歌人たちの鎌倉2
鎌倉を詠んだ短歌と聞けば、一般の人は与謝野晶子の「美男におはす」を思うはずである。高徳院の裏庭に歌碑が建てられており、長谷大仏の観光客には、必ずといってよいほど紹介される。与謝野寛・晶子夫妻は、しばしば鎌倉に住む知人を訪ねた。
与謝野寛の歌
水色の鎌倉山の秋かぜに銀杏ちりしく石のきざはし
行く春の鎌倉に来て君と見ぬ半日は書を半日は波
与謝野晶子の歌
かまくらや御ほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな
鎌倉は朝も恋しき思ひ出も海の方より寄り来るかな
鎌倉の幕府なきのち正月にもろ人まゐる鶴が岡かな
御神楽を征夷将軍ならずしてわが奉る鶴が岡かな
周知の話だが、大仏は阿弥陀如来であり、釈迦牟尼ではない。これを指摘された晶子は、「釈迦牟尼」を「大仏」に置き換えようとしたが、吉野秀雄が、歌としては「釈迦牟尼」の方がよい、と評価したので、そのままになった。
大仏の耳たぶ垂るる春日かな
釈迦牟尼の歌碑に影おく黒松の幹をつつけるひとつ啄木鳥
み仏の頬に一筋皹(ひび)入りて齢とりたまふ冬木立かな