天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2013-01-01から1年間の記事一覧

モナ・リザ

言わずと知れたレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油絵の名画。モナ・リザの名声は、1911年8月にルーヴル美術館から盗まれたときに一段と高くなった。犯人はかつてルーヴル美術館に雇われたことがあるイタリア人であることが判明した。2年間にわたって自身の…

喫茶店

喫茶店とは、食品衛生法によれば、酒類以外の飲み物又は茶菓を客に飲食させる営業施設のことである。茶房(さぼう)とも「カフェ」とも呼ばれる。喫茶とは、鎌倉時代に中国から伝わった茶を飲む習慣や作法をさす言葉であった。 明細書書きなづむかな喫茶店「李…

鑑賞の文学 ―俳句篇(37)―

漱石が子規に送って添削を乞うた句稿について調べているうちに、漱石ほどの長期間ではないが、子規が句稿の面倒を見た佐藤紅緑という俳人がいることを知った。作詞家で詩人のサトウハチロー、作家の佐藤愛子、脚本家で劇作家の大垣肇の父親である。「少年小…

師走の里山

里山はおおかた紅葉の時期を終えて眠りについた。その中にまだ黄葉を保っている樹木がある。近づいて仰ぎ見ると地味ながら黒い幹枝と黄色の枯葉のコントラストが見事で、豪華な日本画の趣。山道を辿れば落葉を終えた林はさっぱりとして潔い感じがする。 丹沢…

 ベートーベン

NHK・BS1のザ・プロファイラー「ベートーベン 成り上がりが届けた人類愛」を見た。今まで知らなかった多くのことを知って吃驚した。ゲストの内、ピアニストの仲道郁代さんの技量と見識にも感心した。 Beethoven(ベエトウフエン)若かりしときの像の立つ…

鑑賞の文学 ―俳句篇(36)―

西行の顔も見えけり富士の山 子規 これは正岡子規が作って夏目漱石に自慢した句であった。これに対して漱石は明治23年7月20日付で、次の名吟を得た、但し他言しないこと、随筆などにも載せないでくれと子規に手紙を出している。その句とは 西行も笠ぬいで見…

凩を詠む(4)

凩は晩秋から初冬にかけて吹く北西寄りの強風だが、冬の季節風としては、北風がある。凩よりも激しい。俳句では、凩とは別の季語になっている。 音にのみ夜の木枯を聴きゐたり少年の聡き耳は還らぬ 鈴木英夫 木枯しのある夜別れき また逢ひき 年経て君の妻と…

師走の片瀬・江ノ島

片瀬漁港は境川河口に隣接する。周辺の海では、大型定置網漁業、引き網漁業、刺し網漁業、海面養殖業、地引き網 などの漁がされ、主にシラス、アジ類、サバ、ワカメなどが獲れるという。土曜日以外の毎日、九時から正午まで直売所が開かれる。ただ早く行かな…

鑑賞の文学 ―短歌篇(36)―

今年の流行語大賞のベストテン4位になった「倍返し」を短歌に詠んだ例が現れた。「現代短歌」2013年11月号に載った小池光さんの「今年の秋」13首のうちの最初にでてくる次の2首。 日曜の夜くることをまちかねて「半沢直樹」はわれさへも 観(み)る 倍返しす…

凩を詠む(3)

木枯しの俳句で有名になったのは、池西言水であった。「凩の言水」と呼ばれるほどであった。言水は松尾芭蕉と同時代、江戸時代初期の俳人である。奈良出身だが、江戸、京都はいうに及ばず北越、奥羽、九州などにも出かけている。時流には敏感で元禄年間に流…

師走の寒川神社

相模国・一之宮の寒川神社の朝は、師走でも閑散としている。煤払いも済み年末年始を飾る木々の照明電球の取り付けも終って手持無沙汰の数日であろう。境内の八福餅を売る屋台のおばさんは、参拝者を見かけるたびに「いらっしゃい」と声をかけている。本殿で…

凩を詠む(2)

「こがらし」は木枯とも表記するが、秋から冬にかけて吹き、文字通り木の葉を落し枯木にする強風のことである。木嵐から来ているとの説あり。天気図の気圧配置が西高東低型になったときに吹く。 こがらしの雲吹きはらふ高嶺よりさえても月の澄み のぼるかな …

餅搗(もちつき)

正月が近づくと餅搗が始まる。冬の季語で、傍題には「餅の音」「餅の杵」「賃餅」「引摺り餅」「餅筵」「餅配」「餅米洗ふ」「餅搗唄」などと豊富である。 搗きあげし餅を嬰子のごと運ぶ 肥田埜勝美 餅筵踏んで仏に灯しけり 岡本松浜 餅配大和の畝のうつくし…

凩を詠む(1)

江ノ島に行って岩礁での魚釣を見ようと思って家を出たが、やたら風が強い。その内止むだろうとバスに乗り小田急電車に乗って江ノ島駅に着いた。ところが風は一向に止む気配なく、ますます吹き募る。弁天橋では砂粒が目に口に入って先に進めない。ついに諦め…

干大根

沢庵漬けなどにするために大根を干すこと。関東でも十二月になると農家では一斉に大根を干す光景が見られる。私にとって印象的なのは、大根を洗って干す三浦半島での情景である。以前、城ケ島によく散策に出かけたが、その途次に見かけた。 俳句の季語は「大…

