天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

俳句を詞書とする短歌(1/9)

まえがき 周知のように、和歌の詞書(題辞、題詞)の役割は、和歌を詠んだ趣意、背景を述べることにあり、万葉集以来よく使用されている。わが国の古典文学においては、この詞書の部分が物語にまで拡張されて、『伊勢物語』や『大和物語』のような歌物語とい…

時を詠む(5/5)

いつの日の雨を溜めいし空缶かこぼせば〈時〉がまた水になる 福崎定美 火も人も時間を抱くとわれはおもう消ゆるまで抱く切なきものを 佐佐木幸綱 にんげんの時間は背骨のなかにある樅を見上げてわれ息深し 渡辺松男 霧うごき木の花の匂ひ流れたり久遠(とは)…

時を詠む(4/5)

焼あとの運河のほとり歩むときいくばくの理想われを虐(さいな)む 前田 透 そばだちて公孫樹(いちやう)かがやく幾日か時を惜しめば時はやく逝く 長澤一作 売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき 寺山修司 圧縮されし時間がゆるくもどりゆくイ…

時を詠む(3/5)

時すぎて人は説かむか昭和の代(よ)のインテリゲンチヤといふ問題も 柴生田稔 八月のまひる音なき刻(とき)ありて瀑布のごとくかがやく階段 真鍋美恵子 夾竹桃の花の明るさ狂ひたる時計が狂ひし時きざみゐて 真鍋美恵子 古き面(めん)のうつろの眼(まなこ)を通…

時を詠む(2/5)

いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ物思ふ事のかぎりなりける 古今集・読人しらず かぎりなき君がためにと折る花は時しもわかぬものにぞありける 古今集・読人しらず 時すぎてかれゆく小野の浅茅(あさぢ)にはいまはおもひぞたえず燃えける 古今集・小町姉 また…

時を詠む(1/5)

時・刻は月日の移り行きや時間をさす。「光陰」ともいう。時候や季節をいうことも。 香具山と耳成山とあひし時立ちて見に来し印南国原 万葉集・天智天皇 日並皇子(ひなみしのみこ)の命(みこと)の馬並(な)めて御猟(みかり) 立たしし時は来向ふ 万葉集・柿本人…

喩に沈む季節(8/8)

7.現代短歌にも季節の秀歌はある 現代歌人にも季節感あふれる歌はある。感覚的にも古典和歌に優るとも劣らないことは、本文はじめに少し紹介したが、ここでは季語を比喩表現ではなく、まともに使っている秀歌を四季それぞれから一首づつ挙げておく。 〈女…

喩に沈む季節(7/8)

6.読みの問題も 季語を意識して鑑賞することで、イメージが顕つことがある。読み手の季語に対する感受性にも大きく依存する。藤原定家の次の有名な例がある。 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ 藤原定家(秋歌)一、二句で花や紅葉の…

喩に沈む季節(6/8)

三番目に、特に強調しておきたいことだが、季語を比喩表現の中で使っている歌では季節感が薄れる。現代短歌では、比喩表現の中に季語が多く現れる。作者並びに読者は、季節をどう感じてほしいかあるいは鑑賞するか、が課題である。比喩表現における季語は、…

喩に沈む季節(5/8)

5.季節感が薄れる詠み方 短歌の中に季語が入っていてもレトリックによって季節感が弱まってしまう場合がいくらでも出てくる。 夢や思い出の中の季語、絵葉書や絵画の中の季語、外国語への言替え、会話・引用語の中の季語、部分に適用された季語、希望の中…

喩に沈む季節(4/8)

4.現代若手歌人に見る季語の扱い 以下の話は、『現代短歌最前線 上・下』の全4200首についての季語分析(付表)に基づいて進める。このアンソロジーには、21人の現代歌人ひとりにつき自選200首が掲載されている。言葉としての季語区分は、『合本俳句歳時記…

喩に沈む季節(3/8)

3.季語と季節感のズレ 平安朝時代から比べると、明治以降、季語の種類が圧倒的に増えた。例えばラグビー、受難節。季語登録が間に合わないくらいである。現代歳時記の季語に登録されていない季節の表現はいくらでもある。 ノースリーブの肩より垂らすさみ…

喩に沈む季節(2/8)

2.勅撰和歌集と部立の終焉 大和時代の記紀歌謡、万葉集を経て和歌の形式が整備されたが、奈良末期から平安初期にかけて、遣隋使、遣唐使にみられるような中国文化導入と漢詩文の隆盛に圧されて一旦和歌は衰微した。その後の藤原政権確立、草仮名による女房…

喩に沈む季節(1/8)

はじめに、この評論で分析の対象とした歌集について紹介しておく。和歌の時代からは、洗練された部立を確立し、当時の先進的感覚で勅撰された『新古今和歌集』を、対して現代短歌は、二十一名の若手歌人のアンソロジーである『現代短歌最前線 上・下』を、取…

一茶俳句と古典(3/3)

■日本の古典を踏まえたと思われる句の例をいくつかあげておく。 初蝶のいきほひ猛に見ゆる哉 *竹取物語に「いきほひ猛の者になりにけり」がある。 雉(きじ)なくや彼(かの)梅わかの泪(なみだ)雨 *謡曲「隅田川」を踏む。 山鳥のほろほろ雨やとぶ小蝶 *玉葉…

一茶俳句と古典(2/3)

