天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

山吹の花

大磯湘南平にて

 バラ科の落葉低木。一重のものは山野に自生するが、八重のものは庭園で栽培される。八重咲きは花期が少し遅い。万葉集の時代から和歌に詠まれている。特に、井手の玉川、蛙、山吹の花の取り合わせが定番になった。井手は、京都府綴喜郡井手町。玉川は相楽群和束の山中に発して井手を通り木津川にそそぐ川である。古今集の時代、井手の玉川べりは山吹の花の名所であり、蛙もたくさん棲んでいたのだろう。以下の読人不知の歌が、その後の和歌の本歌になった。ちなみに芭蕉の俳句開眼の句「古池やかはづとびこむ水の音」も、山吹の花と蛙の取り合わせの議論から生れた。さすがに明治以降の短歌では、こうした取り合わせは、扱われなくなった。


  山吹の花取り持ちてつれもなく離(か)れにし妹(いも)を偲び
  つるかも           万葉集大伴家持
                 
  かはづなく井手の山吹散りにけり花のさかりにあはましものを
                 古今集・読人不知
  駒とめてなほ水かはむ山吹の花のつゆそふ井手のたま川
                 新古今集藤原俊成    
  山しろの井手の玉川水清みさやにうつろふ山吹のはな
                     田安宗武
  世の中は常なきものと我愛づる山吹の花散りにけるかも
                     正岡子規
  ヤマブキははかなき一重の花ながら朽ちたる垣をかくして茂る
                     土屋文明
  夢に触るるやわらかきものたとうれば闇いちめんの八重の山吹
                     花山多佳子