天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

阿久 悠

白彼岸花(瑞泉寺にて)

 8月1日、作詞家・阿久 悠が逝った。その後、彼の作詞した多くのヒット曲が、数回に渡って放送された。発想が奇抜で詩のバラエティが豊富。天才だと思った。さっそく岩波新書の『愛すべき名歌たち ―私的歌謡曲史―』と『書き下ろし歌謡曲』、新潮社の『歌謡曲の時代』の3冊を、Amazon.comから取り寄せた。『愛すべき名歌たち』から読み始めた。戦後の歌謡史を阿久の個人史と重ねて書いているのだが、文章が実に上手い。冗長でなく切れがよい。なにしろ読みやすい。岩波から第一版が出たのは、1999年であったが、第二版は今年の8月17日、つまり阿久の死後すぐであった。岩波としては、阿久の追悼の意味で出したのであろうが、第二版まで時間が経ち過ぎている。こんなに面白い本なのに版を重ねていない。
 『愛すべき名歌たち』を一日で半分ほど読んだだけだが、天才・阿久 悠の発想には、基本に歌謡史があったことを理解できた。感銘した箇所はいくつもあるが、例えば、「カスバの女」三番の歌詞の終りの部分が好き、ということで次のように書く。
    〃明日はチュニスか モロッコ
     泣いて手をふる うしろ影・・・〃
  往年の名画「モロッコ」の世界であろうと思う。この架空性と、
  架空でありながら人の一生を左右する危うさに、妙なリアリティー
  を感じたのである。

ここに俳句や短歌にも通じる真実がある。
 実を言うと阿久の風貌が気に食わなかったので、これまで個人史には関心がなかった。人は見かけによらないのだ!