天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

甲斐の谺(13/13)

龍太句碑「水澄みて四方に関ある甲斐の

俳句鑑賞の特徴
最後に蛇笏と龍太の俳句鑑賞について。結社のみならず新聞・雑誌・テレビの選者をつとめると、俳句作品の批評・鑑賞は必須になる。逆に、的確な批評・鑑賞ができないと選句は信頼できない。飯田蛇笏の俳句批評を最初に高く評価、絶賛したのは詩人の三好達治であった。昭和十七年九月に発刊された『諷詠十二月』において、次のように紹介している。一部のみ引用。
「・・・この作者はまた比類なき眼光と周密細緻な用意とを備へた、殆んど完全無欠と称しても差しつかへのない鑑賞批評家で、その月々の「秀作評釈」は、今日現在の俳諧を顧る者にとつて後世最も珍重さるべき古典的文学たるを私は信じて疑はない。その遍く行き渡つて手落ちのない理解と同情、その俊敏無比な感受性、その旺盛なる好奇心と想像力、その古典的教養、その進歩的熱意、とりわけその驚くべき広汎な範囲に及ぶ語感の感光度―まづこれらの点で、・・・月々のその長からぬ文章から、私などはどれほど新鮮な豊富な教示と啓蒙との恩恵に接してゐるか解らない位である。」
これにより俳人蛇笏の名は、一般読書人にまで広く知られることになり、結社誌「雲母」上の彼の批評・鑑賞が書物にまとめられる契機ともなった。
一方、蛇笏の選句や俳句の批評・鑑賞を引き継いだ龍太は、文章にも父に劣らず優れた才能を発揮した。龍太の文章力を評価した作家には、三浦哲郎永井龍男庄野潤三江藤淳などがいた。庄野潤三の評(『無数の目』について)に代表させておこう。
「面倒がらずに、まめによく書く。親切な文章を書く。また、茶目気もたっぷり持ち合わせている。散文を楽しんで書いている。風韻、含蓄というものを重んじる。」(福田甲子雄: 龍太散文の魅力『飯田龍太の時代』思潮社 参照)。
作家・井伏鱒二との四十年にわたる交誼も龍太の文章を魅力的にするに効果があったはず(『井伏鱒二飯田龍太往復書簡』角川学芸出版)。戦後に俳句入門をしたものは誰でも、龍太の鑑賞文(『俳句鑑賞読本(全)』立風書房)の独特の味わいに魅せられ、俳論、随想などまでも読みふけったのではなかろうか。蛇笏の旧仮名遣いの格調高い文章に対して、龍太の現代仮名遣いのゆったりした文章が馴染み易い。ただ、蛇笏と龍太の俳句鑑賞文を読み比べると論の進め方がよく似ている。これは継承したところであろう。