天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2017-01-01から1年間の記事一覧

師走の江ノ島

閑話休題 クリスマスの電飾は残して正月にも活用するらしい。正月飾りは神社が中心になるようだ。大晦日までは手持無沙汰の感じで、観光客はさほど多くない。辺津宮に上る階段に向かって右手の道、駐在所の前の坂道を歩いた。中学生らしき連中が傍若無人にラ…

副詞―個性の発現(5/11)

「冷々」 冷(ひや)々と袖に入る日や秋の山 一茶 冷(ひや)々と日の出(いで)給ふうしろ哉 一茶 八重桜日差が胸にひえびえと 展宏 昭和経し身に冷え冷えと夕桜 展宏 「ひやひや」「ひえびえ」の意味はいずれも、冷たさ・寒さを肌に感じさせる様子であるが、音感…

副詞―個性の発現(4/11)

一茶と展宏に共通の副詞 一茶と展宏はオノマトペを新たに開拓し、盛んに用いた俳人だが、この二人に共通なオノマトペを調べてみると、つぎのようなものがある。かなり多いが、それぞれに全ての句を示す。 「くるくる」 猫の子のくるくる舞(まひ)やちる木の …

副詞―個性の発現(3/11)

四俳人に共通な副詞 四俳人(芭蕉、蕪村、一茶、展宏)が共に用いた副詞は、「また」「まだ」「まづ」「やがて」「ほろほろ」の五種であり、驚くほど少ない。それぞれについて使用例をあげよう。以下、作品の中の副詞に傍線をつける。 「また/又」の場合: …

副詞―個性の発現(2/11)

分析の対象 分析の対象とした文献を次にあげる。 芭蕉については、堀信夫監修『芭蕉全句』小学館 (976句) 蕪村については、藤田真一、清登典子編『蕪村全句集』おうふう(2907句) 一茶については、丸山一彦校注『一茶俳句集』岩波文庫 (2000句) 展宏に…

副詞―個性の発現(1/11)

はじめに 川崎展宏の全句集を読んでいて気付いたのは、副詞なかでもオンマトペ(擬音語、擬態語)の使用が目立つことである。俳諧・俳句の本質である滑稽を表現する方法の歴史を初期からたどってみると、俚諺、地口、見立て、擬人法、本歌のパロディ、謎解き…

Dr.Ryuの場合(8/8)

おわりに こうして見てくると岡井の生活力には驚嘆してしまう。病院や大学に勤務するかたわら、詩歌の分野での幅広い活動と膨大な著作、そしていくつもの家族の生活費・養育費を長年にわたって稼ぎだしたのである。ただ、岡井と生活を共にし、やがて別れてい…

Dr.Ryuの場合(7/8)

恵里子との生活 岡井隆が現在も生活を共にしている女性、新見(にいのみ)恵里子(えりこ)さんと最初に出会ったのは、平成元年十月末からNHK学園の海外研修でオーストリアに旅行した時であった。彼女はNHK学園絵画センターの講師として参加していた。岡井…

Dr.Ryuの場合(6/8)

ところがである。またまた岡井は家庭生活に悩み始める。C女との関係が危うくなる。 ふたりともふかく疲れてもの思ふ葦の小舟のただよふがまま 『親和力』 鍋かこみて肉食みあへど手ふるればすぐばらばらになる家族店(だな) 『神の仕事場』 ついに平成二年十…

Dr.Ryuの場合(5/8)

C女との生活 X女に失恋した後、その傷を埋めるかのように、昭和四十四年四月、次の女性C女と運命的な出逢いをする。岡井より二十歳年少であった。信州松本市の出身らしいが、詳しい経歴は、この場合も不明。 一箇の運命としてあらはれし新樹を避くる手段…

Dr.Ryuの場合(4/8)

X女への愛恋 「家族とはつねに、この性愛なる魔ものを媒介として成立するものなのである。」(『挫折と再生の季節』)と断言する岡井は、昭和四十一年頃から人知れず、ある愛恋のためのたうちまわって苦しんでいた。その対象を仮にX女としておく。どうしよ…

Dr.Ryuの場合(3/8)

B女との生活 A女との葛藤に悩んでいた時に、支えになってくれた人たちの中に、B女がいた。A女と別居した次の年からB女と同棲を始める。B女は岡井と同い年である。 口すすぐ水のにごりのあわあわと性はたぬしき魔といわずやも 『朝狩』 かぐわしき妻な…

Dr.Ryuの場合(2/8)

A女との生活 岡井が慶大・医学部の学生の頃からの付合いらしく、短歌の結社を通じて知り合ったという。岡井より三歳年長の女性である。 皮膚の内に騒立ちてくる哀感を伝えんとして寄る一歩二歩 『斉唱』 転び伏し雪のなかから伸ぶる手は歩みよるわが力を待…

Dr.Ryuの場合(1/8)

はじめに Dr(ドクター).Ryu(リュウ) こと岡井隆の人生経験と短歌を家族詠について見てみたい。情報を共有でき、また解説も多い時事詠や社会詠に比べて、家族詠は難解だった。岡井が作ったいくつもの家庭に関しては、一般読者が内情を理解できる状況になかったため…

霊魂のうた(9)

夕空に枝ひろげたる裸木に祖霊降(お)りくるごとき風花 秋元千恵子 み霊会ふ親子三人か比企の丘に一つの石に名前を並ぶ 徳山高明 夫の魂さまよふならば夕暮れの草生に坐せるわれの辺に来よ 和田美代子 たましひのあかるくあれば象印魔法瓶こそ容(い)るるによ…