紅葉狩―舞岡公園―

舞岡公園に向う道すがらのたんぼの畦には、かまつかの朱実が朝日に輝いていた。舞岡公園の中の小谷戸の里では、稲の収穫はとっくに終り、師走も半ばとあって餅搗が始まっていた。古民家の軒先には干し柿が干からびていた。黄葉の中にところどころ紅葉が混じ…

『まはりみち』(続)

伊藤冨美代さんの短歌の特徴について続ける。 (4)擬人法: 生き生きと身近に感じさせ、時に哀感を出す効果 大けやきの梢の奥にひそみゐる空のしづけさ歳晩の夕 湧水の繊き流れはくねりつつ空のはたてにのぼりゆくべし 捨てられし木椅子はひとを待ちがてに…

『まはりみち』

「短歌人」所属の伊藤冨美代さんの歌集の名である。歌集を読んで受ける印象は、短歌の王道を真直ぐに歩んで来られた作者だなあ、ということ。即ち、短歌の快い韻律がしっかり守られている点、枕詞、比喩、擬人法、オノマトペ などが無理なく用いられている点…

 牛(4)

肉用種について。一般に骨が太く頑丈で肉量が多い。ショートホーン種、ヘレフォード種、アバディーン・アンガス種、シャロレー種などが代表的。わが国では黒毛和牛が有名。松坂牛、神戸牛、但馬牛など、現在では多くの産地名がついて肉の品質・旨さを競って…

紅葉狩―北鎌倉―

北鎌倉にも紅葉の名所はいくつかある。建長寺・半増坊、明月院、円覚寺、東慶寺などを巡った。いずれ劣らず見応えがあった。 半増坊参道の入り口にいつの間にか大きな達磨像が設置されているのに驚いた。仏殿では、十二月八日の成道会が、大勢の和尚参加のも…

牛(3)

乳用種について。一般に骨が細く痩せているが、乳房は大きく、乳量が多い。ホルスタイン種、ジャージー種、ガーンジー種などが代表的。 産み月に入りし若牛立ちながら涙溜めいること多くなる 清原日出夫 水牛の黒きぬめりもうごきそむ国境近き陽のかたまりに…

紅葉狩―湯河原―

湯河原の万葉公園も紅葉の名所といってよい。渓谷沿いの道を歩けば堪能できる。「文学の小径」と名づけられた道には、多くの文学者のさまざまの詩歌(俳句、短歌、漢詩、詩など)が書かれた札が、間隔をおいて立てられている。与謝野晶子夫妻や国木田独歩の…

鑑賞の文学 ―俳句篇(35)―

夏目漱石が鎌倉を訪れたのは、明治二十七年十二月二十三日から翌二十八年一月七日までの一回目と明治三十年夏に材木座に一カ月ほど滞在した二回目であろう。そうした折々に詠んだと思われる句を次にあげる。 鐘つけば銀杏ちるなり建長寺 仏性は白き桔梗にこ…

沼(3)

牛久沼について。茨城県南部にある面積3平方キロ、最深部3mの沼である。17世紀前半に灌漑用の溜池として利用されていたが、後に江川用水が開削された。ウナギ、コイ、フナなどの釣とカモ猟で知られる。 何というさびしさだろう沼の面にあけぼの杉が逆さ…

紅葉狩―大雄山―

神奈川県南足柄市にある大雄山最乗寺の草創は、応永元年(1394年)。福井の永平寺、東京鶴見の総持寺に次ぐ格式のある曹洞宗の寺院である。創建に貢献した道了という僧が、寺の完成と同時に天狗になり山中に隠れたという伝説から、道了尊とも呼ばれる。 JR…

沼(2)

手賀沼について。千葉県北西部にある面積6.5平方キロ、最深部3.8mの沼である。利根川の支流の谷が本流の堆積物でふさがれてできたという。江戸時代には銚子方面の海産物を運ぶ水路でありウナギ漁やカモ猟が行われていた。鯉や鰻などが獲れる富栄養湖。近世…

紅葉狩―鎌倉長谷―

この時期鎌倉で最もにぎわう紅葉の寺と言えば、長谷寺だろう。観光バスが次々に客を運んで来るし、生徒たちの遠足の場所にもなっているようだ。わが散策コースの一つなので、いつものように江ノ電・極楽寺駅で降りて先ずは、極楽寺に入る。境内にの桜紅葉は…

沼(1)

沼は水深が5m以内と浅く、水底中央部にも沈水植物(水草)が生育する水域と定義される。関東地方では、牛久沼、印旛沼、手賀沼、尾瀬沼 などが良く知られている。和歌に現れる「隠沼(こもりぬ)」、「かくれぬ」は、草などに隠れてよくみえない沼のこと。ま…

神楽

元の言葉は神座(かみくら)。天岩屋戸の前で天鈿女命が舞ったという古事が原型で、宮中の内侍所(賢所)の前庭で例年十二月に行われる御神楽に伝わる。平安中期の一条天皇の頃にその形式が整えられたという。これに対して民間で行われる神楽は里神楽と呼ばれ…

紅葉狩―鎌倉紅葉谷―

鎌倉の寺には、それぞれの庭に黄葉する木々があって訪れる人たちを楽しませる。例えば瑞泉寺の本堂横の紅葉は、時期がくると真赤に燃え立つ。鎌倉の山中で規模の大きな紅葉としては、文字通り紅葉谷(獅子舞の谷とも)が一番だと思う。というわけでJR鎌倉…