天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

別れを詠む(7/10)

帰らざる夫に嘆きし家なりき沈丁花にも訣れを告ぐる 長尾福子 *夫は何故帰ってこなかったのか。それを嘆いて暮した家を去る場面のようだ。ちょうど沈丁花が咲いている時期。 ことすべて終りし如き安らぎのみ顔を拝す涙を堪へて 松村英一 まさかにもこれが別…

別れを詠む(6/10)

淡々と別れしことも快し老いほけぬ間に来てまた会はむ 植松寿樹 *年数を経た同窓会での感想もこうしたもの。 かなしげに吾(あ)を見送りしまなざしとおもふべからずなべては過ぎぬ 筏井嘉一 咬みあへるけものならずもさだやかに別れむときはつつしむもなし …

別れを詠む(5/10)

春の夜の星のやうなるまなざしの悲しくもあるかとはに別れし 佐佐木信綱 けふ別れまた逢ふこともあるまじきをんなの髪をしみじみと見る 若山牧水 別れては遥けきものか新芽立つちまたを一人今日も歩める 古泉千樫 君をおきて死(しに)のきはにも呼ばむ名はな…

別れを詠む(4/10)

逢ひみてもさらぬ別れのあるものをつれなしとてもなに嘆くらむ 新勅撰集・殷福門院大輔 *逢って愛し合っていても別れはある。それに比べれば、つれないからと言って嘆くなど、笑わせないで、と手厳しい。 なほざりの袖のわかれの一言をはかなく頼むけふの暮…

別れを詠む(3/10)

たのむれど心かはりてかへり来ばこれぞやがての別れなるべき 千載集・藤原顕輔 *「たのむれど」の「たのむ」は、約束して期待させること。一首の意味は、 「またきっと会えるとあなたは請け合ってくれるけれど、心変わりして帰ってくるなら、この別れがその…

別れを詠む(2/10)

いかでなほ人にもとはむ暁のあかぬわかれやなにに似たりと 後撰集・紀 貫之 かくばかりわかれのやすき世の中に常とたのめる我ぞはかなき 後撰集・読人しらず 年をへてあひみる人のわかれには惜しきものこそ命なりけれ 後撰集・小野好古 *小野好古は、平安時…

別れを詠む(1/10)

別れとは、別々になる、関係を断つ、離れ離れになる などの意味を有する。様々な別れがある。人との別れ、ペットとの別れ、故郷との別れ。背景には、何らかの理由があるのだが、和歌、短歌に詠まれる場合は、多く人との別れである。二度と会わないであろう別…

恋(13/13)

鼻濁音がきれいだなあと誉めらるる訳のわからなさに恋をしき 梅内美華子 恋は木をつつく連続音に似て小啄木鳥(こげら)見つけてうれしきふたり 渡辺松男 生きることは人恋うること恋は孤悲 ほととぎす今年の初音が届く 三枝昂之 おみなみな美しくなる夏は来ぬ…

恋(12/13)

若(わか)夏(なつ)の恋はかならずやぶれしよ不空羂索(ふくうけんざく) 観音(くわんおん)重さ知られず 長岡千尋 *不空羂索観音: 胎蔵界曼荼羅観音院の一尊。羂索は漁猟の道具で,どんな魚や鳥も捕らえられるように,必ず人を救うのでこの名がある。 もはや叶…

恋(11/13)

積年のうらみの如く言葉あり生命ひきかへになすものぞ恋 大野かね子 不逢恋(あはぬこひ)逢恋(あふこひ)逢不逢恋(あふてあはぬこひ)ゆめゆめわれをゆめな忘れそ 紀野 恵 *おびただしいリフレイン! 珍しい。 あたたかき雨の濡らせる郁子(むべ)の花この子の恋…

恋(10/13)

かき抱くものは花屑ばかりにてみなかたちなきひと世の恋も 大野誠夫 恋といふ孤独なるもの我は見る流れの岸にあそぶ二人を 田谷 鋭 夏の間の若き蛍はひたぶるに光りを交はす恋しづかなり 山本鳩世 みづからはうらみじといふ恋もなく過ぎたりし世か永し短し …

恋(9/13)

戀よりもあくがれふかくありにしと告ぐべき 吟(さまよ)へる風の一族 斎藤 史 *吟(さまよ)う: うなる。うたう。 恋よりもあこがれたのは「風の一族」であった、という。 酒に灼く胸持つ君を知りてより母に告げ得ぬ暗き恋する 久々湊盈子 ボーリング場の少女…

恋(8/13)

この恋を捨つる期すでにおくれたりはた遂ぐる期のなき世ながらに 原阿佐緒 *作者は、美貌の持ち主であり若くからさまざまな恋愛問題を引き起こした。この歌の内容は、物理学者・石原純との恋愛を指しているのであろう。 わが恋はゆくて知らずて母となりぬわ…

恋(7/13)

海哀し山またかなし酔ひ痴(し)れし恋のひとみにあめつちもなし 若山牧水 甕(かめ)ふかく汲(く)みたる水の垢(あか)にごりさびしき恋もわれはするかも 古泉千樫 *結婚前の妻「きよ」との恋を詠んだもの。 プラタナス黄ばみ吹かるる街にしてギヴアンドテイクの…

恋(6/13)

ややありてふたたびもとの闇となる花火に似たる恋とおもひぬ 吉井 勇 *上句は花火にかかる序詞。言いたいことは下句。 忍ぶ恋見ぬ恋恋のあはれさのかずかずを取り集めたる恋 吉井 勇 *「恋」のリフレイン。あわれさで恋を分類できるのかも。 赤き色のマツ…