霊魂のうた(8)

以下の一連では、肉体を離れた魂を詠んでいる。自分のものか他人のものか、もはや区別をつけがたい。岡野弘彦の歌の下句の直喩は、すこやかに感じられて好感が持てる。喜多弘樹の魂と対照的。 たましひは自然(じねん) 自在にゆらぎいで あめんぼのごとく 水…

霊魂のうた(7)

たましひといふおぼろなるもの包み雨季のブラウス透け やすきかな 雨宮雅子 わが魂(たま)は池の辺杉の穂経(へ)めぐりていつしか戻り 夢に入りくる 加藤克己 魂を買ひし男が革袋を提げてミモザの下にいりゆく 小畑庸子 きらめける海を南に切りてゆく舟あり一…

霊魂のうた(6)

村山美恵子は、居間のソファーに横たわって皿のケーキを少しずつ食べている自分を詠んでいるのであろう。富小路禎子の初めの歌は、死体を見ても動揺することなくすべてを悟ったように、その場から去ってゆく人を見た場面か。三首目は、「海山の死霊」が不可…

銀杏散る東慶寺

近くの遊行寺の大銀杏が葉を散らし始めた。野分でも来たら裸になってしまいそう。先日円覚寺に行った際に弁天堂から見下ろした東慶寺の黄葉は、時期尚早であったが、今なら見ごろだろうと期待して出向いた。ぎんなんと共に葉を散らしており、お寺の人が落葉…

『力石を詠む(九)』

日本の力石研究で高名な高島愼助先生の『力石を詠む』シリーズの九番目が刊行された。これについては、高島先生のブログ(12月3日) http://kawasaki0607.blog.fc2.com/blog-entry-18.html で、ご紹介されている。 このシリーズには、各地の力石に関して詠ま…

霊魂のうた(5)

大平修身の歌は、かっこいい。来嶋靖生では愛する人から迫られた時のような事態を思う。 大西民子は流木をじっと眺めていて、自分のことか別れた夫のことを思ったのだろう。竹山 広の歌の場面は分かりにくい。乙女たちは誰かを見送っているのであろうか。 た…

霊魂のうた(4)

死者の魂については、感じることはあるだろう。自分自身について客観的に、「これが私の魂だ」と認識する・感じる瞬間があるものだろうか。夢を見たときなどに、自分の魂を思うことがあるかも。どのような心の状態を魂と把握するのか、以下の諸作品がヒント…

霊魂のうた(3)

以下の歌々では、霊魂が肉体とは別に存在する感覚を詠んでいる。春日井建の歌と塚本邦雄の一首目は有名。 外套のままのひる寝にあらはれて父よりほかの霊と思えず 寺山修司 火祭りの輪を抜けきたる青年は霊を吐きしか死顔もてり 春日井建 魂はいづれの空に行…

霊魂のうた(2)

窪田空穂や木俣 修の歌は、なんとも哀切! 五島美代子の魂は、よくわかる気がする。前登志夫の歌は、どこかの村の風習を詠んでいるのであろうか。佐佐木幸綱の歌の宇宙駅とは、漫画「宇宙戦艦ヤマト」か「銀河鉄道999」からきているのだろうか? 「通過せし…

霊魂のうた(1)

霊魂とは、肉体と独立に人間の精神的・生理的諸活動を支配しかつその原動力と考えられている精神的実体。未開民族は夢・幻・死などから,肉体とは別の霊的存在を信じ,それは自由に肉体を遊離・出入し得るとする。[百科事典マイペディアの解説] 一首目は、…

晩秋の瑞泉寺

今年の紅葉の見納めと決めて鎌倉の瑞泉寺に行った。毎年この時期に来ているので、見逃すと心残りになる。風が強いわけでもないのに、周囲の林から枯葉が音立てて舞い落ちてきた。ジャンパーの襟を立ててジッパーを引き上げた。 受付で200円の拝観料を払い、…

晩秋の鎌倉湖畔

大船から鎌倉湖畔循環バスに乗って、鎌倉湖(散在ケ池: 2007年6月25日でご紹介済み)の紅葉狩りに出かけた。実は鎌倉瑞泉寺あたりに行きたかったのだが、大船駅で待っていた鎌倉方面行きの電車が、通勤並みに混み合っていて、とても乗車できる状況になかっ…

晩秋の俣野別邸庭園

私が住む横浜市戸塚区東俣野町に、旧住友家俣野別邸を基にした俣野別邸庭園がある。この庭園については、今年4月20日のブログでご紹介済であり、折に触れての散策で目にした草花についても詠んでいる。今回は紅葉の情景である。庭園内には銀杏をはじめ欅…

留魂歌(5/5)

益荒男(ますらを)がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて 今日の初霜 三島由紀夫 昭和四五年一一月二五日、東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部本部総監室を訪れ、総監を人質にとってバルコニーで自衛隊員に檄を飛ばした後、切腹した。「楯の会」の森田必勝が介錯して…

留魂歌(4/5)

辞世 この世を辞すること、つまり死ぬことである。それにはいくつかの場面がある。老衰死が自然で望ましいが、病死、事故死、自死(自殺)、戦死、刑死など不自然な死もある。辞世という時、事前に自分の死を悟って残す詩歌を指すこともある。ここではいくつ…