天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧

雲のうた(28)

白雲について。すでにいくつかの作品を紹介したが、追加しておく。「白雲の」は「立つた山、立ち別れ、絶ゆ、斯かる、遠(をち)」にかかる枕詞になる場合もある。 梯立(はしたて)の倉橋山に立てる白雲見まく欲(ほ)り わがするなへに立てる白雲 柿本人麻呂歌集…

雲のうた(27)

春の雲の続きである。来嶋靖夫と辺見じゅんは、歌の形も心情も似ているようだ。鎌倉千和の歌で、「昼寝して」いるであろう主語は、雲である。「春楡のこずゑ」にかかって見える白雲からの想像である。 春の雲見て帰り来し臥床にて痺れの戻る如くゐたりき 相…

雲のうた(26)

春の雲には、巻雲(すじ雲)や巻層雲(うす雲)がある。宮 柊二の未来は、来たるべき戦争を指しているようだ。サルバドール・ダリの絵で雲が明確に描かれているのは、「内乱の予感」「メランコリー」「雲の中の戦い」などがある。田谷 鋭がどの絵を思い浮か…

雲のうた(25)

冬の雲について。時雨雲、雪雲、凍雲、冬雲 などの言葉もある。井辻朱美の歌は、「無原罪のたましひ」が複雑な言葉に見えるが、純粋無垢な魂ととればよいだろう。珊瑚の桃色のような丸い冬雲との取合せ。 北空に夕雲とぢてうつせみの吾にせまりこむ雪か雨か…

枕詞概要(3/3)

和歌の時代の枕詞を現代短歌に積極的に活用した本に、高橋睦郎『爾比麻久良』(思潮社)がある。すでに 2011-04-28 鑑賞の文学 ―短歌篇(16)― において紹介済みである。枕詞は和歌の時代のものが固定してしまっており、新しい枕詞を作りだして話題になること…

枕詞概要(2/3)

▽発生的経過 (1)万葉集の中期以前 尊厳な神、崇高な自然、畏怖すべき天然現象などを強調 して印象付ける。純真素朴なまこと・ますらおぶり。 「被枕」は、必然的に神名、人名、地名などが主に なった。 (2)万葉集後期 歌謡から和歌へと創作活動が盛ん…

枕詞概要(1/3)

古典和歌を鑑賞する時によく出会うのが、枕詞である。その全貌を解説した本に、内藤弘作『枕詞便覧』(早稲田出版)がある。3回にわたって、「一 枕詞について」の章を要約して、枕詞の理解を容易にしたい。 枕詞と被枕との間に一定の約束あり。一つの詞の…

雲のうた(24)

以下で、萩原千也は空における季節の移り変りに注目した。田村広志の歌では、「千年の楠」がすべてを決めている。 人生のどの辺をうろつきてゐる吾ぞ秋めきし夜半の 浮雲仰ぐ 杜沢光一郎 地の底をながるる水の幽けさを思はせてとほき絹雲光る 杜沢光一郎 雲…

雲のうた(23)

岡野弘彦は日中戦争の記憶を詠んだ。尾崎左永子は落日とその後の空の情景をリアルに詠った。岡部、菊池の作品は、分りにくい。 秋の雲ひとつ下りきてくろぐろとここの狭庭に影してゐたり 宮 柊二 赤き日は沈まんとして西空に雲あつまれるとき額を垂る 岡部桂…

雲のうた(22)

今回から三回は秋の雲について。絹雲、綿雲、鰯雲、鱗雲、鯖雲 などがある。次の佐佐木信綱の歌は、あまりにも有名で教科書にも載っている。「の」連続がゆったりとして大和の国にふさわしい。 ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲 佐佐木信綱 …

雲のうた(21)

雲の種類は、国際気象会議で10種類と決められている。短歌や俳句にでてくるわが国における俗称と共に、以下に列挙しておく。 出典は、Web「雲の名前を覚えよう」 http://www.nahaken-okn.ed.jp/naha-c/kumo/kumo.htm による。 □上層雲(5000m〜13000m) 巻…

雲のうた(20)

一首目の「西へゆく雲」は、西方浄土へ行く雲のこと。清少納言の歌は、初出仕して間もない頃、二三日実家に帰っていた清少納言のもとに、中宮・定子から「あなたがいないと、どう過ごしてよいのか分からない」と言ってきたのに対する返事。 西へゆく雲に乗り…

綿の花

アジア原産のアオイ科の一年草。奈良時代に渡来したという。綿毛と種実を採るために栽培される。仲秋に淡黄色の五弁花をひらく。昔は、重陽の節句前日に菊に綿をかぶせて霜よけとし、菊の露と香のうつった綿で身をぬぐい長寿を祈った。 漢字では棉とも表記す…

雲のうた(19)

以下にあげるそれぞれの作品は、目前の景色と心情とがよく融合していて、現代人にも共感を呼ぶだろう。ただ「雲のはたての夕暮の空」や「行方もしらぬ空のうき雲」といった表現は、もはや気恥かしくて現代短歌には使えない。 山里の嶺のあま雲とだえして夕べ…

マリーゴールド

メキシコ原産のキク科の一年草。四種類程度があるが、うち二種をあげておく。 アフリカンマリーゴールド: 千寿菊。草丈50ー80センチ。16世紀初頭にスペインに 輸入され、ヨーロッパに帰化した。 フレンチマリーゴールド: 万寿草。草丈30ー40センチ…

