天野 翔のうた日記

俳句はユーモアを基本に自然の機微を、短歌は宇宙の不思議と生命の哀しさを詠いたい。

高尾山(1)

三橋敏雄の句碑

 行基天平16年(744)に開山したと伝える。永和年間(14世紀)に中興、真言密教修験道の道場として栄えた。薬王院真言宗智山派大本山で、成田山新勝寺川崎大師平間寺とともに、関東三山のひとつ。
 正岡子規が、明治二十五年十二月七日に風邪気味の内藤鳴雪と共に高尾を訪れ、薬王院を参詣している。この時のことを記した子規の「高尾紀行」を見れば、二人が詠んだ俳句がわかる。例えば、


      目の下の小春日和や八王子      鳴雪
      ぬかづいて飯繩の宮の寒きかな    鳴雪
      木の葉やく寺の後ろや普請小屋    子規
      穗薄に撫でへらされし火桶かな    子規
      凩をぬけ出て山の小春かな      子規


 北原白秋は昭和十二年五十二歳の時、八月十六日から3日間、この薬王院で「多摩」第二回全国大会を開催した。その折に詠んだ歌が、歌集『橡』の「高尾薬王院唱」である。いくつか紹介しておこう。


  小鳥たつ高山岸の昧爽は声多にしてすがしかりけり
  子らと在り杉の木のまを射し来たる朝日の光頭に感じつつ
  こぼれ日に落ちたる蝉の腹見れば粉のしろくうきて翅は乾びぬ
  叢咲きて粗き臭木の花ながら奥山谿の照りがしづけさ
  鳩笛や子らを連れゆく山路にぞほろこと吹きて我はありける
  日の光りはげしくしろき石の上へ息はずまする蝶ぞ闌けゆく
  月あかり後や来たりしくろぐろと杉の葉むらを見つつ我が寝つ
  笛ながら仏法僧の音は吹きて誰か梢の月に覚めゐる
  この夜聴く杉のしづくは我が子らも聴きつつぞあらむ枕しつつも


昭和三十七年に、次ぎの歌の碑が建てられた。
  我が精進こもる高尾は夏雲の下谷うづみ波となづさふ


俳人の句碑もある。
      白日はわが霊たまなりし落葉哉    渡辺水巴
      仏法僧巴と翔る杉の鉾        水原秋桜子
      むささびや大きくなりし夜の山    三橋敏雄