天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

白秋の『雲母集』(8)

見桃寺の白秋歌碑

           
雨月物語


  寂しさに秋成が書(ふみ)読みさして庭に出でたり
  白菊の花


父と弟が始めた魚仲買の仕事は失敗に終り、一家は白秋と俊子を残して東京に引上げた。白秋夫婦は、向ヶ崎の異人館から二町谷(ふたまちや)の見桃寺に居を移した。妻への愛情が父母との隔絶を生み、詩歌に生きる覚悟が更に孤独な生活を強いた。見桃寺におけるそんなある秋の日の情景がこの歌である。白秋の直筆になる歌碑が庭に置かれている(右上の写真)。繊細な白い文字は、崩してあることと時を経てかすれているため読み難い。庭には、背の低い棕櫚の幾株かが当時の名残を留めている。
 『雨月物語』がくりひろげたのは、生活の欠如の上になり立っている心の生活ともいうべき観念的な人間とその内的な世界である。和漢混じた古典的な文語文は、内面的思弁性をリアルに手に入れることに成功した(青木正次)。白秋は、上田秋成のこの作品から言葉と素材の斡旋による幽玄表現を学んだと思われる。『雲母集』からの例を次に示す。


  耳澄ませば闇の夜天をしろしめす図り知られぬものの声すも
  深々と人間笑ふ声すなり谷一面の白百合の花
  油壺しんととろりとして深ししんととろりと底から光り
  泳げば底より足をひくものあり人間の足をひくものあり


特に三、四首目は、三浦一族滅亡の哀史を背景にしている。新井城が落城した時、城兵は次々に自刃、油壺に投身して血潮が油になって入江を蔽った。落城した七月十一日の夜には、これらの亡霊が海底から浮かび上がってくるという伝説がある。ちなみに、北条五代記にある三浦一族全滅の模様は、『雨月物語』の語り口に酷似している。