天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

伊太利亜(1)

出張先のパソコンを借りて昼休みにブログに入力できたので,休みにしなくてすみそう。
先日,インターネット経由で買った岡井 隆の歌集『伊太利亜』を読み始めた。これは,2002年5月30日から6月9日まで,北イタリアの諸都市を,NHK学園の海外研修の旅に講師として参加した際に作った歌が基になっている。
岡井 隆は,塚本邦雄と共に前衛短歌を推進した時代から,短歌形式に文字通りあらゆる試みをしてきた。文字の配列の工夫もそのひとつ。この歌集は横書きであり,かつ個々の歌の文字の並び方に様々なバリエーションを待たせて視覚的な効果を出そうとしている。「0 帰国後」から例をあげる。歌集の初めが,「帰国後」というのも岡井らしい捻りであろう。


A     少し端の折れたタオルが足
     元に捨てられたやうに蒼く

         ヴェネツィア


B     置き忘れられたる毒のあひ
     だから修道尼らがわらわら
          と
          出
          る


C       乳の上が
       虫の模様
       のTシャ
       ツのペア
       だがどこ
       も似てな
       いふたり


ところでこんな文字配列にどんな意味あるいは効果があるのであろう。
先ず,作者の側から考える。先ず,作者の側から考える。三十一文字を,Cのように4文字7列にしようとすると,どこを漢字やカナにするかブランクを入れるか,あるいは別の言い方にするかといったことで頭を使うことになる。また,AでもBでもCでも,単語の途中でかまわず改行している。読みやすさからすれば,せめて単語は同じ一行に入れたいと思うはずだが,数の構成を優先させてまで視覚効果を見てほしいのであろう。もっと積極的に考えるなら、歌の内容表現が多角的になり推敲にも寄与する。歌の内容に適した文字配列を工夫する知的な作業が発生する。
次に読者の側から考える。慣れないと,あるいは作者の意図が分からないと,岡井 隆の歌の難解さが倍増してしまい,拒絶反応を引き起こす。歌の内容となんの関係があるのか?どのようなリズムで読めというのか?など疑問が噴出するであろう。
しかし慣れると歌の解釈の幅が格段に広がり知的な面白みがそれだけ増える、という効果が期待される。
いずれにせよ成功した場合には、視覚的にもリズム的にも新しい表現形式として短歌革命になりうるのだ。