天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

水のうた(11/17)

地の低きところに水は溜まりいて夕陽の沈む浜名湖を過ぐ 黒住嘉輝*上句で浜名湖の状態を述べたのだが、浜名湖に限らない。しかしあらためて 言われると説得力を感じるから不思議。 まっすぐに落ちる水あり眼裏が河馬の欠伸のように明るい 今井恵子*まっす…

水のうた(10/17)

洪水だあ、とはしゃいでたのは私です むろんヨーグルトに なっちまいましたが 加藤治郎*このような作品を読者はどのように解釈するだろうか。それで どう評価するだろうか。上句は牛乳の入った瓶をひっくり返して はしゃいでいる情景。下句は時間が経って牛…

水のうた(9/17)

草小田のうちゆがみたる畦を来て堤のつづき水の輝く 片山貞美*わかるようでわからない情景。 水打たれたちなほる草 草に花 花に露おくことのたのしさ 藤井常世*「花に露おく」とは、打った水が流れた後に花に残っている水滴だろう。 その情景がたのしい、…

水のうた(8/17)

人はきて憩いているや灯(ひ)に染まり黄に照る水の仮象の色に 武川忠一 単純に流れぬ水のゆくえなど心けわしき夜は思うも 武川忠一 ひかりつつ暗渠ゆながれおつる水涎(よだれ)のごとくこほりつきたり 時田則雄*暗渠とは、地下に埋設したり、ふたをかけたりし…

水のうた(7/17)

疲れたるまなこもてみよガラス戸の水一滴のなかのゆうぐれ 村木道彦 水明りのごときもの見え炎見え広野に充つるしづかなる声 石川一成 水明りのごときもの見え木(き)草(ぐさ)見え日の暮れ蒼く湿原は澄む 石川一成 いまわれの手にて汲みつつある水をまなこと…

水のうた(6/17)

かなしみはつひに遠くにひとすぢの水をながしてうすれて行けり 前川佐美雄*一筋の水に悲しみをのせた。 藪かげゆ小舟にのりて水たぎつ鬼怒川わたりぬ春の寒きに 古泉千樫*激流の鬼怒川を小舟で渡った思い出 撒水のいち早く消え道白く過ぎし孤独の日に続き…

水のうた(5/17)

涼しさをことの外にもひきくるは隣の水のしらべなりけり 井上文雄*井上文雄は、江戸後期の国学者・歌人。江戸の人。徳川御三卿の一つ田安家に 侍医として仕える。医師をやめた後は歌人として独立。個性を重視し、用語の 自由を主張して、和歌の革新を用意し…

水のうた(4/17)

今はとも思ひな絶えそ野中なる水の流れはゆきてたづねん 新古今集・大中臣輔親*古今集の「いにしえの野中の清水 ぬるけれど もとの心を 知る人ぞ汲む (読人不知)」を本歌取りしている。野中の清水は、現在の神戸市西区の湧水 を指す。作者の大中臣輔親は…

令和元年のアマリリス

[閑話休題] アマリリスについては、本ブログで過去に5回(2008年5月28日、2010年6月27日、2011年5月29日、2012年7月7日、2018年5月26日)取り上げているので詳細は省くが、わが家では令和元年の今年も居間と玄関の二か所で、下の画像のような元気の良い花…

水のうた(3/17)

水のおもの深く浅くも見ゆるかな紅葉の色やふちせなるらん 拾遺集・凡河内躬恒 雨ふりて庭にたまれるにごり水たがすまばかは影の見ゆべき 拾遺集・よみ人しらず*庭たずみを詠んでいる。 岩間より流るる水ははやけれどうつれる月のかげぞのどけき 後拾遺集・…

水のうた(2/17)

花ちれる水のまにまにとめくれば山には春もなくなりにけり 古今集・清原深養父*意味は「花が散って流れている川をさかのぼって、花を求めて来たところ、山には 花もなく春さえもなくなっていた。」 もみぢ葉の流れざりせば竜田川みづの秋をばたれか知らまし…

水のうた(1/17)

「水」の語源は、「みつ(満)」という説あり。確かに自然界には水が満ちている。 秋山の樹(こ)の下隠(かく)り逝(ゆ)く水のわれこそ益(ま)さめ御思(みおもひ)よりは 万葉集・鏡王女*天智天皇が鏡王女のいる家が見えたらなあと嘆いた歌に対する返歌で、意味…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(17/17)

参考(続) なによりは舌ぬく苦こそ悲しけれ思ふことをも言はせじの刑(はた) 聞書集・西行 *地獄絵、すなわち地獄に堕ちた罪人が責め苦を受けるさまを描いた絵を見ての作。 他に4首あり。地獄絵を主題とした歌には和泉式部の先例がある。 葛城(かづらき)や…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(16/17)

参考 秋の野になまめきたてるをみなへしあなかしがまし花もひと時 古今集・遍昭 *若い女たちがあたり憚らずお喋りなどしている様を暗喩する。 たらちめはかかれとてしもむばたまの我が黒髪をなでずやありけむ 後撰集・遍昭 *むばたまの:「黒」にかかる枕…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(15/17)

おわりに 完成された古典和歌から受ける第一印象は、様式美である。もともと和歌の韻律形式が整っているのだが、取り上げる対象や修辞法が共有できるものであり、特異なものでなかったことに起因している。一方、近現代短歌になると、個性や新規性を発揮する…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(14/17)

