天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2018-03-01から1ヶ月間の記事一覧

イチロー讃歌(10/12)

マイアミ・マーリンズのマッティングリー監督(56歳)は、ニューヨーク・ヤンキース一筋にプレーし各種の賞を獲得、彼の背番号『23』はヤンキースの永久欠番に指定されている。2011年から2015年まではロサンゼルス・ドジャースの監督を務めた。2016年か…

イチロー讃歌(9/12)

マーリンズのピッチャーであったホセ・デルフィン・フェルナンデス・ゴメスは、2016年9月25日未明に、マイアミビーチ付近で発生したボート事故により死去した。享年24歳の若さであった。キューバのサンタ・クララに生まれ育ち、MLBの選手になる夢を持った。…

イチロー讃歌(8/12)

2016年8月7日(日本では8日)、敵地のロッキーズ戦でイチローは、「6番センター」で8試合ぶりに先発、7回の第4打席にフェンス直撃の三塁打を放った。メジャー史上30人目の3000安打であった。 三塁に到達すると、場内のスクリーンで偉業達成が紹介され、観客…

イチロー讃歌(7/12)

バリー・ボンズは、現在54歳であるが、MLB史上最も偉大な野球選手の一人と評価されている。MLB史上通算762本塁打、シーズン73本塁打、長打率.863、出塁率.609、史上唯一の500本塁打500盗塁など。ただ薬物疑惑がつきまとい、アメリカ野球殿堂入りはすん…

イチロー讃歌(6/12)

ヤンキースに3年間在籍したイチローのマーリンズ入団(一年契約)記者会見は、東京都内で行われた。マーリンズの社長やGMなどの球団幹部も来日し同席した。次のような発言は、まことにイチローらしい。 「『これからも応援よろしくお願いします』……とは僕は…

イチロー讃歌(5/12)

イチローは12年間在籍したマリナーズを去りヤンキースに移籍した。日本のMLBファンにとって、一番ジータ二番イチロー三番A・ロッドという打順は、まさに夢が現実になった瞬間であった。ただ残念ながらこの打順は長続きしなかった。マリナーズ時代からの熱烈…

イチロー讃歌(4/12)

シアトル・マリナーズで10年連続200安打以上を達成した後、イチローは極端な不調に陥った。期待の大きい観客もマスコミも落胆して、厳しい批評も出た。イチローは新境地を求めて、マリナーズを去る決心をしたのだった。 観客の少なきセーフコフィールドは「…

イチロー讃歌(3/12)

イチローは2001年にシアトル・マリナーズに入団、MLBでの活躍が始まった。MLBではケン・グリフィーJrがイチローの憧れの選手であった。2009年には古巣帰りしたグリフィーJrとチームメイトになった。グリフィーJrの日課はイチローをくすぐること…

イチロー讃歌(2/12)

オリックス時代のイチロー選手の環境を考える時、選手の育成方法あるいは指導者のあり方を考えさせらる。初めの2年間の指導者であった土井正三監督や山内一弘打撃コーチは、日本のプロ野球界では高い実績をあげた選手であった。土井、山内はイチローの独特な…

イチロー讃歌(1/12)

プロ野球選手・鈴木一朗の活躍は、MLBに移ってから気にかかっていた。オリックス時代はほとんど注目しなかった。特に愛知県豊川市にある豊川稲荷をたまたま尋ねた時に、彼の祈願札を見てから、人間らしさに惹かれてMLBの試合をよく見るようになった。…

わが愛飲酒

わが好みの酒類は、年と共に変遷している。それはビール、日本酒、ウィスキー、焼酎、ウオッカ、テキーラ といった順序である。ワインは、ボージョレヌーヴォーが出る時期に、たまに飲む程度である。基本的に醸造酒よりも蒸留酒の方が体に適すると思った時期…

鎌倉探訪―松葉ガ谷(やつ)

鎌倉と日蓮上人の辻説法は切り離せないが、辻説法は市内のあちらこちらで行われたようだ。典型的な場所が小町大路に辻説法跡として石碑や関連の石塔が立っている。小町大路は、鎌倉幕府による都市計画の中核をなす「六大路」の一つで、若宮大路の東側を並行…

甲斐の谺(13/13)

俳句鑑賞の特徴 最後に蛇笏と龍太の俳句鑑賞について。結社のみならず新聞・雑誌・テレビの選者をつとめると、俳句作品の批評・鑑賞は必須になる。逆に、的確な批評・鑑賞ができないと選句は信頼できない。飯田蛇笏の俳句批評を最初に高く評価、絶賛したのは…

甲斐の谺(12/13)

(2)同一季語の句の響き合い(続き) 老鶏(らうけい)の蟇ぶらさげて歩くかな 蛇笏『山響集』 裏返る蟇の屍に青嶺聳(た)つ 龍太『今昔』 老いた鶏が嘴に蟇を咥えて歩いている。咥えなおそうとして地面に落した。腹を見せて裏返った蟇の屍の向うに夏の青い嶺…

甲斐の谺(11/13)

(2)同一季語の句の響き合い 蛇笏・龍太父子の同じ季語を含んだ俳句を対比させて、響き合いを楽しんでみよう。予め断っておくが、龍太の句が、先行する蛇笏の句を意識して作られたかどうかは不明であり、組合せは筆者が恣意的に行ったということ。連句には…

甲斐の谺(10/13)

