天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2018-09-01から1ヶ月間の記事一覧

スミレと薺(なづな)(1/10)

[注]本シリーズの内容は、「古志」2014年2月号に発表した評論「スミレと薺」と同じものです。はじめに 去る平成二十一年十一月二十九日に亡くなった川崎展宏の俳句を集大成した『春 川崎展宏全句集』を読んだ。現代俳句ながら古典的な風味が強い。俳諧(発…

権力(2/2)

特定の地位には、特定の権限が付与されているので、権限を行使する権力が伴う。つまりいろいろな場面に様々な権力が現れる。大勢の人たちの生活や運命を左右する権力が最も注意を要する。「権力」という言葉は、常に負や悪のイメージを喚起する由縁であろう…

権力(1/2)

辞書によれば権力とは、「他人を強制し服従させる力。特に国家や政府などがもつ、国民に対する強制力。」とある。 短歌に権力という言葉が現れるのは、現代短歌においてである。戦前はとても使える雰囲気ではなかったであろう。 海こえてかなしき婚をあせり…

天皇(2/2)

以下の作品は、いずれも昭和天皇に関わるものである。歴代の天皇の中で日本の運命を最も憂い、敗戦の責任を考え続けた人だったと言えよう。軍幹部に騙された、という思いも強かったようだが、統帥権は天皇にあったので、責任は逃れようがなかった。日本国民…

天皇(1/2)

来年は天皇の譲位が予定されている。天皇とは、日本国憲法に規定された日本国および日本国民統合の象徴たる地位、または当該地位にある個人。7世紀頃に大王が用いた称号に始まり、歴史的な権能の変遷を経て現在に至っている。 古くは「すべらき」「すべらぎ…

Shohei Ohtani(11)

9月21日(日本時間)からアストロズとの三連戦が始まった。 第一戦: 大谷は4番DHで先発。三振、センターフライ、センターフライ、三振 の結果。エンジェルスは3:11で負けた。 第二戦: 大谷は4番DHで先発。ショートフライ、ファーストライナー、…

目を詠う(6/6)

かけ足に春過ぎゆきて若き娘(こ)の髪もひとみも風にとまらぬ 五島美代子 母ひとりにうち明けること持ちて来て子の瞳(め)ひたひた われに近寄る 五島美代子 わが目のなかに小さき指をつきこみて柔らかに児の撫でむとすなり 五島美代子 向日葵と黒きひとみの少…

目を詠う(5/6)

病む吾子に年祝(ほ)ぎの箸をもたしめてまなこぬれゆくわれも吾妻も 木俣 修 両の眼の盲(し)ひるくらやみいかなれば子は父よりも罪ふかしとぞ 前登志夫 いたむ目に冷たき指をあてて思ふいひわけはきかれぬかもしれぬ 石川不二子 眸(まみ)とぢて想へば易し氾濫…

目を詠う(4/6)

昼の床に眼(まなこ)をとぢて落着けどなほ鎚(つち)の音の 忘れかねつつ 松倉米吉 壕(がう)の中に坐(ざ)せしめて撃ちし朱占匪(しゆせんひ)は 哀願もせず眼をあきしまま 渡辺直己 白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り 斎藤 史 借金をかへす…

目を詠う(3/6)

みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の やまとくにばら かすみて ある らし 会津八一 海底(うなぞこ)に眼のなき魚(うを)の棲むといふ眼の無き魚の 恋しかりけり 若山牧水 眼も鼻も潰(つひ)え失せたる身の果にしみつきて鳴くはなにの虫ぞも 明石海人 をさ…

目を詠う(2/6)

大空を眺めてぞ暮す吹く風の音はすれども目にし見えねば 拾遺集・凡河内躬恒 あめの下芽ぐむ草木の目もはるにかぎりもしらぬ御代の末末 新古今集・式子内親王 夜な夜なは眼のみさめつつ思ひやる心や行きておどろかすらむ 後拾遺集・道命 夜の灯のともり出で…

目を詠う(1/6)

目(め)は「みる(見る)」の語根で「め、ま、み」と音転する。「目・眼」を含むことわざ・慣用句・故事成語・四字熟語は多い。ただ、このシリーズでは目の視覚機能を中心に詠んでいる。 青旗の木幡(こはた)の上をかよふとは目には見れども直(ただ)に 逢はぬ…

Shohei Ohtani(10)

大谷は先週の週間MVPに選ばれた。二回目であり、日本人としてはじめて。 日本時間9月11日(火)からロサンジェルスのアナハイムでテキサス・レンジャーズとの三連戦に入った。トミー・ジョン手術への対応はまだ未定。ソーシア監督としては今シーズンの残…

Shohei Ohtani(9)

信じ難いことだが、レンジャーズ戦から一日置いたホワイトソックスとの初戦では、5番DHで先発し左投手から3ランホームランを打った。19本目である。これで日本人のMLB初年度のホームラン数記録(18本)を更新した。二日前に起きた北海道胆振東部地震…

Shohei Ohtani(8)

次のテキサス・レンジャーズとの二戦目では、2番DHで先発。左投手から今期初めてホームランを打った。これは16本目で、松井秀喜のMLB初年度のホームラン数に並んだ。 大谷の右肘靭帯にあらたな傷が見つかったという。次の登板は不明になった。医師は…

Shohei Ohtani(7)

