天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

虚仮の一念

大山の樅

 こんなつもりではなかったのだが。大山山頂にまで登るはめになってしまった。
今年し残したことを片付けるために、伊勢原に行く。大山寺から阿夫利神社下社へ至る女坂の七不思議のうち、五、六、七番目のものがあり、それを歌に詠むことである。一番目から四番目まではすでに詠んだ。また、一昨日大磯から見た雪の富士がなかなか良かったので、大山の途中から見る富士はさらにすばらしかろう、という思いもあった。追分から大山寺まではケーブルカーにのり、大山寺から阿夫利神社下社までのぼって歌を作った。そこから富士の見えるところまでと裏手の「かごや道」を登っていった。大山は丹沢大山国定公園の中心で、標高1252mの端正な山である。途中にある樅の原生林が鋭気を与えてくれる。富士見台は二十丁目にあった。でもガスがかかっていて見栄えがよくない。下山しようと思ったが、ここまで来れば頂上までは、そんなになかったはずとまた上にのぼり始めた。もう少し先かなと歩いているうちに山頂についてしまった。
 山頂のトイレの裏側にすばらしい絶景ポイントがあった。今までに何度も大山に登っているのだが、ここは今日はじめて知った地点である。まさに絶景を見た。右手奥には秩父連山、正面に富士、そして手前には丹沢の山々。もう登ることはなかろうと思っていた大山だが、これで終りとしてよい。
 下社境内、本殿正面に大きな茅の輪が据えられ、横に次のめでたい和歌が書かれていた。

  新玉の年のはじめにくぐる輪は千歳の命のぶと言うなり


      大山の木地師が作る絵独楽かな
      年の瀬を越ゆる茅の輪や雨降山
      深山路やガサと崩るる霜柱
      年逝くや二十丁目の富士見台
      湯豆腐も猪鍋もあり講の宿


  女坂に七不思議ありその五には話さば落つる朱の無明橋
  女坂に七不思議ありその六は石の祠に潮騒を聞く
  女坂に七不思議ありその七は眼形石とふ眼を癒す石
  霜柱大音響に崩るれば深くも入りし山路思ほゆ
  メタボリックシンドロームを防がむと心臓賭してのぼる大山
  息継ぎて倦まず弛まずのぼり来し虚仮の一念山頂に立つ


 七不思議の歌は、古すぎる。江戸中期の小沢蘆庵調のようでマズイ。後日、再度考えて作り直そう。それはいいとして、大晦日の今日は膝が痛くて歩けない。外出は無理か。
[追伸]絞首刑に処されたイラクフセイン元大統領の遺体が、故郷の村に、二人の息子の墓の傍らに埋葬されたというニュースを、インターネットで見て、胸にこみあげてくるものがあった。何故であろう。ロープが首にかけられる処刑寸前の堂々とした態度にも感動したのだが。
 宇宙は「空」である! 哲学の真髄を感じて今年が終わった。


  ふるさとの一族の墓地に葬られし絞首刑後のフセインあはれ