季語の詠み方と響き合い (1)季重なりについて 甲斐の自然に浸って生活する蛇笏・龍太父子にとって、季語は一句に一つのみという俳句の制約は、極めて不自然な事態であった。人が細かく定義したさまざまの季語は、自然の生活に溢れかえっているからである…

甲斐の谺(9/13)

(6)擬音・擬態語 擬音語は、現実の世界の物音や声を我々の発音で写し取った言葉。擬態語は、現実の世界の状態を我々の発音でいかにもそれらしく写し取った言葉。これらも詠む対象が生動する技法で、二人が共に多用した。共通する言葉もいくつかある。 蛇…

甲斐の谺(8/13)

(5)喩法 喩法は擬人法と近い関係にある。何故なら擬人法は人にあらざるものを人に喩えて、なぞらえて表現する技法だからである。蛇笏、龍太ともに直喩「ごとし」の使用頻度が高いが、以下には他の表現もあげておく。 蛇笏の例 はつ汐にものの屑なる漁舟(…

甲斐の谺(7/13)

(4)擬人法 活喩法とも言う。人でないものを人に見立てて表現する修辞法。親しみのあるいきいきした感触が生まれる。山岳に囲まれた甲斐の田野に豪農として生涯を送った蛇笏・龍太父子にとって、人間も自然の一部と捉える立場から、擬人法は必須とも言える…

甲斐の谺(6/13)

(3)座五の特徴的措辞 ところで龍太の場合、蛇笏に比べて座五に「かな」「けり」を使う頻度が少ないことが分かったが、それに代ってよく用いられる措辞があったか、という興味が湧く。筑紫磐井は「・・・の中」が目立ち、他にも「・・・の声」「・・・の音…

甲斐の谺(5/13)

(2)や、かな、けり 俳句制作の初期段階では、古典的な切れ字「や」「かな」「けり」を使用することが多い。特に伝統俳句においてはそうである。この傾向を蛇笏と龍太について定量的に分析してみた。二人の全句集を対象にした。即ち、蛇笏については『山廬…

甲斐の谺(4/13)

技法上の特徴 蛇笏と龍太の類似点、相違点を少しく詳細に具体的にみていく。 (1)句構造 蛇笏は俳句の五七五の韻律(正調)に概ね忠実であり、六期に分けられる生涯の作句期間を通して、有季定型を変えることはなかった。蛇笏の例句はあげるまでもなかろう…

甲斐の谺(3/13)

以上述べた俳風の特徴は、二人の作品をいくつか並べて見ればよく分かる。 蛇笏作品から ➀ なきがらのはしらをつかむ炬燵かな 『山廬集』 寒鯉の黒光りして斬られけり 『霊芝』 鴉片窟(あへんくつ)春月ひくくとどまれり 『旅ゆく諷詠』 ➁ 農となつて郷国ひろ…

甲斐の谺(2/13)

俳風の特徴 ふたりとも伝統俳句を継承しており、高浜虚子に親しんだ。河東碧梧桐一派の新傾向や荻原井泉水系統の自由律俳句とは無縁であった。しかし、ふたりとも時代の文芸思潮の影響を受け、それぞれの性格が作品の特徴に現れている。 蛇笏の場合は、当時…

甲斐の谺(1/13)

俳句結社「雲母」の運営(選句、鑑賞)を二代にわたって担当した飯田蛇笏・龍太父子の生涯と作品について、どのような関係にあったかを見てゆきたい。同じ家に住み生活を共にすると俳句にどのような影響が出るのか、類似性、独自性につき技法、季語の詠み方…

湯河原梅林

標高625mの幕山の麓に広がる湯河原梅林については、何度もこのブログで取り上げているのだが、初公開されたのが平成8年だったとは知らなかった。十五歳以上の入園料200円は、変っていないようだ。夜に湯河原温泉に宿泊するとこの入園料は返却されるらしい。…

鎌倉探訪―腰越

小田急・江ノ島駅から常立寺、龍口寺、満福寺と訪ねた。 常立寺は現在は日蓮宗の寺だが、元は真言宗の寺で、近くの龍ノ口の刑場で処刑された刑死者を弔う為に出来たという。ここに元使塚がある。文永の役の後に、蒙古の国使・杜世忠ら5人が鎌倉幕府に降伏を…

道づくし(11/11)

定家の歌論では、有心体以上に歌の本来の意味にそった体はない、優れた歌はそこに深い心が宿っているもの、優しく趣のあるように詠むべきである、と主張する。 対する塚本の歌論では、短歌という詩型はプラスの詩型ではない、前世紀の遺物である、それを現代…

道づくし(10/11)

次に塚本邦雄の場合。負の諸概念を短歌に詠むことで現代前衛短歌を先導した彼は、道の取り入れ方も独特である。 踐(ふ)みゆかむこの道はただひとすぢに遠つみ祖とこころ通へる 『初學歴然』 抜道の間道、縞の間道と分きがたし喜多耳鼻科夕映 『献身』 迷路ゆ…

道づくし(9/11)

最後に、古今の前衛歌人二人、藤原定家と塚本邦雄の道のうたを比較してみよう。ふたりとも道のバリエーションが群を抜いて多いのである。各々十首をあげる。 先ずは藤原定家の場合を『拾遺愚草』から(但し山路の歌以外)。 敷島の道しるき身にならひおきつ…