天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

短歌朗読(4)

江ノ島ビーナス4

 わが国には神話の時代から独自の音楽があったのであろうか? 大陸から伝わった楽器・譜面が契機になって発達したのだろうか。記紀歌謡では、既に和歌の形式が中心になっているので、楽曲との関係がはっきりしない。
歌会始冷泉家主催の歌会での、あの独特な詠み方(披講)は、藤原定家の時代から引き継がれているものらしい。これは、朗詠とは全く違った調子である。現代では、日常あるいは歌会で、短歌に節をつけて吟唱する様に読むことは、少ないが、例外的に、若山牧水の短歌は、彼の故郷では、子どもたちまで独特の節をつけて唄っている。特殊な事象であろう。手元にある朗読集(『現代歌人朗読集成』大修館書店)には、与謝野晶子、尾上柴舟、北原白秋斉藤茂吉、釈 迢空などから塚本邦雄寺山修司佐佐木幸綱などまでの歌人の生の声が録音されている。ここでの朗読は、和歌の披講の形式に沿っておらず、時代によるあるいは歌人による特徴的な唄い方が紹介されている。
近年は、短歌朗読という方が通りが良い。ピアノやギターなどを弾きながら短歌を読むこともBGMを入れながら読むことも自由であり、福島泰樹のように絶叫する歌人もいる。
これは、第二次大戦後、特に前衛短歌以降の新しい潮流といってよい。
 ここで提案だが、電子技術、ITが発達した現在、木材・紙を大量に消費する出版形式をやめて、歌集も結社誌も電子本に切り替え、ネット経由で見聞きするようにしたらどうであろう。そうすれば、作品に作者の朗読をつけたりすることが容易にできるので、面白い誌面ができる。