天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2008-09-01から1ヶ月間の記事一覧

孔雀の死

鎌倉の長谷に光則寺という寺がある。日蓮が佐渡に流された際に、弟子の日朗が人質として幽閉された土牢が裏山の中腹にある。境内には、名札のついた様々の花が植えられていて、花の寺としても知られる。特にカイドウの花は有名。 以前にも紹介したが、実は池…

酸漿

鬼灯とも書く。ほおずき、である。ナス科の多年草。袋状の萼に包まれた赤い果実は、小さな穴を開けて種を抜き、口に含んで吹き鳴らす。現在では、こんな風情のある遊びは見かけなくなった。 うなゐらが植ゑしほほづきもとつ実は赤らみにたり 秋のしるしに 伊…

水引の花

タデ科の多年草。八月頃から十月にかけて枝先に細長い軸を伸ばし、赤い小花を穂のようにまばらにつける。白花のものを銀水引、紅白のまじったものを御所水引という。 わが二十(はたち)町娘にてありし日のおもかげつくる 水引の花 与謝野晶子 草の葉に風は…

女郎蜘蛛

平安時代以降、蜘蛛は「ささがに」と呼ばれていた。ただし、奈良時代には「ささがね」と言ったとの説もあるが詳細はわからない。蜘蛛の形が小蟹に似ているからである。「ささがにの」は枕詞で、「くも」「いと」「いづく」「いかに」「いのち」などにかかる…

下野の花

バラ科の落葉低木。下野国(栃木県)に多く見られたことから 「しもつけ」と名づけられた。平安時代にその名はすでによく知られていたというが、その時代の和歌に詠まれた例を寡聞にして知らない。 しもつけの花の花房鬼歯朶のひろがれる葉の かさなりの上に…

白秋の『雲母集』(10)

白秋と茂吉 白秋と茂吉は相互に影響し合った。二人とも『梁塵秘抄』に学んだ点も共通している。 茂吉の『赤光』発表当時、アララギ内部からは『赤光』所収の歌のかなりの部分は、杢太郎や白秋の模倣または影響であることを指弾する声が起こっていた。白秋の…

白秋の『雲母集』(9)

その他の特徴ある修辞 これまでに取り上げなかった修辞として、オノマトペ、素材、人名・職業などにつき、代表的な言葉だけではあるが、三歌集『桐の花』、『雲母集』、『黒檜』で比較した結果を下に表示にしておく。 「‥‥‥と」の形のオノマトペをよく使用し…

なでしこ

周知のように秋の七草のひとつ。ナデシコ科の多年草。「常夏」の異名もあるとか。去年も書いたが、万葉集にも詠まれているくらい古くからある花なのだが、なんとも現代的で可憐な姿である。大和撫子とは、いつの時代かの日本の理想的な乙女のたたずまいであ…

落鮎

夏の間、川の上流で育った鮎は、九月、十月になると産卵のために川を下る。産卵期の鮎は、刃物の錆びたような斑点が体に現れる。よって錆鮎とか渋鮎という呼び名もある。 川の中流に下ってきて川底の小石に産卵する。産卵の終った雌も、それに協力した雄もや…

白秋の『雲母集』(8)

雨月物語 寂しさに秋成が書(ふみ)読みさして庭に出でたり 白菊の花 父と弟が始めた魚仲買の仕事は失敗に終り、一家は白秋と俊子を残して東京に引上げた。白秋夫婦は、向ヶ崎の異人館から二町谷(ふたまちや)の見桃寺に居を移した。妻への愛情が父母との隔…

八菅山

神奈中のバス車内に、時々「くるーず」というパンフレットが置いてある。これは、バスの沿線の史跡や公園を紹介するものである。今年の秋28号では、厚木市愛川町の八菅山を中心に編集している。さっそく小田急本厚木駅から「上三増」行きバスにのって「一…

白秋の『雲母集』(7)

富獄三十六景 絵の内容はよく知られているように、のどかな田園風景の真中に桶づくりに精を出している箍かけ職人をあしらっている。大きな円の構図。桶の円輪郭が雄大な富士山を呑み込む。輪は無限の宇宙を表し、その中に水田、森がひろがり、その支点に小さ…

白秋の『雲母集』(6)

富獄三十六景 北斎の天をうつ波なだれ落ちたちまち不二は 消えてけるかも 固有名詞「北斎」を入れた歌として、『雲母集』には他に次の二首がある。 北斎の蓑と笠とが時をりに投網ひろぐるふる雨の中 とま舟の苫はねのけて北斎の翁(おぢ)が顔出す秋の夕ぐれ…

コスモス

メキシコ原産、菊科の一年草。日本には幕末に入ってきて、明治になって秋桜の名がついた。おおはるしゃぎく とも。ちなみに、コスモスはギリシャ語で「飾り」を意味する。 コスモスを離れし蝶に谿深し 水原秋櫻子 にほどりの葛飾野呂の秋をふかみ咲き乱れた…

白秋の『雲母集』(5)

閑吟集 次に『閑吟集』からの摂取がある。『閑吟集』は、周知のように室町時代の小歌集で、永正十五年八月の頃に出た。洗練された構成で、小歌節にのりやすい七五調を連ねた長短自在な様式が多い。『雲母集』の例として、『閑吟集』にある “ 人の心は知られ…

