寂蓮(保延5年(1139年)? ~建仁2年(1202年)) 三十代半ばで出家、後に諸国行脚の旅に出た(河内・大和などの歌枕、出雲大社、東国など)。歌道にも精進し、御子左家の中心歌人として活躍。「六百番歌合」での顕昭との「独鈷鎌首論争」は有名である。1201…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。