恋(5/13)

敷きしのぶ床だにたへぬ涙にも恋はくちせぬものにぞありける 千載集・藤原俊成 *「敷きしのぶの床は、大量の涙には耐えきれず朽ちてしまうが、恋は違っていつまでも涙で朽ちないものであったよ。」 厭はるるその由縁(ゆかり)にていかなれば恋は我が身を離れ…

恋(4/13)

玉の緒のたえて短きいのちもてとしつきながき恋もするかな 後撰集・紀 貫之 *玉の緒の: (枕詞) 玉を通す緒の意で、その長短から「長し」「短し」、乱れたり切れたりすることから「思ひ乱る」「絶ゆ」「継ぐ」、玉が並んでいるようすから「間 (あひだ) も…

恋(3/13)

川の瀬になびく玉藻のみがくれて人にしられぬ恋もするかな 古今集・紀 友則 宵のまもはかなく見ゆる夏虫にまどひまされる恋もするかな 古今集・紀 友則 *「まだ宵のうちでもはかなく見える夏の虫よりも、いっそうひどく迷っているようなはげしい恋をするこ…

恋(2/13)

馬場あき子『日本の恋の歌』(角川学芸出版)〜貴公子たちの恋〜、 〜恋する黒髪〜 の二冊が参考になる。後者のあとがきにある、次の一節が興味深い。 「恋の歌の世界で独特の発達をとげたのは比喩で、その多彩さは目をみはるばかりである。」 防人(さきもり…

恋(1/13)

洋の東西を問わず、恋は詩歌の基本的主題である。勅撰和歌集には、「恋」が一つの部立としてまとめられていた。それだけに「恋」を含む言葉も多様である。 このシリーズでは、熟語や複合語などの多様な言葉を除き、単純に名詞の「恋」一語を詠んだ作品に絞っ…

呪われた従軍歌集(10/10)

以上を要するに、小泉苳三は歌論を時流に整合させようと苦心し た。彼の「現実的新抒情主義」は、『山西前線』の最後、「聖戦」と いう次の一連五首に結実していると思われる。 つはものが生命衂(ちぬ)れる大陸の山河の上に月青く照る 大陸の野に山に生命過…

呪われた従軍歌集(9/10)

次は、戦争遂行に関しての考え方と時局への対応について見ておきたい。渡辺直己を例外として、小泉苳三、宮柊二、土屋文明らは皆、戦争を決意した天皇の詔を尊び、皇軍を讃える歌をいくつも詠んでいる。ただ、それを正直に歌集に入れたのが、苳三であった。…

呪われた従軍歌集(8/10)

従軍歌集を読んでいて連想するのは、平家物語や太平記のような七五調で語られた軍記物の場面である。例えば、『山西前線』聞喜城は、敵の大軍に包囲され、籠城八十日間、少数の部隊で奮戦死守した様子を歌った一連であるが、これには太平記「新田義貞の進撃…

呪われた従軍歌集(7/10)

戦地での待遇もそれなりに行届いていた。駐屯地では、佐官や尉官が対応してくれた。 弾の来る左側面に馬ならべかばひてくれし兵に別るる [張店鎭にて] 南京では、 草枯の斜面に散れる白骨を踏みつつのぼる心がなしく 結句の措辞が家持調である。黄河におい…

呪われた従軍歌集(6/10)

以下、場所、場面、事柄について、吟味する。日本を出発時に詠んだ心構えの歌。 聖戦のさまをつぶさに歌ふべき大き使命に思ひいたりぬ 日本歴史を劃(くわく)する大(おほ)御軍(みいくさ)に従行く吾の行方(ゆくへ)は知らず 大伴家持が越中守として赴任した際の…

呪われた従軍歌集(5/10)

先ず『山西前線』で目立つ特徴としては、初句字足らずが大変多い。全歌497首中46首ほど、一割近くもある。この詠法によって、歌集に緊迫感が醸成されている。 現地の一角にしてただならぬものうごめけりくらき埠頭に 遺髪(ゐはつ)の包に辞世を認めて覚…

呪われた従軍歌集(4/10) 

小泉苳三は昭和八年一月「ポトナム」誌上で、「現実的新抒情主義短歌の提唱」を結社の指針とした。『山西前線』は、その後に出した最初の歌集であり、この提唱の具体例となるはずのものであった。小泉苳三は、『評釈・大伴家持全集』(大正十五年五月)に見…

呪われた従軍歌集(3/10)

昭和十三年九月、内閣情報部は、従軍作家陸軍部隊を組織したが、そこには歌人が含まれていなかった。歌人協会の働きかけおよび小泉苳三単独での出願により、苳三の従軍が許可された。旅費は軍が持ったが、旅装一切は本人負担であった。左官待遇(四十四歳と…

呪われた従軍歌集(2/10)

わが国の戦史において戦場を短歌に詠むようになったのは、明治以降である。日清戦争に正岡子規が従軍記者として参加した時が最初になる。子規は、金州を中心に戦跡を視察したのだが、残念ながら、その内容を文芸作品としてまとめるに到らなかった。陣中日記…

呪われた従軍歌集(1/10)

手元に、古びて赤茶けた一冊の本がある。各ページには、ところどころに濡れたようなにじみが見える。表紙には、小さな赤字で従軍歌集、大きな黒字で山西前線、そのルビに赤字で「さんしいぜんせん」と書かれ、鐡兜の兵士が腹這って、眼光鋭く銃を構えた絵が…