白秋の『雲母集』(4)

梁塵秘抄 ここに来て梁塵秘抄を読むときは金色光のさす心地する 人妻・松下俊子との姦通事件で出獄した白秋は、自殺まで思いつめて、三浦三崎の漢学者・公田連太郎を頼った。禅宗の信奉者でもある公田は、以前白秋に三崎に遊びにくるようにと誘っていたから…

蜘蛛の糸

蜘蛛には、鬼グモ、女郎グモ、黄金グモなどがいる。それらが張る巣には、丸網、扇網、皿網、棚網などがある。例えば、鬼グモは丸網を張る。この巣にかかる昆虫は、糸で身動きできなくなるが、蜘蛛自身は体と脚から分泌する油脂で糸から自由である。 せつせつ…

白秋の『雲母集』(3)

更に『雲母集』の性格を代表する歌をいくつかあげておこう。 城ヶ島の女子うららに裸となり見れば陰(ほと)出し よく寝たるかも 天真爛漫、古代神話の世界にあるような生命感である。 桟橋にどかりと一本大鮪放り出されてありたり日暮 三崎漁港は、今でも日…

白秋の『雲母集』(2)

先ず白秋短歌における『雲母集』の位置づけを明らかにするため、第一歌集『桐の花』と生前最後の歌集『黒檜』からもそれぞれの巻頭歌を上げてみよう。白秋の場合、巻頭歌がその歌集の性格を代表していると思えるからである。 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと…

白秋の『雲母集』(1)

北原白秋が出てきたところで、これから10回にわたって、歌集『雲母(きらら)集』を分析してみたい。何故『雲母集』か? この歌集は、大正二年五月から翌年二月までの約九ヶ月間を相州三浦三崎に過ごした生活の所産である。白秋の生涯中最も重要な一転機を…

伝肇寺について

庭にある「伝肇寺と北原白秋の山荘みみづくの家跡」という説明板には、次のように紹介されている。 伝肇寺は、正安2年(1300)に創建されたが、 永徳年間(1381)に至って浄土宗列祖良肇和尚 が、知恩院法脈を伝え樹高山西照院伝肇寺と 号して関東…

かやの木

北原白秋が伝肇寺の境内に建てた山荘で作詞した「かやの木山(の)」は、次のようなものである。 かやの木山の かやの実は いつかこぼれて ひろわれて 山家のお婆さは いろりばた 粗朶(そだ)たき 柴たき 灯りつけ かやの実かやの実 それはぜた 今夜も雨だろ …

残暑の小田原

ヤンキースとマリナーズの試合が午前11時から始まるので、それまでにメタボ予防の散歩にゆかねばならない。斉藤茂吉の歌集『石泉』を携えて小田原にゆく。もうすぐ読み終わる。この歌集からは、歌を作る契機について随分教わった。 小田原城の旧外堀に沿っ…

源氏物語の千年(4)

塚本の『源氏五十四帖題詠』について最後にするが、語割れ・句跨りの例をいくつかあげておく。なお、題詠とはいっても源氏物語の各帖にでてくる和歌の本歌取りになっているものがほとんどである。 ちくま学芸文庫本では、塚本邦雄と弟子の国文学者・島内景二…

源氏物語の千年(3)

塚本の『源氏五十四帖題詠』にも彼の特徴が現れる。語割れ・句跨りの例も多いが、以下では、七七五七七の形式の歌を全部あげておく。全54首の内、11首もがこの形式である。塚本がいかに意識して作ったか好んだかがわかる。ただ残念ながら、この題詠から…

源氏物語の千年(2)

実を言うと、源氏物語は好きでない。円地文子訳を初版発行の当初から購入して読み始めたのだが、どの巻も相変わらずの色恋物語。いいかげんにしろ、と言いたくなって読むのをやめてしまった。高校の古文でも源氏物語を勉強したのだが、主語が明確でない文章…

源氏物語の千年(1)

横浜美術館の特別展示会に行ってみた。中年女性の見学者が随分多い。「源氏物語」に女性が惹かれる理由がよくわからない。貴種の男にもてあそばれる物語なのに。 鎌倉時代以降、土佐派、狩野派をはじめ室町、江戸の時代を通じ現代まで、源氏物語の名場面を日…

蟹(2)

甲殻綱短尾類の総称。タカアシガニは日本特産で世界最大。はさみを広げると2mから3mになる。東京湾の海底谷に多数生息するらしい。NHKスペシャル「幻のサメを探せ」で知った。余談だが、この幻の鮫は日本ではミツクリザメ、海外ではゴブリン・シャー…

濁流

東海、関東、東北とここ数日間に集中豪雨に襲われた。嵐ではなく、雨と雷の被害が出た。季語では、秋出水がある程度で、豪雨についての季語は豊富でない。熱帯雨林の減少、炭酸ガスによる地球温暖化現象などで、これからの気象は今までと違って様変わりする…

いなご、稲子は、直翅目バッタ科の昆虫。食用昆虫なので、つくだ煮にして食べることもある。百科事典によると、大群をなして移動する飛蝗(ひこう)は、イナゴではなくトノサマバッタの類という。今までに見たニュースでは、イナゴの大群と言っていたようだ…