天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2013-11-01から1ヶ月間の記事一覧

紅葉狩―源氏山―

昨年は鎌倉源氏山公園の紅葉を見逃した。今年はなんとか見定めたいと強風の去った朝に訪ねた。JR鎌倉駅下車、壽福寺墓地の裏道から源氏山に登った。銀杏の黄葉が頭上にまぶしく、また地面に散り敷いて踏みしめるのがためらわれるほどである。教師に付き添…

テレビ(3)

日本におけるテレビの本放送が開始された1953年以降の主要な出来事を次に列挙しておこう。 1969年: 日本のテレビ受像機生産台数が世界1位になる。 1978年: 日本テレビが世界初の音声多重実用化試験放送 を開始。 1983年: エプソンが液晶ポケットカラーテ…

紅葉狩―吾妻山―

神奈川県二宮町の吾妻山に紅葉如何にと登った。吾妻山山頂からは冠雪の富士が晴れた初冬の空に清冽に見えた。こうして出歩く際には、電車やバスの中で読むために本を携える。大栗博司『重力とは何か』(幻冬舎新書)を終えたので、平岡敏夫編『漱石日記』(…

牛(1)

わが国では縄文時代にはすでに飼育されていたという。平安時代には農耕や牛車に使われた。江戸時代になると牛合せ・牛相撲といった闘牛も行われた。牡牛(ことひのうしうし)、雌牛(めうじ)といった言葉があった。牛を詠んだ歌は馬ほどではないが、現代に至る…

テレビ(2)

東日本大震災で神奈川県でも計画停電になった時、ラジオだけの情報では心許ないので、わざわざワンセグ・テレビを購入した。ところが窓際に置かないと映像が入ってこない。スティックのアンテナを回転させたりチャンネルつまみを微妙に調整したりして映りの…

紅葉狩―地獄沢―

紅葉狩りで毎年訪れる場所のひとつに大磯高麗山の地獄沢がある。市街地の銀杏も黄葉が始まったので、大磯に行くことにした。大磯から高来(たかく)神社へ、そして山裾に沿って歩いて地獄沢へ。近づくにつれて未だ時期が早いかな、と不安になった。紅葉ではな…

薔薇(2)

今の時期に見られる薔薇を冬薔薇という。特別の種類があるのではなく、その季節に花が咲いていれば、そのように呼ぶのだ。同じ木でも季節を変えて花をつけるからである。桜でも春咲いてまた冬にも花をつけることがあるように。 まだバラに美しさあり逆さ吊り…

紅葉狩ー大山寺ー

よく晴れた日に久しぶりに大山に出かけた。といっても以前はよく標高1252mの山頂まで登っていたのだが、そこまでは頑張れない。徒歩で女坂を大山寺まで歩き、あとはケーブルカーで阿夫利神社(下社)に登り、またケーブルカーで大山駅まで下山した。今年も…

薔薇(1)

神奈川県下の薔薇苑でよく行く所は、大船フラワーセンター、鎌倉文学館の庭園、港が見える丘公園、JR横須賀駅前のベルニー公園、生田緑地の薔薇園などである。国内外で多くの品種が生まれ個人名がついていたりするので、とても固有名は覚えられない。 われ…

浜松城

以前に桜の花咲く頃の浜松城を紹介したことがあったが、そういう場所は秋の紅葉も見事なはず。というわけで再び訪れた。天守閣へ向う並木道の紅葉は見頃であった。ただ天守閣の周囲ではまだ色づきが足りないと思われた。天守閣の中では紹介ビデオで、三方ケ…

椰子

ヤシ科植物の総称。ココヤシ属は果実が海流によって運ばれ、全世界の海岸に漂着。そこが暖地であれば、根付いて成長する。熱帯では椰子は食用の他、建築材料、油料などとして重要な輸出品になる。 銀座なる五番館の店の硝子戸のなかにさ青に芽ぶきし椰子の実…

鑑賞の文学 ―俳句篇(34)―

高浜虚子に拠れば、俳体詩とは「連句を変化さした一新詩体を創めて見るのも善からうと思ふと漱石子にいふと、漱石子は、それは善からう、俳体詩とでもいふものか、といはれしより」生まれたものであるという。実は既に与謝蕪村の「春風馬堤曲」がラディカル…

日向の白猫

今年の日本の秋は異常だ。秋らしい天気が続かない。紅葉しないうちに雪が降る地域もある。世界規模で見ても天候は荒れに荒れているようだ。地球をとりかこむ二酸化炭素が増えたせいだという説があり、その排出を制限しようという世界会議が開かれている。中…

テレビ(1)

テレビジョンは、光学像を電気信号に変換して無線あるいは有線により伝送、受像機により映像として再生する通信方式である。1933年にV.K.ツウォリキンがアイコノスコープを発明してから目覚ましい発達をとげた。撮像管で微細に分解した絵素を電子線で走…

鑑賞の文学 ―俳句篇(33)―

坪内稔典『俳人漱石』を読んだ。これは和田茂樹『漱石・子規往復書簡集』 (岩波文庫)にある漱石の句に対する子規の評・添削を中心に、漱石・子規・稔典の三人が俳句作法を語り合う形式のユニークな啓蒙書である。「往復書簡集」の子規の批評や添削では、理由…

