天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

八菅山

八菅神社参道

 神奈中のバス車内に、時々「くるーず」というパンフレットが置いてある。これは、バスの沿線の史跡や公園を紹介するものである。今年の秋28号では、厚木市愛川町の八菅山を中心に編集している。さっそく小田急本厚木駅から「上三増」行きバスにのって「一本松」で下車した。そこから中津川に出ると向かいに八菅山がある。
 八菅山は、はすげさん、と読むが、古名は蛇形山(じゃぎょうさん)と言った。日本武尊が東征の折、坂本からこの山を眺めて、龍に似ているところから名づけたと伝える。山中には蛇体の各部分にあたる池の名が今も残る。大宝三年になって、役の行者・小角がこの山で修法をおこなった際に、八丈八手の旗が降臨し、神座の菅の菰から八本の根が生えた。以来この山を八菅山と呼ぶようになった。この山を前にした丹沢山塊一帯が山岳信仰の霊地であり、修験の道場であった。以上のことは、山中に立っている看板に書いてある。
 八菅神社鳥居の両脇に次のふたつの句碑がある。


      蓬莱にきかばや伊勢の初便      芭蕉
      遠近乃笠も八菅や順乃峯       丈水


芭蕉の句は、『芭蕉全句』にあたると、元禄七年(1694)に作られたことがわかる。正月飾りの蓬莱を前に、伊勢神宮からの初便りを聞きたいものだ、との句意。句碑は安政七年(1860)に作られたらしい。丈水は聞いたことのない名だが、それもそのはず、ご当地(厚木市上依知)出身の五柏園丈水(1718〜1808)という人らしい。
 

      中津川落鮎つりの長き竿
      稲刈るや修験の山をまなかひに
      もののふの墓と伝へて曼珠沙華
      石階が胸に迫り来蝉しぐれ
      塚多き修験の道や秋日蔭
      経塚は盗掘に会ひ蝉しぐれ
      そのかみの修験の山や法師蝉
      あめんぼが空踏んまへる右眼池
     

  かたちよき宝篋印塔小さきが野辺に古りたり彼岸花咲く
  参道の石階横にうすあかし若山喜志子の献歌の石碑
  木の祠三つかこひて鎮まれり瓦葺きなる八菅神社は
  木漏れ陽の修験の山に何鳥か声うるはしく秋を告げたり
  八菅山展望台にわが見るは横浜川崎東京の街
  立ちならぶ案山子の姿見比べて畦道めぐる稲田のみのり