天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2019-01-01から1ヶ月間の記事一覧

和歌の鳥(5/9)

以降の4回にわたっては、三歌集(万葉、古今、新古今)で、新古今和歌集だけに詠まれた固有の鳥の歌をとりあげる。先ずは、鶉(うずら)から。新古今集には、以下の四首がある。 鶉は、キジ科の鳥。草原にすみ、地上を歩き回る。古くは鳴き声を楽しむために…

和歌の鳥(4/9)

次は、万葉集だけに六首(短歌は二首)詠まれている「ぬえ鳥(鵺鳥)」について。この鳥は、スズメ目ツグミ科に分類されるトラツグミのこと。日本では留鳥として、本州、四国、九州の低山から亜高山帯で繁殖する。 鵺(ぬえ) は古来、妖怪と考えられた。「ヒ…

和歌の鳥(3/9)

次は、万葉集だけに九首(短歌は四首)詠まれている「あぢ」について。この鳥は、カモ科のトモエガモではないかと考えられている。現在は絶滅危惧種に指定されていて、目にすることはほとんどない。 山の端にあぢ群騒き行くなれど我れは寂しゑ君にしあらねば…

和歌の鳥(2/9)

万葉集(4,516首、759年成立)、古今集(1,111首、912年成立)、新古今集(1,979首、1205年成立)と時代が新しくなるにつれ、全歌に占める鳥(固有名詞に限る)の歌の割合は、10%,8.6%,7% と漸減していく。百年、二百年と時間が経つうちに、都の都会化と和歌の詠み…

和歌の鳥(1/9)

日本固有の鳥には、十二種(アオゲラ、エゾアカゲラ、エゾコゲラ、オナガドリ、オリイオオコウモリ、カヤクグリ、カラスバト、コシジロヤマドリ、ショウコク、日本イヌワシ、ニホンキジ、ルリカケス)があるという。ただ、こうした名称は、近現代に付けられ…

知の詩情(21/21)

家猫への執着とその歌の数の多さも、小池光の一大特徴としてよい。猫の歌の割合は、『草の庭』2.5%、『静物』3.1%、『滴滴集』6.7%、『時のめぐりに』3.3% といった具合。一首だけあげておく。 ざぶとんに眠る嚢(ふくろ)を猫ともいふ老荘とほく笑へるこ…

知の詩情(20/21)

事実真実を論理的に詠うことで、不思議さやユーモアが出せる方法も小池は心得ていた。 存在と時間をめぐり思ふとき泥田の底の蓮根のあな 『日々の思い出』 ひとところ冬日のたまる枯芝を猫のかたちは横ぎりゆくも 『静物』 芝桜をカラス飛び立てり ややあり…

知の詩情(19/21)

固有名詞については、小池光が専門にした物理・数学を含む科学分野の歌に、特徴が現れる。前出の例以外にも、 かぐはしきはつなつの百合 水の辺(へ)に咲く盲目の数学者ひとり 『廃駅』 Big Bang 以後百五十億年 うつしみの舌まるめたり桜桃のため 『日々の思…

知の詩情(18/21)

次に、いくつかの局面で小池の特徴がよく現れている歌をみていこう。先ずは、ユーモアに批評が加わるウィットの例。 「ヒューマニズム」を無二の理想にかかげつつ五十余年の果てに「むかつく」 『静物』 「太初(はじめ)にことばありき」あんめれ鉄砲水と水鉄…

知の詩情(17/21)

三番目にあげたいのは、二重に言い直すことで考えさせる方法。 しゆわしゆわと熊蝉ひとつ鳴きはじめ雷(らい)雨(う)の雨(あめ)はここにをはるも 秋の日ざしからだに浴びてかなへびが御影石の石に刹那をゐたる 情緒的言(げん)に言ふときにおのづからやぶれてゐ…

知の詩情(16/21)

第二には、主語の扱い方である。動作の主語を隠すことによる謎かけ。作者以外の主語を明確にせず、その動作だけを述べることで読者を立ち止まらせる。以下は歌集『時のめぐりに』から。 あち等こち等に突きあたりつつ入りきては納簾のひもの鈴をゆすれり 葉…

知の詩情(15/21)

では、小池光の短歌における知の詩情の依って来る技法について詳しくみていこう。初めに述べたように、知の詩情の契機となるものは、読者が短歌を読む際に感じる謎であり、立ち止まって考えさせる措辞である。抒情に乗せられて簡単に読み過ぎる形にはなって…

知の詩情(14/21)

小池光は、「不在の在」を詠う明確な方法論を提示しているわけではないが、次のような歌で、喪失感が指摘されている。 廃駅をくさあぢさゐの花占めてただ歳月はまぶしかりけり 『廃駅』 盗まれたるわが自転車はいまいづこすさまじき月の夜を帰りて 『日々の…

知の詩情(13/21)

小池が塚本から引き継いだ考え方に、「不在の在」がある(『街角の事物たち』)。写真家・中野正貴は「人のいない風景」というテーマで、銀座や渋谷の繁華街の無人の時を撮影して、見る者に逆に人間の存在を強く感じさせている。小池の考えの実例である。あ…

知の詩情(12/21)

韻律についても、塚本から引き継いでいる。塚本は、周知のように句跨り・語割れ、七七五七七、頭韻、脚韻など多彩な試みをした。ただ、小池の場合は、句跨り・語割れの歌は多くない。数多い塚本の例から二首を。 何に殉ぜむジュネ、ネロ、ロルカ、カリギュラ…