山雀

「やまがら」と読む。スズメ目シジュウカラ科の鳥。留鳥として全国の低山の森林に棲む。アマミヤマガラ、タイワンヤマガラ、ナミエヤマガラ、オリイヤマガラ、オーストンヤマガラ、タネヤマガラ、ヤクシマヤマガラ など種類は多い。雑食性で、昆虫、クモ、果…

ホタルブクロ(続)

2011年7月28日の続きである。よく知られているように、捕えた蛍をこの花に入れたところから付いた名前。夏の季語だが、傍題に、釣鐘草、提灯花、風鈴草 がある。 宵月を蛍袋の花で指す 中村草田男 蛍袋に指入れて人悼みけり 能村登四郎 ほたるぶくろ重たき光…

やぶみょうが

ツユクサ科に分類される多年生草本植物。5月頃から発芽し、夏にかけて生長、ミョウガに似た長楕円形の葉をなし、その根元は茎を巻く葉鞘を形成する。8月頃になると茎の先端から花序をまっすぐ上に伸ばし、白い花を咲かせる。花が終わると初秋にかけて直径 5m…

雲のうた(18)

以下の一連には「雲井、雲ゐ」が多く出てくるが、「井」(当て字)や「ゐ」は「居」を意味する。すでにあげたように万葉集に多くでてくる。くり返しておくと、雲のある場所、雲のたなびいている所、大空 を指す。また高く隔たった所から転じて、皇居のある所…

雲のうた(17)

歌枕の「末の松山」については、陸奥を襲った巨大津浪に関係することを以前に解説したことがあるので、ここでは触れないが、藤原家隆の歌はのどかな叙景になっている。 真夜中に飛んで行く雁の鳴き声を聞くと、最後の読人しらずの歌のような感情移入になるの…

雲のうた(16)

「白雲の」は、「たつ」「絶ゆ」に掛かる枕詞になる。大伴旅人は、筑紫の太宰府に長官として5年間ほど滞在していた。それ以前にも隼人反乱の鎮圧に九州方面には出かけたことがある。この歌は、奈良に帰ってから筑紫の方向を思いやったもの。この歌は万葉集…

雲のうた(15)

次には新古今集の女性の雲の作品を見てみよう。式子内親王の歌はすっきりした嘱目詠だが、他はみな女心の暗さ悲しさが現れている。周防内侍は二条院讃岐よりも50年くらい先輩だが、ふたりとも内裏女房として出仕し、時の天皇に仕え、内裏歌壇で評価されてい…

雲のうた(14)―芭蕉―

西行を慕う芭蕉は、西行の旅の跡をたどって陸奥も歩いた。『奥の細道』の序文の中に、「・・予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、・・」とあるように、旅の空にあこがれた。それで芭蕉の俳句(発句)に、雲がかなり詠まれている…

大磯・鴫立庵の西行像

閑話休題。「雲のうた」をまとめている時に、西行の旅がしきりに思われた。以前にも紹介したが、彼の足跡をたどって、高野山、京都(嵯峨、東山)、奥吉野、愛媛(崇徳院の白峰陵)、伊勢(二見浦)、小夜の中山、鎌倉、白河の関、多賀城址、松島(西行戻し…

雲のうた(13)―西行―

周知のように西行(俗名:佐藤義清)は、兵法・武芸に優れた北面の武士として鳥羽上皇に仕えていたが、二十三歳の時、突然出家遁世した。理由は不明。高野山、吉野山に隠れたり、諸国を遍歴した。その足跡は、陸奥、中国、四国、九州、伊勢、京、河内などに…

雲のうた(12)

新古今集の雲の入った法師の作品を集めてみた。次の西行の最初の歌は、他の歌に比べてなんとも勇壮な詠みっぷりである。じめじめしていなくて気分が良い。主観や心情を露わに入れないほうが、好ましく感じる。西行、寂連は定家と共に三夕の歌でよく知られる…

雲のうた(11)

大江千里の歌には、「寛平御時、歌たてまつりけるついでにたてまつりける」という詞書きがあり、家集を献上した際、自らの不遇を訴えたものということが分る。 白雲のやへにかさなるをちにても思はん人に心へだつな 紀 貫之『古今集』 雲もなくなぎたる朝の…

雲のうた(10)

古今集で雲の歌を探していると、以下のように清原深養父が多く詠んでいることに気付く。古今集の特徴である掛詞や理屈がある。 夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを雲のいづこに月宿るらむ 清原深養父『古今集』 冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にや…

雲のうた(9)

今回は大伴家持の雲の入った歌を集めてみた。大伴家持は、天平18年(746年)6月に越中守に任ぜられ、天平勝宝3年(751年)まで赴任(5年間)。この間に223首の歌を詠んだとされる。 以下にあげる作品がこの内のものかどうか調べていないが、赴任先で詠んだと…

雲のうた(8)

一首目は、日本最初の和歌として有名。八雲は、八重に(幾重にも)重なり合った雲。この歌に因んで「八雲立つ」・「八雲さす」は出雲にかかる枕詞になった。素盞嗚尊は八岐大蛇を退治したあと稲田姫とともに、この歌のような新居を営んだのだが、その場所に…