■前書に詩経の詩篇名をもってきたものがある。特に享和期の作品に目立つ。この時期の工夫と思われる。寛政十二年から享和初め頃、『百人一首』による古歌の学習や『詩経』の講釈聴聞、『易経』の独学など懸命の精進をしたという。『詩経』や『易経』の俳訳に…

一茶俳句と古典(1/3)

■一茶俳句には、芭蕉や蕪村の句に多く見られる古典(日本の古典や漢籍)を踏まえた作品もある。芭蕉の『奥の細道』や『幻住庵記』を踏まえた句も多く見受けられる。 象潟もけふは恨まず花の春 *『奥の細道』「松島は笑ふがごとく、象潟はうらむがごとし」を…

時制の変調

斎藤茂吉の歌集のあれこれを読むと大半の歌は、旅や日常の報告である。丁寧に詞書が付いている場合もあるので、更にその感を深める。例は枚挙にいとまないが、昭和五年、長男・茂太が十五歳になったのを機に、一緒に出羽三山に参拝した折の一連が『たかはら…

茂吉とうなぎ

斉藤茂吉のうなぎ好きはつとに有名だが、いったい歌にはどれくらい詠んだのだろうか? 塚本邦雄が、『茂吉秀歌[白桃][暁紅][のぼり路]』において13首をあげ、茂吉に鰻のことを語らせたら優に一巻の書を成し得たことだろうと、解説している。 かくいう…

玉縄桜

早咲きの桜には、あたみ桜や河津桜の外に玉縄桜もあることを思い出して、大船フラワーセンターを訪ねた。木の本数は少ないが、満開の状態を見ることができた。説明板によると、玉縄桜は、フラワーセンター大船植物園で「染井吉野」の実生から選抜育成したオ…

蕪村の画賛句(11/11)

おわりに 蕪村の俳句は、正岡子規が高く評価してから、近現代において有名になった。ただし俳画については、子規は著書『俳人蕪村』において、「俳画は蕪村の書きはじめしものにして一種摸すべからざるの雅致を存す。しかれども俳画は字のごときもののみ、つ…

蕪村の画賛句(10/11)

いかだしの蓑やあらしの花ころも 安永九年(65歳)か、自画賛 詞書に「雨日嵐山にあそぶ」、自賛の前書に「嵐山の花にまかりけるに 俄に風雨しけれは」とあり、また落款に「酔蕪村三本樹井筒屋楼上おいて写」とあるらしい。 句は、保津川を下ってくる筏士の…

蕪村の画賛句(9/11)

又平に逢ふや御室の花ざかり 安永六年(62歳)あたりか、自画賛 詞書に、「みやこの花のちりかかるは、光信が胡粉の剥落したるさまなれ」とある。句は明解で、御室の花ざかりにきて、浮かれて踊る浮世又平のような花見客に逢った、という意味。又平は大津絵…

蕪村の画賛句(8/11)

歯豁(あらは)に筆の氷を噛(かむ)夜かな 安永六年(62歳)、自画賛 句の意味は、年老いてまばらになった歯で凍った筆先を噛んでは筆を進める寒夜だなあ。 「歯豁」は、歯が抜け落ちた老人の形容で、韓退之の詩に「頭ハ童ニ歯ハ豁ニ、竟ニ死ストモ何ノ裨アラ…

蕪村の画賛句(7/11)

[右の句] にしきぎの 門(かど)をめぐりて おどり哉 安永六年(62歳)[左の句] 四五人に 月落ちかかる 踊かな 明和五年(53歳)か。 「英一蝶が画に賛望れて」つまり、英一蝶の画に賛を請われて蕪村が句をつくった、という。 「にしきぎの」句は、謡曲『…

蕪村の画賛句(6/11)

岩くらの狂女恋せよほとときす 安永二年(58歳)、自画賛 詞書に「数ならぬ身はきき侍らず」とある。時鳥の声が、「数ならぬ身」の耳には入らぬとも、狂女なら聞けるだろうといった。つまり時鳥が狂女に恋せよと呼びかけた。背景に、徒然草107段の話(ややこ…

蕪村の画賛句(5/11)

雪月花つゐに三世のちぎりかな 安永元年(57歳)―六年(62歳)か、自画賛 雪月花は白楽天「雪月花ノ時最モ君ヲ懐フ」に拠る。三世のちぎりは、過去・現在・未来にわたる主従の深いつながりのことで、謡曲『橋・弁慶』「これ又三世の奇縁の始め、今より後は主…

蕪村の画賛句(4/11)

学問は尻からぬける蛍かな 明和八年(56歳)か、自画賛 詞書に「一書生の閑窓に書す」とある。閑窓とは、学問をするに適している静かな窓辺。諺「きいた事尻へぬける」を引用している。句は、蛍の光で学問に励んだ逸話とは逆に、聞いた端から尻へ抜けて光っ…

蕪村の画賛句(3/11)

月更(ふけ)て猫も杓子も踊かな 明和七年(55歳)、合作画に蕪村の句 「猫も杓子も」は諺で、「誰も彼も、何もかも、一緒くたに」という喩。踊りに浮かれる人々の形容である。 絵の前書には、「猫は応挙子が戯墨也。しゃくしは蕪村が酔画也」とあり、画は丸…

蕪村の画賛句(2/11)

木の端の坊主のはしや鉢たたき 明和五年(53歳)、自画賛 「鉢たたき」とは、鉦やひょうたんをたたきながら空也念仏を唱え勧進すること。また、その人々。江戸時代には門付け芸にもなった。特に京都の空也堂の行者が陰暦11月13日の空也忌から大晦日までの48…