョンキル、房咲、口紅などに分類される。俳句では冬の季語。 …