山頭火と放哉
年末なので溜まりに溜まった俳壇、歌壇などの月刊誌を捨てるべく見直しているが、ずいぶん読んでいない記事も多い。そんな中に「俳壇」十月号の「山頭火vs放哉」があった。何人もの俳人が両者の比較をしている。それらから要点を抽出して、あらためて次にまとめておく。
周知のようにふたりは荻原井泉水の下で自由律俳句に専念し、破滅型人生を送った。
種田山頭火 尾崎放哉
[略歴]
明治十五年山口県生まれ。 明治十八年鳥取県生まれ。
大正二年荻原井泉水に師事。 大正四年「層雲」に初入選
大正十四年報恩寺にて出家得度。 大正十三年知恩院塔頭の
寺男に
昭和十五年松山市「一草庵」で逝去 昭和元年小豆島の「南郷庵」
で逝去
享年58歳 享年41歳
[生前句集] 6冊 無し
『鉢の子』『草木塔』『山行水行』
『雑草風景』『柿の葉』『孤寒』
[句の比較]
けふは凩のはがき一枚 こんなよい月を一人見て寝る
うしろすがたのしぐれてゆくか さよならなんべんも云つて
わかれる
たまさかに飲む酒の音さびしかり 酔のさめかけの星が出て
ゐる
鉄鉢の中へも霰 咳をしても一人
あるけばかつこういそげばかつこう 月夜の葦が折れとる
[辞世句]
もりもりもりあがる雲へ歩む 春の山のうしろから烟が出だした