大伴家持(4)
中西 進編『大伴家持』の中から、岡井隆による越中時代(二十九歳〜三十四歳)の秀歌鑑賞につき、部分的に要約しておく。
ま幸くと言ひてしものを白雲に立ちたなびくと聞けば悲しも
*家持が越中に赴任したのは、二十八歳の時。家持は、形式の
整序について敏感なタイプの歌人であったようだ。
「言ふ」と「聞く」のように概念の配置がバランスよい。
「白雲に立ちたなびくと」の句も美しい。
山川のそきへを遠みはしきよし妹を相見ずかくや嘆かむ
*[五・七][五・七][七]の三行構成で、記紀歌謡風の
形式を踏む。「山川の」「はしきよし」「かくや」いずれも
ア列音によってみちびかれている。開母音が、ちょうど区切
のいいところに出現して、歌のしらべを大柄にみせている。
淡如とした言葉を組み合わせて、しかも調べにゆるみがない
というのは、家持の生得のリズム感の良さを語っている。
立山の雪し消(く)らしも延槻(はひつき)の川の渡り瀬鐙
(あぶみ)漬かすも
*越中巡行時の嘱目詠。材料がごたごた入って、生煮えの感が
するが、東歌などにも詳しかった家持がわざと不器用に作った
擬似風俗歌とも思える。
珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり
*茂吉も文明も秀歌として褒めている。気になるところが2点。
一つは、「珠洲の海に」「長浜の浦に」と、上・下句のはじめ
の句が一字あまりになっていること。
二番目は、「に」の重なり。不可欠の「に」で代替はきかない
が、歌の声調の上では、たがいに触り合う。
春の園紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ娘子(をとめ)
*むかしから家持の代表作として知られているが、いつ読んでも
「春の園」「桃の花」「娘子」という名詞切れ、名詞止めが気
になってしかたがない。
中国文学未消化の前衛的試みの歌とみる。
もののふの八十娘子(やそをとめ)らが汲み乱(まが)ふ寺井の上
の堅香子(かたかご)の花
*「の」という助詞の次に「が」が出て来て、「汲み乱ふ」を
あいだに置きつつ、「の」「の」「の」と重ねて加速して行く。
様式的にも完成した態の歌。
しなざかる越に五年住み住みて立ち別れまく惜しき宵かも
*送別の宴席における挨拶歌としての気品があり、下の句などの
調べとひびきには、形式儀礼的な主賓の言葉以上のものがある。
「住み住みて」という重ねことばも、一つの実感であろう。