西行の五十歳代は、平清盛の全盛時代と一致している。五十歳になった西行は、四国行脚に発つ。讃岐に流刑されていた崇徳院が、四年前に四十六歳で崩御されていた。生前も西行は慰めの歌を度々送っていたが、院の行状には批判的であった。讃岐に来たのは単に…
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