天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌に詠む人名(2/7)

岩波文庫

こうした歴史的背景が和歌(長歌、旋頭歌、短歌など)に人名を詠むことを制約していた面があったはずである。古典から見て行こう。
和歌のもとになった記紀歌謡の場合は、神話の世界になる。大国主の神、阿治志貴(あぢしき)高日子根(たかひこね)の神、御真木入日子(みまきいりびこ)や天皇や皇子をさす日の御子などが出てくる。個人名が詠われた例をあげよう。
 やつめさす 出雲建(いづもたける)が 佩ける刀
 黒葛(つづら)多巻(さはま)き さ身なしにあはれ。
 須々許理(すすこり)が 醸(か)みし御酒(みき)に 我ゑ酔ひにけり。
 事無酒(ことなぐし) 笑酒(ゑぐし)に 我酔ひにけり。
 大前小前宿禰(おほまへこまへすくね)が 金門蔭(かねとかげ)、かく寄り来ね。
 雨立ち止めむ。
次に古い万葉集の場合はどうか。伝説・神話の登場人物(日女尊(ひるめのみこと)、大汝少彦名、真間の手児名、佐用比売 等)、地方や職業を代表する固有名詞(海未通女(あまをとめ)、泊瀬女(はつせめ)、網代人(あじろひと)、陸奥の可刀利少女(かとりをとめ)、小竹田壮士(しのだをとこ) 等)や容姿を形用する固有名詞(栄少女(さかえをとめ)、遊士(みやびを)、すがる娘子(をとめ)うなひ処女(をとめ) 等)が主体。わご大君、日並皇子(ひなみしのみこ)などは、詞書からどの天皇か皇子かを指すかわかるが、歌の中では固有の人名にはなっていない。個人名が明確に出ている歌を四首。
 憶良らは今は罷らむ子泣くらむそのかの母も吾を待つらむそ
 蓮葉はかくこそあるもの意吉麿(おきまろ)が家なるものは芋の葉にあらし
 駒造る土師(はじ)の志婢麿(しびまろ)白くあれば諾(うべ)欲しからむ
 その黒色を

 石麿にわれ物申す夏痩に良しといふ物そ鰻(むなぎ)取りめ食せ
最初の山上憶良の歌のように、作者自身の名前を詠み込むことは、近現代まであまり抵抗なく続いている。