頓阿(正応2年(1289年)~ 文中元年/応安5年(1372年)) 若い頃に比叡山で篭居して天台教学を学び、その後高野山でも修行。20歳代後半に金蓮寺の真観に師事し時衆となった。東国・信州を行脚。西行を慕って諸国の史蹟を行脚、京都東山双林寺の西行の旧跡に…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(13/17)

慈円(久寿2年(1155年)〜 嘉禄元年(1225年)) 平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧。歴史書『愚管抄』を記したことで知られる。摂政関白藤原忠通の子。幼いときに青蓮院に入寺し、仁安2年(1167年)天台座主・明雲について受戒。建久3年(1192年)…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(12/17)

寂蓮(保延5年(1139年)? ~建仁2年(1202年)) 三十代半ばで出家、後に諸国行脚の旅に出た(河内・大和などの歌枕、出雲大社、東国など)。歌道にも精進し、御子左家の中心歌人として活躍。「六百番歌合」での顕昭との「独鈷鎌首論争」は有名である。1201…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(11/17)

俊恵(永久元年(1113年)~ 建久2年(1191年)頃?) 風景と心情が重なり合った象徴的な美の世界や、余情を重んじて、多くを語らない中世的なもの静かさが漂う世界を、和歌のうえで表現しようとした。同じく幽玄の美を著そうとした藤原俊成とは異なる幽玄を…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(10/17)

西行(元永元年(1118年)~文治6年(1190年)) 保延6年(1140年)23歳で出家して円位を名のり、後に西行とも称した。出家直後は鞍馬山などの京都北麓に隠棲し、天養元年(1144年)頃に奥羽地方へ旅行し、久安(1149年)前後に高野山に入る。 仁安3年(1168…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(9/17)

行尊 (天喜三~長承四(1055-1135)) 平安時代後期の天台宗の僧侶(平等院大僧正)・歌人。三条院の曾孫。大峰・葛城・熊野など各地の霊場で修行。白河院・鳥羽院の熊野臨幸に供奉。また画もよくし、衣冠を着けて歌を詠んでいる柿本人麻呂像を夢にみて写した…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(8/17)

道因 (寛治四(1090)~没年未詳) 平安時代後期の貴族(藤原北家高藤の末裔)・歌人・僧。出家の身ではあったが、歌道に志が深く、たいへん執着していた。七、八十歳の老年になってまでも「私にどうぞ秀歌を詠ませてください」と祈るために、歌神として信仰…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(7/17)

良暹(りょうぜん) (生没年未詳(990頃~1060頃)) 平安時代中期の僧(比叡山の天台僧)・歌人。歌語をめぐって論争した話や,良暹の詠んだ上句に誰も下句を付け得なかった話など,多くの説話が伝えられている。 [生活感] さびしさに宿をたち出でてながむれば…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(6/17)

能因(永延2年(988年) ~ 永承5年(1050年)あるいは康平元年(1058年)) 26歳の時出家し、摂津国に住む。奥州・伊予・美作などを旅した。直接の原因は不明だが,自己を愛し,積極的に生きるための出家であったことがわかる。彼の作歌は,実生活に即した…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(5/17)

素性(生年不詳 - 延喜10年(910年)?) 父の遍昭(遍照とも)と共に宮廷に近い僧侶として和歌の道で活躍した。はじめ宮廷に出仕し、殿上人に進んだが、早くに出家した。歌風は軽妙洒脱の中にも優美さがあり,静止的で絵画風な歌の中にもその一端がうかがわ…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(4/17)

恵慶(えぎょう) (生没年未詳) 平安時代中期の僧、歌人。大中臣能宣,紀時文,清原元輔,平兼盛,曾禰好忠,安法法師らと交流し,和歌史上先駆的な作品を詠む。 [生活感] 八重(やえ)葎(むぐら)しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり 拾遺集 桜…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(3/17)

遍昭(弘仁七~寛平二(816-890)) 桓武天皇の孫。平安時代初期の天台宗の僧・歌人。六歌仙および三十六歌仙の一人。僧正の職にまで昇り、歌僧の先駆の一人である。 ところが、紀貫之による遍昭の評は、「僧正遍昭は、歌のさまは得たれどもまことすくなし」と…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(2/17)

喜撰(生没年未詳) 平安時代初期の真言宗の僧・歌人。宇治山に住んだ。六歌仙の1人。古今集仮名序には「ことばかすかにして、はじめ、をはり、たしかならず。いはば、秋の月を見るに、あかつきのくもにあへるがごとし。よめるうた、おほくきこえねば、かれ…

平安・鎌倉期の僧侶歌人(1/17)

はじめに 花鳥風月の自然環境に生きる人間の精神世界を詠んだ古典和歌の完成は、勅撰和歌集の終焉により示された、とも考えられる。その完成度を概観する手立ては、いくつもある。本格的には、万葉集を加えた全勅撰和歌集を分析する方法。もっと手軽には、藤…

俳句は取合せ(10/10)

おわりに 「二物衝撃」の章で述べた芭蕉と蕪村の五月雨の句の比較について再考しておこう。芭蕉句は、俳句紀行「奥の細道」の最上川の条に出てくるものであった。句の前に書かれた文章によって周辺の情景が具体的に描写されるので、俳句の情緒が一段と心に浸…