天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

虎御前

虎御前の木像

 大磯は虎御前ゆかりの地である。長者の娘に生まれて「虎」というすさまじい名前をつけられた美少女は、曾我兄弟の兄と恋仲になった。だが周知のとおり兄弟は、建久4年(1193)5月28日、巻狩開催中の富士の裾野で、仇討を果たした後に惨殺された。このことは、鎌倉時代の東鑑に記載されているが、その碑が鴫立庵の庭に古びている。なにせ側面には元禄十四巳中秋・望月と彫られた石碑なのだ。またその横の法虎堂という小さな御堂に、有髪僧体の十九歳の虎御前を写したという木像が安置されている。大淀三千風が在庵の頃に、堂も木像も江戸新吉原から寄進されたと伝える。
 曾我兄弟の菩提を弔うため尼になった虎御前が住んだところが、現在の宮経山・延台寺であるという。彼女が詠んだ次の歌が石碑になっている。

     露とのみ消えにしあとを来てみれば
     尾花がすえに秋風ぞふく   虎女


     句碑歌碑をたどる松陰鵙の声
     ひよどりの去りて高まる沢の音


  横穴のあまた口開く傾斜(なぞへ)きてカケス啼くなり
  秋ふかむ谷戸


  ヒヨドリの声かしましき谷戸なれば女ふたりが身を寄せ合へり
  蜘蛛の囲に枯葉ばかりがかかりたり鴫立つ沢をわたす石橋
  手と顔が白々見ゆる法虎庵妙恵尼とふ人形の闇
  仇討のあと弔ひて詠みし歌今に伝ふる秋風の寺
  大磯の遊女とむらふ墓碑もあり虎御前祀る大磯の寺