白秋の『雲母集』(4)
梁塵秘抄
ここに来て梁塵秘抄を読むときは金色光のさす心地する
人妻・松下俊子との姦通事件で出獄した白秋は、自殺まで思いつめて、三浦三崎の漢学者・公田連太郎を頼った。禅宗の信奉者でもある公田は、以前白秋に三崎に遊びにくるようにと誘っていたからである。晴れて俊子と結婚し、一家を挙げて三崎に移住してからも白秋は、公田の寄寓する真福寺に入り浸って公田所有の本を読んだ。『梁塵秘抄』についても内容や謡い方について話し合った。公田所有の『梁塵秘抄』は、多分、欠巻があるものの佐佐木信綱校訂により初めて整備され、大正元年八月に刊行されたものであろう。
『雲母集』には、『梁塵秘抄』の古典の手法が取り入れられている。例えば、リフレン(特に下句の七、七)、口語・俗語(・・よな、・・やな など)、とか七五調である。『梁塵秘抄』の
○佛は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあはれなる、
人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ。
○遊びをせんとや生れけむ、戯(たはぶ)れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の聲きけば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ。
といった韻律と精神を受け継いだと思われる歌は数多いが、例えば
一心に遊ぶ子どもの声すなり赤きとまやの秋の夕ぐれ
ほのかなる人の言葉に触(ふ)りたれば驚くものか黍は小夜ふけ
網の目に閻浮檀金(えんぶだごん)の仏ゐて光りかがやく秋の
夕ぐれ
生馬の命かしこみ旋陀羅(せんだら)が火を点(つ)けむとす
空の高きに
虔(つつ)ましきミレエが画(ゑ)に似る夕あかり種蒔(たね
まき)人そろうて身をかがめたり
赤き日に畑打人形が畑をうつ畑打人形は哀しき夫婦(めをと)
夕焼空蘇鉄の上にいと赤し蘇鉄の下に地もまた赤し
などをあげることができる。