知の詩情(11/21)

第四の技法は、雅から俗への展開。これは、先に触れたように斎藤茂吉から始まっている。本歌取やパロディ化にも通じる。 春の夜の午前三時に眼をあきてわれの体の和(なご)むことあり 斎藤茂吉『寒雲』 春の夜の夢ばかりなる枕頭にあっあかねさす召集令状 塚…

知の詩情(10/21)

第三の技法は、表記。複雑な漢字やその組み合わせ、当て字により読者に考えさせ納得させることが可能である。逆に、漢字で書くと一見して意が通じ、簡単に読み過ぎるところを、わざわざ仮名文字で表記すると、やはり立ち止まらせる効果がでる。塚本の歌から…

知の詩情(9/21)

第二の技法は、「・・少女」「・・男」などの造語である。塚本の歌から。 海彦は水葱少女(なぎをとめ)得て霜月のうらうらととほざかりし白帆 『歌人』 氷上の錐揉少女(きりもみをとめ)霧(きら)ひつつ縫合のあと見ゆるたましひ 『星餐図』 そのめぐりたちまち…

知の詩情(8/21)

次に、塚本から継承した技について見ていこう。第一には、様々の分野の固有名詞。芸術分野(音楽、文学、絵画など)で多いことが共通。塚本においては、聖書、フランス芸術、有名人の忌日にこだわる点に特徴がある。フランス語の多用も目立つ。小池において…

知の詩情(7/21)

第四の技法は、漢字の読み方。茂吉の歌では『つきかげ』から例をあげよう。 米粒(べいりふ)は玉のごとしといへる句も陳腐(ちんぷ)といはばわれは黙(もく)せむ われ病んで仰向にをれば現身(げんしん)の菊池寛君も突如としてほとけ くろぐろとしげれる杉のした…

知の詩情(6/21)

小池も盛んに「あはれ」を使う。歌集別に使用頻度を調べてみると、高いところは、『廃駅』2.6%、『草の庭』2.5%。今までの七歌集で平均すれば、1.7%になる。小池自身の解説によると、あはれにはあらゆる感情が入る。その意味できわめて便利な抒情、詠嘆の…

知の詩情(5/21)

次は、助詞「は」の用法。茂吉の歌から めん鷄ら砂あび居たれひつそりと剃刀(かみそり)研人(とぎ)は過ぎ行きにけり 『赤光』A ゆたかなる河のうへより見て過ぎむ岸の青野(あをの)は牛群れにけり 『遠遊』BAの「は」は、主語と述語とを直接につなぐ。Bの…

知の詩情(4/21)

小池光における温故知新ということで、先ずは斎藤茂吉から継承した技から見てゆこう。第一は、ユーモア。茂吉の例は大変多い。 大きなる都会(とくわい)のなかにたどりつきわれ平凡(へいぼん)に 盗難(たうなん)にあふ 『つゆじも』上句のもの言いと下句の「平…

知の詩情(3/21)

今ではほとんど使われなくなったが、「温故知新」という言葉がある。現代短歌における「知の詩情」のフロンティアで、小池光ほどこの言葉がぴったり当てはまる歌人は他にいないのではないか。「古」の代表として、斎藤茂吉と塚本邦雄を取りあげ、小池光が切…

知の詩情(2/21)

具体的に考えてみよう。「知の詩情」とは、読者を立ち止まらせ考えさせて、笑い・ユーモアを誘い、あるいは納得させ妙に感動させる批評精神にみちた歌および作りかた、と定義できる。ウィットは、ユーモアに批評精神が入って生れるものである。技法上は、次…

知の詩情(1/21)

明治期の短歌革新運動において、正岡子規は、よく知られているように、『古今集』ならびにその撰者の紀貫之を徹底して批判した。典型例が、春上・巻頭歌の有名な「年の内に春はきにけり ひととせをこぞとやいはん ことしとやいはん」であった。閏年の概念と…

冬を詠む(9/9)

枯草の乱るる下に惑ひなく土うるほひてゐたり冬の日 大野誠夫 冬の日といへど一日(ひとひ)は長からん刈田に降(お)りていこふ鴉ら 佐藤佐太郎 冬の日に乾く球根いのちもつものはいのちのかがやきをもつ 木俣 修 くれなゐの釦(ぼたん)拾ひぬ冬の日に河床(かし…

冬を詠む(8/9)

冬の砂掌をこぼるるに伝ひくるこの限りなき時のやさしさ 尾崎左永子 戦友のやうに携へ来し夫と冬の渚に照らされてゐる 尾崎左永子 陽光が地上に割れる音のしてこの冬いちばんの寒い日となる 菊池良子 もうだいぶ水面から沈んできたやうなみぢんこの思ひして…

冬を詠む(7/9)

厨辺にぽとりぽとりと水おちてうつぶせのごとく冬に入るなり 小高 賢 山はいま冬に入らむひそけさに残るもみぢの黄に澄み匂ふ 高橋誠一 わが去らば冬は到らむ高原のすすきの穂より生れいづる霧 篠 弘 渺茫というほかはなき深みどりもうまもなくの冬を湛えて …

冬を詠む(6/9)

冬きたる野の木野の草限りなく衰ふるものに美しさあり 窪田空穂 剛直に立ちあがりつつ冬に入る藤の根方を見て帰りゆく 河野愛子 葉を振い冬の欅の立つ見ればわが生き何ぞ今 いさぎよき 前田 透 来ん年はよきこともあれ武蔵野は今日風打ちて 冬に入る空 前田 …