天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌人・東京歌会

 午後から上野の文化会館で歌会。いつものことながら、不忍池の周りを歩いて時間をつぶす。

     参道や屋台の奥の花見席
     参道に屋台ひしめく花吹雪    
  鮎あぶり烏賊げそ揚げて肉を焼く花の終りの神社参道
  やきとりもお好み焼きも食ひ飽きて花散りのこる公園に寝る
  頭に赤き矢の刺さりたる鴨も見ゆ花の下なる水鳥の群
  不忍池の水鳥人に馴れ餌をねだりて足元に寄る
  足元に寄る水鳥をさげすみて吹き矢を吹きし少年の朝
  おほいなる石柱立ちて鬱ふかし天海僧正毛髪塔は


歌会で小池光がコメントした歌のうちからいくつかをあげておく。
  眼裏(まなうら)に一遍がゆく空也ゆく西行もゆき相模は風花
  *ビッグネームを出すときは有難味を感じさせなければ
   ならないが、三つも出すとそれがなくなる。雑駁な歌に
   なってしまった。


  巨ボタル飛びかふやうぞ下校する児らに付きゆく黄みどりの服
  *「やうぞ」は変な言い方。「付きゆく」では、ストーカーに
   なってしまう、「付きそふ」とすべき。また、「飛びかふ」
   では、黄みどりの服が大勢いるようなイメージであり、
   児らに安全な状態とは思えない。


  大学に入(い)りて念珠を与えられわがひとり娘(ご)の十八の春
  *歌の内容にショックを受ける。異常な大学のような感じになる。
   「入りて」は、入学のことか、門を入ったのかあいまい。
   入学する、という言い方が望ましい。


  風にのりミモザの花の香りくる畑に馬鈴薯植えてる時に
  *主題が二分してしまっているので、読者に与える印象が
   薄まる。「植えてる時に」は、内容とそぐわない。
   「植えいる時に」でよい。


  新聞を束ねて捨てる朝にしてあはあはしけれ昨日のことも
  *「新聞」に対して「昨日」という組み合わせは、つきすぎに
   なるのでダメ。


  この雨に花も終ると思う日に届く葉書の伏見区醍醐
  *下句は口調もよく魅力的だが、醍醐は花見で有名な場所
   だけに上句が出来すぎてクサくなる。