天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

東山魁夷「九十九谷」より

 渓、たに。山と山の間のくぼんだ所。地学上の定義では、地表の隆起した部分の間の、狭く長くくぼんだ土地。

 
  今日今日とわが待つ君は石川の谷に交りてありと
  いはずやも         万葉集・依羅娘子
                   
  光なき谷には春も外なれば咲きてとく散るものおもひもなし
                古今集清原深養父
  脳の真中に薄明の谷ありありと ひるのまどろみ ゆふの
  まどろみ               葛原妙子

  ちる花はかずかぎりなしことごとく光をひきて谷にゆくかも
                    上田三四二


他に谷間、谷川、谷風などを詠んだ歌も多い。いちいち例をあげないが、珍しい言葉として「谷行(たにこう)」がある。広辞苑によると「山伏の掟として、峰入の際に病気となった同行者を谷に落し捨てること」とある。なんとも凄まじい。またこの本義をとった能がある。谷行に処せられた幼弟子を師の阿闍梨が必死の祈願により蘇生させる話である。


  かりがねは澄みてわたりぬ二十年(はたとせ)のわが谷行の
  終りを告ぐる            前登志夫


この歌は、作者が谷に落とされさまよった二十年間の末に、やっと生きてゆく目標を得たことを詠っている。もちろん暗喩だが、前登志夫歌人として立つまでに苦心惨憺があったのだろうと想像する。どのような二十年間だったのか、彼の経歴を調べてみたくなる。実に名歌である。