マンション

現在のわが国では、アパートよりも大型の集合住宅を表すが、英語の語源では豪邸の意味を有する。マンションが現れた当時の日本人の感覚では、豪華な感じを持たせたかったのであろう。 身の上に十幾層のマンションの部屋あり重み真夜におぼゆる 入谷 稔 隙間…

時計(3)

目覚時計だけは、いまだに手放せない。毎日セットして寝るわけでないが、朝早めに出かける旅行があると、やはり世話になる。起床時間になると初めは小さな音で鳴るが、次第に大きな音になってついには隣近所に聞こえるではないか、と思うくらいになる。 まぼ…

『草枕』のモデル

夏目漱石『草枕』のモデルについては、次のことがよく知られている。 那古井の里=熊本市西北の小天温泉 主人公の投宿先及び那美の住居=前田家別邸 那美=前田家の次女・卓子(つなこ) 観海寺=? この寺のモデルは、以下に述べるような事態にある。 半藤一…

鑑賞の文学―蕪村と漱石ー

夏目漱石の俳句・俳句感について詳細を調べているが、その過程で気づいたことは、漱石は与謝蕪村の影響を強く受けているということ。そもそも漱石は正岡子規に引きづられて俳句を作り始めた経緯があり、その子規は当時いち早く蕪村の俳句を芭蕉よりも称揚し…

秋の磯釣り

江ノ島裏の岩場では、ソーダカツオが入れ食いで釣れている。この魚の名前の由来・語源は、広辞林によれば、「鰹に似たれば〈鰹だそうだ〉といいしを、倒置したる魚名」ということらしい。漢字では「騒多鰹」、「宗太鰹」などを当てている。ヒラソーダとマル…

時計(2)

学生や社会人になって若い頃は、腕時計のデザインや機能に凝った時期がある。千円程度で十分信頼できるデジタル時計が出てからは、実用になればよい、と割り切ってしまった。だから安価な腕時計で済ませた。更に歳を経ると、町中では見えるところのどこかに…

時計(1)

時計の元は「漏刻」であった。これは口を設けた壺の中に水を入れてその漏出により時をはかる仕組みで、わが国では天智天皇の御代に漏刻を設置したことが日本書記に書かれている。昭和56年に奈良明日香村の水落遺跡から漏刻の遺跡が発掘された。右の図は、w…

紅葉を待つ

テレビで山の観光地の紅葉を紹介し始めたが、平地の木々の紅葉は未だしである。二宮町の吾妻山でも例年見る紅葉には早い。鎌倉でも状況は同じ。近郊の山の散策の楽しみはもう少し日が経ってからになる。草花では、杜鵑や石蕗(つわぶき)の花が目立つ。 秋ふか…

月(6)

月のシリーズの最後に、近現代の短歌に詠まれた例をあげよう。月は客観的な景物として詠まれ、和歌の時代のように月になにかを託すといった傾向は薄くなる。 思ひきや月も流転のかげぞかしわがこしかたに何を なげかむ 柳原白蓮 何事も人間の子のまよひかや…

月(5)

新古今集になると、唯美的・幻想的・絵画的・象徴的・技巧的な面から月が詠まれる。題詠により複雑に工夫された象徴的な歌が工夫され、本歌取りや余韻・余情をかきたてる体言止め、七五調の初句切れ・三句切れなどが特徴になる。 重ねても涼しかりけり 夏衣 …

月(4)

千載和歌集は、藤原俊成の撰になる七番目の勅撰和歌集である。格調と抒情性が重んじられ、俊成が唱えた幽玄の心が加わる。また本歌取りのような方法的革新がなされる。 木枯しの雲吹き払ふ高嶺よりさえても月のすみのぼるかな 千載集・源 俊頼 照る月の旅寝…

月(3)

金葉集は第五番目の勅撰和歌集で、白河院の院宣により源俊頼が編纂した。しかし初度本は古めかしすぎてやり直し。ところが二度本は新奇にすぎてまたやり直し、三度目の奏覧でようやく了承されたという経緯であった。こうした撰集経緯からすれば三奏本を最も…

月(2)

古今集になると月は内省・もの思いを誘う景物になるようだ。ところで、月の満ち欠けの度合いによって床しい名前がついている。新月、三日月、上弦の月、十三夜、小望月、満月、十六夜、立待月、居待月、寝待月、更待月、下弦の月、有明の月、三十日月 など。…

 月(1)

東洋人の詩情を刺激する代表的な自然の景物が雪月花である。月が象徴するものは、西洋と日本とではかなり異なるようである。民族によって真反対のものを象徴することがあるので、とまどってしまう。幸いなことにわが国では、万葉集の時代から現代までほぼ共…

台風去って

立て続けに台風が来襲して雨模様の天気が続いたが、ここにきてやっと秋空が見えるようになった。 足を鍛えないと心臓まで弱るというから、山野に出歩くことは重要である。千メートルを越える山に登るとなると日頃から相当の運動量をこなしておく必要があるの…