天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

大磯の銅像

吉田茂の銅像

 産経歌壇・伊藤一彦選に次の歌が入っていた。ずいぶん久しぶりである。選者が交代してから、葉書を出す熱意がなくなったこともあるが。
  盃に大きく息を吹きかけて投げつけにけり
  厄割り石に

 今日もまた大磯にいった。なんとか旧吉田茂邸の中を見てみたいのだが、大磯プリンスホテルの所有なので、そこの宿泊客にのみツアーとして案内しているらしい。裏道から入る吉田茂銅像は一般公開している。大磯町郷土資料館に入ったら、入り口近くに大磯を詠んだ和歌を集めてあった。「こゆるぎの磯」を詠み込んだ歌が十七首もある。万葉集古今集後撰集、金葉集などのころから「こゆるぎ」「こよろぎ」という言葉が使われているので、古代からの歌枕であった。
近世末期の小沢芦庵、香川景樹師弟の例を次に示す。同じ掛詞を使っているので面白くはないが。
  こゆるぎのいそぎて立てどむら千鳥波のあとにぞ声は聞こゆる
                      小沢芦庵
  こよろぎのいそぎなれたる海士の子はたつ年波も知らずやあるらむ
                      香川景樹

 大磯には縄文時代から人が住んでいたらしく、土器や竪穴住居跡、横穴墓などが見つかっている。大磯に来たときの定番コースだが、鴫立庵に寄って俳句箱に投句し、地福寺に回る。藤村夫妻が眠る地福寺境内には白梅が満開、目白がさかんに飛び交っていた。今日は、夫妻の旧居には行かなかった。


  にこやかに杖つき立てる銅像にカメラを向くるわれならなくに
  しづかなる邸にありてこの国の行く末思ひ葉巻くゆらす
  里山の空に出でたる霊峰の白装束に固唾をのめり
  一人の意志にて建てし豪邸をうらやみめぐる後の世の人
  旅人に日蔭与へし大木の榎ありけりここ一里塚
  家康の命につくりし一里塚石碑ひとつに跡をとどむる
  伊藤公滄浪閣の旧跡に中華料理を食ひにたりけり
  白梅の下に眠れる文豪とその若き妻大磯に死す


     芳春の花つつましき富貴草   
     やどり木の瘤のあらはや春うらら
     あを空の真白き梅に目白かな