天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

薔薇と軍港(1)

横須賀ヴェルニー公園

 正岡子規は、明治二十一年(1888)八月、夏季休暇を利用して、汽船で浦賀に着き横須賀・鎌倉に遊んだ。七月に第一高等中学校予科を卒業したばかりで、22歳。余談だが、鉄道の横須賀線が開業したのは、翌年の明治二十二年であった。横須賀の印象を詠んだという次の俳句の碑が、ヴェルニー公園の片隅に、戦艦「山城」「長門」「沖島」の碑とならんで立っている。


      横須賀や只帆檣(ほばしら)の冬木立


 夏にきたのに冬の景色として創作したことになる。子規は後に、短歌や俳句の写生論を展開したが、その写生とは必ずしも自らの体験を詠むことではなかった。それは、与謝蕪村の俳句を称揚したことからもわかる。蕪村は、画家だっただけに想像力を駆使して真に迫る句を作った。例えば、「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分哉」はあまりに有名。

 ちなみに実景を詠んだ写生そのもののわが句を次にあげる。「俳句四季」で茨木和生が採ってくれた。


      横須賀や薔薇の向ふに潜水艦