テキサスのミニッツメイドパークにおいて、エンジェルスとアストロズの四連戦が行われた。四戦目に大谷は投手として復帰登板した。残念ながら3回無死一塁から2ランを打たれ、次打者を二ゴロに打ち取ったところで交代。49球を投げて2安打2奪三振、与えた四球…

Shohei Ohtani(6)

8月28日(日本時間)から、エンジェルスは今季最後のインターリーグでナ・リーグのロッキーズと二連戦に入った。試合前の練習では、投手復活に向けたピッチング・メニューをこなしていた。 一回戦で、大谷は4番DHで先発した。左飛、三ランホームラン、投…

秋刀魚のうた

サンマは北部太平洋に広く分布する温帯海魚である。日本周辺でいえば、晩夏北海道方面から南下し、秋に千葉沿岸にくる頃が旨い。 古くは「サイラ(佐伊羅魚)」「サマナ(狭真魚〉」「サンマ(青串魚)」などと読み書きされていた。大正時代になって、細長く…

白内障の治療(2/2)

実際に手術を受けたところ、メスが見えるわけでもなく、角膜が切開され、水晶体が砕かれて除去され、替りに人工レンズが挿入される状況なども全く分からないまま手術は無事終わった。その間、わずか10分程度だった。丸一日、左目に眼帯をしたのち、医院で眼…

白内障の治療(1/2)

十年以上も昔のことになるが、視力検査を受けた際に、医師から左目が白内障なので手術を受けてなおしたら、といわれた。その時は気軽な気持で予約までしようとしていたが、家で手術の内容をwebで調べたところ、眼球に施す切開などの様子がおぞましく、手…

月の詩情(12/12)

□逝去(昭和三十七年十月三日) 四男の龍太は、父母の死に際して次の追悼句を詠んだ。いずれも月が 入っている点、印象的である。月の持つ「はるけさ・懐かしさ・ 哀しさ」といった象徴性と浄化作用が現れている。リアリティに 裏打ちされていて身近に感じら…

月の詩情(11/12)

夏月に古潭の窗は童らの燈 『雪峡』 昭和二十五年・北方覉旅の諷詠。北海道旭川市の神居古潭の 夏の夜の情景か。 鳴神の去る噴煙に三日の月 『雪峡』 「信濃浅間」の前書。浅間山の噴煙が三日月のかかる夜空に 起ち上る情景が鮮やか。 春の月雲洗はれしほと…

月の詩情(10/12)

□旅行詠 昭和十五年に朝鮮半島経由中国大陸に旅行した。 春耕の鞭に月まひ風ふけり 『白嶽』 満州の大地を農夫の鞭に従って馬が耕している黄昏時の情景。 鞭に月が舞いあがるような景色の表現が新鮮。 東風の月禱りの鐘もならざりき 『白嶽』 「はるぴんにて…

月の詩情(9/12)

□家庭生活の窺える句 埋(うづみ)火(び)に妻や花月の情にぶし 『山盧集』 大正四年の作。夫人・菊乃の教養を軽蔑するような険しい内容だが、 蛇笏の身勝手な思い込み である。なお、夫人(四男・龍太の母) は、亡くなる前日、龍太を病床に呼んで、「私には文…

月の詩情(8/12)

人生の諸局面に現れる月 ここでは飯田蛇笏の生涯のいくつかの局面で詠まれた月の俳句を中心に、月の詩情を鑑賞してみたい。 蛇笏は山梨県東八代郡五成村(のち境川村、現笛吹市境川町小黒坂)の大地主の農家に生まれた。ここが終生の定住地であった。住まい…

月の詩情(7/12)

物語絵巻的作り 与謝蕪村は南宋画(文人画)をよくし、その力量は国宝に指定される作品があるほど高いものであった。つまり絵師としての想像力や表現力に秀でていた。それが俳句作法にも顕著に表れた。幻想的物語絵巻的作りである。古典に拠らないものでもそ…

月の詩情(6/12)

画賛句について 俳句を賛した簡略な絵(草画)を俳画と呼ぶが、画賛句は絵を賛した俳句のことである。談林俳諧においては井原西鶴も「画賛十二ヶ月」など俳画の連作を作っている。松尾芭蕉も俳画を残しており、門人たちも多くが俳画をよくした。近世後期には…

月の詩情(5/12)

□日本の物語・随筆・伝説を踏む 影は天の下てる姫か月のかほ 芭蕉 『古事記』では、高比売命のまたの名が、下光比売命(下照姫)に なっている。 大国主神の娘で天稚彦の妻。葦原中国を乗っ取ろうとして天上からの 矢で射殺された夫を喪屋をつくって八日八夜…

月の詩情(4/12)

□漢詩・漢籍・伝説を踏む 芭蕉、蕪村、一茶の中では、蕪村の作品に圧倒的に多い。蕪村は 漢詩文を自作するほど漢学の教養を備えており、芭蕉以上であった ことが、作品の多さからも分る。 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり 芭蕉 杜牧の「早行」(「鞭を垂れて馬…

月の詩情(3/12)

古典に拠る 江戸期の俳諧と明治以降の俳句との大きな違いは、前者では和漢の古典を大いに採り入れているのに対して、後者ではほとんどそれが見られないという点である。俳諧の時代には、連衆による歌仙制作が中心であったが、俳句の時代には個人主体の客観写…